世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

戦後70年談話はヒストリーで!(52)

2015-08-12 00:00:00 | Weblog

広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)について述べたので、長崎市長の田上富久の「平和宣言」についても反論したい。


彼の宣言はかなり長文なので、次のURLを参照してご一読願う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150809-00000000-maiall-soci


「 」内がその引用文である。



長崎原爆の日、田上富久の平和宣言に反論 

A)
「 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。


日本が平和国家として歩んできた、と言っているが、この平和は誰が守ってくれていたのか。日本国一国だけで平和が守れていた訳ではない。自然と平和が保たれていたわけではないのだ。
日本国憲法の平和の理念のお陰で、日本の平和が保たれていたと信じているとしたら、それは大いなる誤解と言うものである。アメリカの核の傘に抱かれていたからこそ、中国やロシアの軍隊や核から守られていたのである。
決して日本国憲法の理念が日本の平和を守ったわけではない。

こんなことが判らないほど、長崎市長は頓馬なのか。


B)
「 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。」



戦争は悲惨なものである。ましてや核の被害は想像を絶するものであることは、日本は身をもって体験している。これは事実である。核廃絶への努力は必要であることは明らかである。
だがそれだけで核の被害を防ぐことが出来る訳ではない。
「核兵器の非人道性」をいかに訴えようとも、その証拠に、最終文書の採択が出来なかったではないか。
その上日本による「世界の指導者に広島・長崎の訪問を呼びかける」文言も、中国の反対で削除されてしまった。この中国の誤った歴史認識こそ、広島・長崎が問題にすべきものではなかったか。
一人ひとりの力も大切なものであることは確かであるが、生き馬の目を抜く世界の政治の中では、それだけでは駄目なのである。文書案に盛り込めただけで喜んでいては、何も始まらない。


C)
「 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。」


オバマ大統領の名前を出す意味は何か。それよりも法律を守る気のない中国の習近平やクリミアに核兵器を配備すると言ったロシアのプーチンに対して、名指して言うべきではないのか。


D)
「 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。」



この長崎市長の田上富久(たうえとみひさ)は、いったいこの文章で何をしようとしているのか。

核の傘に対抗できる非核の傘とは、自身としては、具体的に何を想定しているのか。現在の核の世界に対して、世界の子供達をだしにして、世界のリアリスティックな政治家達のお涙頂戴を期待しているのか。

だとしたら、こいつは政治家失格であろう。


E)
「 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。」


長崎市長の田上富久は、平和の理念さえあれば平和は守られる、と思ってはいないか。理念だけで平和が守られるのであればこの上ないことであるが、理念を展開してこのリアリスティックな世の中で、如何に平和を担保するか、を考えて実行するのが政治家なのである。

中国外務省が作ったと言われている「2050 極東マップ」を思い出してほしい。2015.8.7の当ブログのNO.48で掲載しているので、ご存知のことと思う。2050年には日本は中国に占領されてしまっている。


揺らいでいるのは理念ではなくて、それを守ろうとする力が、相対的に弱まっているのである。だから集団的自衛権も必要となってくるのである。日本国は自分の国さえ守ることが出来ない仕組みとなっている。早くこれを打破することが必要なのである。

中国も韓国も集団的自衛権は保持している。なぜ日本だけがもてないのだ。なぜ日本が集団的自衛権を持てるようにすると、すぐにでも「戦争をしに出てゆく」何ぞと、国民を煽るのだ。それは中国の息を吹きかけられた共産党かぶれの馬鹿共が、その結果、2050年までに日本を簡単に占領できなくなるから、その予防線を張っているのである。

田上富久は、おのずとその片棒を担いでいるのだ。お前さんが思っているほど、この世界は甘いものではないよ。

(終り)

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戦後70年談話はヒストリーで!(51)

2015-08-10 00:00:00 | Weblog

ダグラス・マッカーサーーは、日本軍によりフィリピンから追い払われているので、ある意味日本軍に対しての憎しみは相当なものであったであろうと推察できる。だからこんなむごたらしいことも黙認と言うよりも推奨していたかもしれない。


ダグラス・マッカーサー
Douglas MacArther      1880.1.26~1964.4.5

日本軍に追い詰められた揚句コレヒドール島からの脱出を余儀なくされ、(1942年)3月11日、「I shall return"(必ずや私は戻って来るだろう / 私はここに戻って来る運命にある)」と言い残して家族や幕僚達と共に魚雷艇でミンダナオ島に脱出、パイナップル畑の秘密飛行場からボーイング B-17 でオーストラリアに飛び立った。

この日本軍の攻撃を前にした敵前逃亡はマッカーサーの軍歴の数少ない失態となった。彼は10万余りの将兵を捨てて逃げた卑怯者と言われた。また、「I shall return」は米兵の間では敵前逃亡の意味で使われ、安全なコレヒドールに籠って前線のバターン半島にも出てこない彼を揶揄した「Dugout Doug(壕に籠ったまま出てこないダグラス)」というあだ名も広く知られた。さらに、ケソンから50万ドルを私的に取った卑しい行為がアイゼンハワーら軍首脳部の反感を買った。だが、オーストラリアに逃亡したマッカーサーは南西太平洋方面の連合国軍総司令官に就任した。その後もマッカーサーの軍歴にこの汚点がついてまわり、マッカーサーの自尊心を大きく傷つける結果となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC


オーストラリア軍による捕虜虐待の例も次に載せる。


■オーストラリア軍の不法行為について■

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなった時の話を覚えているかね?

あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ 捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中で
ハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」(リンドバーグ日記八月六日)

ブーゲンビル島トロキナでは、オーストラリア軍によって、日本軍捕虜に「死の行進」が課せられた。
ナウル島とオーシャン諸島を占領していた日本軍は、一九四五年九月、オーストラリア陸軍の捕虜となった。

同月二〇日にナウルの日本兵約二〇〇〇名がトロキナの仮収容所に移送されることとなったが、
栄養失調と疫病で衰弱しきっているにもかかわらず、気温三五~三八度の中を一〇マイル行進させられた。翌日、到着の一二五〇人も同様であった。

豪州軍の警備兵は行軍の速度をゆるめることを許さず、水もほとんど与えられなかった。
死亡者が続出した。
体験者の回想によれば、川を見つけた日本兵が水を求めて駆け寄ると、川の両側に並んだ
豪州軍将校たちが水を飲ませまいと、足で水をかき混ぜて泥水にし、そのうえ銃を向けて威嚇した。
一〇月八日に着いたナウルからの七〇〇人とオーシャンからの五一三人も同じ扱いを受けた。

くわえて、一〇月末にファウロ群島の常設収容所に移動させられた時には、マラリヤに多数が感染したが、豪州軍は予防薬を支給しなかった。捕虜のほとんど全員が感染、約七〇〇名が死亡したとみられる。


以上「日本の反論」米田健三著 p165およびp171~172よりの引用ですが、米田氏は
リンドバーグ日記および「軍事史学 第三五巻第二号」喜多義人論文より引用されています)

http://www.tamanegiya.com/o-sutoraria19.1.20.html (このURLではページは見つかりませんでした。既に削除されたか他へ移動したものと思われる。)
http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-419.html


敵軍との激戦で亡くなられた日本軍将兵の皆様にとっては、捕虜となって虐待され拷問されて殺されていった仲間達のことを思うと、草葉の陰で切歯扼腕されていることと思う。もうじき8月15日がやってくる。

大東亜戦争で亡くなられた日本軍将兵の皆様、そして広島、長崎の原爆で亡くなられた無辜の皆様、そして東京を始め日本の都市と言う都市市街地を爆撃目標とした国際法違反による大量虐殺・ジェノサイドで亡くなられた皆様、安らかにお眠りください。

そして歴代総理大臣は必ず靖国神社に参拝して、平和の世の中にすべく亡くなられた御霊にお祈りをささげてもらいたいものである。


T.ルーズベルト、ウッドロー・ウイルソン、ウォレン・ハーディング、フランクリン.D.ルーズベルト、ハリー・S・トルーマン達に呪いあれ。


安らかに眠ってください。二度と核爆弾を見舞われることのないように、日本も自主核抑止力を整備してまいりますから。


安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)には刻まれている。


これは「誰に向かって、誰に、何を、誰が、やらせようとしているのか」、判然としない。




・誰に向かって・・・・・原爆死没者に対して、投げかけていると思われる。

・誰に(命令しているのか)・・・・・誰に向かって、過ちは繰り返させないと言っているのかは、判然としない。原爆を落としたアメリカなど核保有国に向かって言っているのか。または広島市自身のことなのか。広島市の碑である以上、広島市自身が核保有国に対して、原爆は使わせないようにする、と言っていると取るべきなのか。

・何を・・・・「過ち」の内容、これは当然核爆弾を使う、落とすと言うことを、やらせないと言うことなのでしょうか、または核爆弾を落とされないようにする即ち核攻撃を防ぐと言うことなのでしょうか。過ちとする意味は、落とされたことなのか、それとも落としたことなのか、どっちだろうかその両方なのであろうか。いずれにしても情緒的過ぎて頭の中を素通りしてしまう。

・誰が・・・・・誰が誰に向かって「過ち」は繰り返さないようにするのか。たぶん広島市の碑であるから、広島市が「核保有国」に対して、核兵器を使わせないようにする、と言う意味なのであろう。もしそうだとしたら、これまた情緒的すぎる。そうだとしたら、8月だけの行事ではなく、中国・ロシアなどに対して、真剣に核廃絶をあらゆる手立てを尽くして、常時外交努力をしているのかと言うことになる。日本政府に訴えている、と言うのであれば、余りにもありきたりで、他人事すぎる。

と言うことを気にすると、この碑文の無責任さにあきれてしまう。

「原爆死没者の皆様、安らかにお眠りください。広島市は、二度と核兵器が使われることのないように、核保有国の政府を初めその関連機関に、核廃絶を働きかけてゆきます。そして核兵器が廃絶されるまでは、わが国に対するも核攻撃を防ぐために有効な核抑止力を保持するように努めます。このようにして日本国民は守られかつ守ってゆきますから、安心してお休みください。」

これが正解である。碑文にするならば、次のようになろう。

「安らからお眠りください。この悲劇を繰り返させないために、広島市はあらゆる努力を惜しみません。」


(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(50)

2015-08-09 00:00:00 | Weblog

(16)補足・アメリカもイギリスもオーストラリアも日本兵捕虜を虐殺していた。

これは産経新聞社の雑誌「正論」・2015年9月 臨時増刊号に掲載されている『大東亜戦争-民族の記憶として 「連合軍の戦争犯罪 日本人捕虜虐殺とジェノサイド」 公益社団法人 国際経済交流協会 会長 米田 建三 著』に掲載されていたものである。


これがたまたまネットに掲載されていたので、それを次に載せる。この話で、なぜ日本兵が無謀な「万歳突撃」をやらざるを得なかったのか がよく判った。アメリカ軍に投降しても、拷問されたり虐殺されたりするために、投降することよりも「万歳突撃」を選んだものだった。米兵もそんなことを言っている。



太平洋戦争でニューギニアでの戦いの事がテレビでやってました。ニューギニアで...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1229255647

fantaraidraさん
2009/8/1002:33:40

太平洋戦争でニューギニアでの戦いの事がテレビでやってました。
ニューギニアでの戦争は厳しくそれでも投降せずに戦ったそうなのですが!
中には大隊を率いて投降した部隊もあったみたいです。
部隊の兵隊は今でも投降したことを気にかけているそうです。
現代の考えだったらその指揮官はよく決心したと思いますが。
当時の人からしたら裏切り者とか国の恥とか考えるでしょう。
何かすごく残念なきがするんですけど。みなさんはこの事をどう考えますか?
当時の兵隊が今になっても戦友と会おうと思わないって聞くと、なんか悲しくなります。

補足最後の証言の所の途中で切れてしまってますが。
投降したら虐殺される事は明らかだったんですね。戦争の事を調べるのは好きなのですが日本兵以外にもアメリカもそれ以上のことをしてたなんて。
でも番組やそうゆう所であまり公開されていないようなきがします。
日本人、ドイツは悪者じゃなくアメリカも兵隊の中に沢山悪い奴等がいたんですね。正義ぶっててもやっぱ戦争は反対なのかな!?


ベストアンサーに選ばれた回答

reincanation61616さん
2009/8/1008:50:01

投降しても捕虜にされず、虐殺された日本兵が多かったのです。
www.tamanegiya.com/amerikagyakusatu19.1.16.html -

連合国軍の捕虜虐殺については有名なリンドバーグの日記にも書かれています。下記の「 」内の引用文はリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、「日本の反論」(米田健三著 並木書房 二〇〇六年)よりの引用ですの。

これについて米田氏は第二次大戦に対してアメリカ参戦を反対していたリンドバークは昭和一九年になって南太平洋の戦場視察と慰問を許される。そこで、「アメリカ人が文明人であることを主張せねばならぬ理由がなくなる」ような、米軍兵士の日本兵捕虜に対する数々の蛮行を見聞することとなったと書かれています。

「日本兵士殺害に関する将軍の話----実戦参加経験がないまま帰国する軍曹が、せめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。
偵察隊に捕らえられた一人の日本兵捕虜が軍曹の前に引き立てられた。軍曹は言った。
『俺にはこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ』
『ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』
偵察隊の一人がそういうと、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めたとたんに、日本兵の頭部に腕が巻つき、喉元が一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた。
このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた」(リンドバーグ日記六月二一日)

「ニューギニアの密林を越えて、ホーランディア飛行場周辺に日本空軍の残骸が散乱していた。着陸後、将校連と会議。談たまたま日本兵捕虜の数が少ないという点に及ぶ。
『捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる』
と将校の一人が答えた。
『ところがわが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ』
『(原文伏字)では二〇〇〇人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった一〇〇人か二〇〇人だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう
あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね
と、別の将校が調子を合わせる」

ホーランディア攻略戦で敗れて捕虜となった日本軍人の大多数は、機関銃の乱射で殺されたのである。

「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」(七月一三日)

「安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」(七月二一日)

「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ 飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかだから(七月二一日)

「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」(七月二一日)

「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」(七月二四日)

(リンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、「日本の反論」米田健三著 p162~165よりの引用)


下を読んでください。


証言60
ニューギニア戦線を回顧する <私は今、3万5千人余りの戦友の屍を踏み台にして生きていると思う> ... 捕虜になることを恥とし、投降より玉砕を選んだ日本軍は、現地の戦況を知らず補給もできない参謀本部の無謀な作戦の犠牲となり、 ...
www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-T9-3.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1229255647
(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(49)

2015-08-08 00:00:00 | Weblog

(15)安倍総理には、是非とも「靖国神社」に参拝していただこう。


政権が長命であった小泉純一郎首相は、最後まで靖国神社に参拝した。政権が長命であった理由は、その結果である。安倍晋三も福田康夫も短命であった。だから今(2015年)の安倍晋三首相には是非とも、毎年靖国神社に参拝して頂きたいのである。

これに関して2008.9.26~27の小生のブログ「靖国神社に参拝しよう(14~15)」を載せて、このブログのテーマの助けとしよう。




・・・・・・・・
その点、小泉純一郎首相の靖国神社参拝は立派だった。全くぶれなかった。将に日本のリーダー。
その在任期間ずっと靖国神社に参拝された、現在も参拝されている。しかし、 大東亜戦争が侵略戦争だと国会で答弁したことは、全くの間違いで、不勉強極まりない。いつの日か反省の弁を聞きたいものだ。

自民党総裁選に立候補した5人の実力者達にも是非投票日には、靖国神社に参拝してもらいたい。それが日本のリーダーたる必須の条件である。靖国神社にお参りしなかった安倍晋三も福田康夫も短命であった。
080926(14)

5.内的自己実現のため、靖国神社に参拝すべし。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080906/stt0809060758004-n1.htm

の産経ニュース『[eye]福田首相の「客観」と無念「あなたとは違うんです」発言の真意は』に、「なるほどなあ」と言う記述があったのでそれを引用させてもらって、締めとしたい。

心理学者の岸田秀さんの著作『二十世紀を精神分析する』に魅力的な記述がある。

《日本は1853年にペリーに強姦され、その屈辱感を抑圧したため、強国アメリカに従うしかないとする外的自己と、本当は復讐したいとする内的自己とに分裂し、一種の精神分裂病者になった》

ここで言う外的自己とは「外界と直接関係する領域」、内的自己とは「外界との関係から不可侵の領域」と言う意味合いだ。両者の分裂による葛藤は近代日本の宿命だ、と岸田さんは言う。

[内的自己と言うものは、自己流に解釈すれば「本音」と言うべきものなのであろう。「ペリー・アメリカのやろうめ、余分なことをしやーがって、今に見ておれ」と言ったところか。]

「日本は真珠湾攻撃で葛藤の解消を図ろうとしましたが、結果はご存知の通りです。戦後は『内的自己』を抑圧して『外的自己』によって対米関係を維持していく道を選びました。しかし『内的自己』は消滅したわけではありません。日本人の中にずっとうずき続け、ことあるごとに頭をもたげてくる」

歴代首相はこの宿命に翻弄されてきたと言うのが岸田さんの分析だ。

「吉田首相の時代は敗戦のショックもあって国民に『対米従属も致し方なし』と言う諦めがあった。だからワンマンとなりえ、名宰相とうたわれた。ところが復興と共に日本人の中に『内的自己』が頭をもたげ始める。岸信介首相は対米従属の象徴とも言うべき日米安全保障条約をめぐって国民国民的憎悪の対象となってしまった。」

「外的自己」と「内的自己」の対立をもたらす相手はアメリカ一国にとどまらない。対中、対韓、対露・・・外交が複雑化するにつれ、葛藤も錯綜する。


「葛藤が解消されていない以上、日本の首相は適当にごまかしながら職務を遂行する以外に道はない。非常に疲れると思います」と、岸田さんは首相の立場を思いやる。たとえ首相の決断が国益を考え抜いた末のものであっても、それが安易に「外的自己」を優先したように映れば、国民の不興を買う
080927(15)
「国家と言う共同幻想を維持するためには国家としての誇りが必要です。この点、小泉さんはうまく立ち回ったと思います」

対米従属ともいえる姿勢を貫いた小泉純一郎首相が5年5ヶ月も政権を維持できたのは、靖国問題をめぐり中国に対して日本のブライドを強く主張することで「内的自己」を満足させたからだと言える

対して福田首相は、対米従属路線は維持した上で、中国との関係も重視、靖国参拝は見合わせ、毒ギョーザ問題も追及しなかった。国民の「内的自己」を満足させることはできず、支持率が低迷したのは当然のことだったのかもしれない。

・・・・・・・・・
次に誰が首相になろうと、「外的自己」と「内的自己」の葛藤と言う宿命に翻弄されることは間違いありません。

葛藤を解消する道はあるだろうか。

「一番簡単なのはアメリカと戦争をして勝つことです。(笑)しかしそれはあまりに非現実的。今の日本には、アメリカの衰退を待つことしか道がないように思います」



と言う内容。いわゆる簡単にいってしまえば、「自己主張」がうまくできていない、と考えれば分かりやすいと言うことか。言い換えれば無理難題や意地悪ばっかり言ったりやったりする輩に対して、いかに自己主張をするかと言うことであろう。

葛藤を解消する道は簡単なことである。

1.大東亜戦争の意義を今一度真剣に見直し、再評価すること。

2.「内的自己」の主張を躊躇させる足かせは、WGIPであることを理解し、それが間違っていたことを大々的に公表・宣伝することである。

3.そして何もいわれても、靖国神社に堂々と毎年参拝すること

  大東亜戦争を戦った人たちの御霊を慰め尊崇の念をささげるために、少なくとも靖国神社には、毎年参拝すればよい。それは何も間違ったことではない。堂々と参拝すべきである。
 



大東亜戦争を戦った人たちの御霊に合掌。御霊安からん事を祈る。

(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(48)

2015-08-07 00:00:00 | Weblog

■小沢一郎 氏に見せてみたい「2050極東マップ 」

ジョージ・ワシントン大学政治学博士にして自由民主党所属の参議院議員である浜田和幸氏SAPIO」(2009/12/23・2010/1/4号)に明かしている

「私が初めてこの手の地図を目にしたのは、騒ぎになるよりも前、今から2年ほど前である。
中国に駐在していた経産省の知り合いの官僚が帰国したので、
久しぶりに会って話をしたのだが、
『中国外務省の役人からこんなものを渡された』
と見せられた地図に込められた禍々(まがまが)しい野心に、強い衝撃と怒りを感じたことを今もよく覚えている」

なんと、中国の外務官僚から日本の経産官僚に、この禍々しい地図が渡された、というのだ。
事実であるなら、実に面妖なことである。
単なる戯れなのか、それとも何らかの意図を持った心理的情報操作なのか、それはわからない。

浜田氏の解説によれば、出生率の低下で日本の人口はどんどん減少する。
そこで、列島の西半分に溢れ出た中国人を1億人単位で移住させ、
「東海省」として中国の一部とする。
少数民族となった日本人を、東半分に強制移住させ、
「日本自治区」として、これも中国の版図に組み込む、というわけだ。



櫻井よしこ氏が「中国外務省から流出した"2050年の国家戦略"と題した地図がある」とのべていた。オリジナルは中国語で、日本語に翻訳したものである。

中国の実情、昨今の緊迫をみれば、この地図が冗談では済まされない重みを持つ

日本の周辺国家は、欧米のように理性的で、人権を重んじる、先進国ではない

民主主義もおぼつかない、前時代的国家群である
良識的対応を望むのはムリである
日本の常識・良識は通用しない

国家間には警察もなければ裁判所もない。

(国際司法裁判所は双方の合意なき場合、事実上利用できない)
力と力のパワーゲーム。残酷な結果が待っている

また日本国内で、傷病失業で困窮すれば、国家や自治体から、支援給付を受けられるが、国際社会では期待できない。
開発途上国や最貧国でもなければ、支援などない
国力衰亡を誰も助けてはくれない
国家としては、自力で生きていかねばならない

現に我々は、チベット・ウイグルで虐待・虐殺が起こっている事を薄々知りながら、助け出すことはおろか、支援も出来ないで居る。

中国の軍部と定期会合に出席している自衛隊幹部OBらは、中国軍部の要求の傲慢ぶりに、うかつに乗れば危ないと警告を発している

日本に来るVIP待遇の中国人たちは、日本の感想を「空気が綺麗で旨い。国土も美しい。もしここが、中国のものになれば、特権階級や富裕層のリゾート地になるだろう」と述べている

こういう事例・発言は多々ある。
日本を飲み込むという思考が彼らには確かにある。

ボヤボヤしていると、日本人がウイグル・チベットと同じように虐殺される日は遠くない。
http://ameblo.jp/hex-6/archive1-201102.html


なおこの「2050 極東マップ」はここ掲げられている部分だけではなかった。この地図は横にもっと大きなもので、ハワイ諸島までもが描かれているという。そして支那の国境はハワイの西側に引かれているのです。2050年までには、中国は太平洋をアメリカと2分割していることになっているのです。



ここに述べられている太平洋の2分割統治論についても、小生のブログ「中国覇権主義(11)」(2008.6.17)の「太平洋2分割管理の誘惑」を載せるので、ご一読願う。



11.恐るべき中華思想(太平洋分割管理の誘惑)

2008年3月31日、米上院の軍事委員会の公聴会が開かれていた。そこで海軍士官出身で海軍長官まで務めたジム・ウェブ議員(民主党)は、中国の南沙・西沙・尖閣諸島への領有権主張は南および東シナ海での中国の野望を示すのではないかと質問した。それに対して、アメリカ軍太平洋軍の海軍大将ティモシー・キーティング司令官は、具体的な事例を挙げてそれに答えていた。その内容は、我々日本人に取って驚くべきものであった。

その事例とは、アメリカ海軍が最近訪中した時のこと。

「中国海軍の高官が真顔で次のように我々訪中団に告げたのです。『私達中国海軍が航空母艦を保有するようになれば、アメリカ側がハワイ以東の海域を管理し、中国がハワイ以西の海域を管理する、と言う合意を結びましょう』と。そうすれば、アメリカはハワイ以西に海軍部隊を配備しなくてもよい様になる、と言う趣旨でした。軍事情報も両国でシェアしようと言うことまで申し出たのです。」

「この発言は人民解放軍が持つ戦略的なビジョンを示しています。中国軍は明からに自己の影響力の範囲を拡大したいと意図していることを示す。これは当然アメリカ側にとって、懸念の対象になります。」



もし中国が軍事的にも西太平洋を管理するとなれば、当然、わが日本は安全保障面でも中国の管理下に入ってしまうことになる。日本にとっては悪魔のシナリオである。こんなことが許されるものか!

似たような経験は、この論文の筆者・古森義久氏も体験していると言う。

2000年、古森氏が産経新聞中国総局長として長く北京に駐在してそろそろ北京離任が近づいた時、中国のある政府関連機関の幹部と夕食を共にしたときのこと。

夕食後の歓談の中で、日中関係の将来について語っていたときに、彼は次のようにふと漏らしたという。


「やはり、なんと言っても 中国と日本とがひとつの国になる のが一番、いいですよね」

「言葉はどうなるか」と軽い気持ちで問い返した時に、彼は平然と答えたと言う。

「それはやはり大きな方の国(中国)の言葉を使うことになるでしょう。」



古森氏はこれを聞いて、決して冗談を言っているのではない、と感じたと言う。本気でしゃべっていたのである。誠に恐ろしいことではないか。

中国共産党政権は、本気で密かに、日本を統合(占領)することを、戦略として企画しているのだと言うことが、事実として判明した一瞬ではないか。中華思想恐るべしである。福田なんぞが日本国の首相を務めているとしたら、将にこんな事態となってしまう。中国がチベットを侵略するときに、チベット内部に中国シンパを作り、それを通じて中国寄りの法律を作らせて、チベットを中国化してしまったことを思い起こす必要がある。

自民党政権は、現在、外国人定住への道を開くための「移民庁」等の検討を開始したと言う。福田康夫は中国人を大量に帰化させて、日本の内部より中国化させようとする仕組みを目論んでいるのではないかと、小生は危惧している。チベットでは人民解放軍が内部まで侵略して、傀儡政権を樹立させて中国化させたが、さすが日本ではそれは不可能。その代わり、大量の中国人を日本に帰化させて内部から日本を崩壊させようと目論んでいるのではないか。丁度満州国が中国人の大量の難民流入で崩壊して行ったように。いくら日本が人手不足や少子化で困ることになると言っても、それに付け込んで、毒をオブラートに包みこむことだけは避けなければならない。
(http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080505AT3S0201E04052008.html)

後の祭りにならないように、国民はしっかりと福田政権の政治を監視しなければならない。しまったと思ってもそれは取り返しがつかないのである。



(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(47)

2015-08-06 00:00:00 | Weblog

▼1400年代まで
①ヨーロッパの世界侵略開始以前まとめ
http://warof.jp/1400.html

▼1400~1600年代前半
②スペインとポルトガルの大航海時代/信長 秀吉 家康
http://warof.jp/1400-1600.html

▼1600年代中盤
③オランダの台頭/江戸幕府、鎖国政策へ
http://warof.jp/1600.html

▼1600年代後半~1700年代
④イギリスとフランスの時代/江戸時代の平和
http://warof.jp/1600-1700.html

▼1800年代
⑤アヘン戦争/黒船が来航、明治維新へ
http://warof.jp/1800.html

▼1894~1895年
⑥日清戦争
http://warof.jp/1894-1895.html

▼1904~1905年
⑦日露戦争
http://warof.jp/1904-1905.html
http://warof.jp/nikkan.html

▼1941〜1945年
⑧第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)
http://warof.jp/1938-1945.html

http://warof.jp/


もともとアメリカは日清戦争辺りから、日本を仮想敵国と看做していた。太平洋でいつかはぶつかるのではないかと考え、日本の頭を押さえにかかっていた。しかし日本はそのことを深刻に考えていなかった節がある。外交音痴だったと言うことか。その経過を次に載せる。いかにアメリカは、日本を敵視していたかが判るのである。


1895年 日清戦争終了。
1897年 T.ルーズベルトは、ハワイ併合に関して、友人に「日本は脅威だ」と手紙に書く。

1898年 アメリカは、ハワイを侵略して、ハワイ王朝から主権を剥奪する。
1901年 T.ルーズベルトが、米国第26代大統領となる。(~1909年)

1902年 日英同盟締結。
1904年 日露戦争始まる。T.ルーズベルトは、対日作戦計画・オレンジ計画を構想する。

1905年 日露講和斡旋のT.ルーズベルトは、日本に賠償金要求撤回を迫る。日本に財政的余裕を与えないため。結局賠償金は取れず、樺太も半分だけ。

1907年 鉄道王ハリマン、満鉄共同経営計画の破棄を通告される。日本に敵意を持つ。
1908年 アメリカ、白い大艦隊(戦艦16隻他)を横浜に派遣、日本を恫喝する。

1918年 パリ講和会議、ウッドロー・ウイルソン米第28代大統領、日本の人種差別撤廃提案を潰す。黄色人種を疎んじる。

1922年 ワシントン軍縮会議ウォレン・ハーディング米第29代大統領、日本への軍艦保有制限5:5:3と四カ国条約(太平洋の領土保障、米英仏日)を持ち出し日英同盟を破棄させる。

1924年 排日移民法制定。対日経済制裁、ABCD包囲網へ発展してゆく。
1941年 米国務長官コーデル・ハルが最後通牒「ハルノート」を日本に提示する。日米開戦。

1942年 フランクリン.D.ルーズベルト米第32代大統領は、核兵器開発プロジェクト(マンハッタン計画)を開始する。

1945年 ハリー・S・トルーマン米第33代大統領、日本への原爆投下を決める。ソ連への示威の為で8/6広島(ウラン型原爆・リトルボーイ)、8/9長崎(プルトニウム型原爆・ファットマン)

1952年 最初の核融合爆弾(水爆)実験が、米国によりエニウェトク環礁で行われる。


このように日本はアメリカにコントロールされて、戦争に引っ張り込まれて、原爆まで落とされて滅茶苦茶にされていったのである。核兵器開発は対独戦用として開発が決定されたと言われているが、その真意は定かではない。白人国家のドイツよりも、黄色人種のJapに対して何のためらいもなく実用実験として原爆投下を行っていったのであろう。事実原爆搭載B29エノラゲイは、広島上空から一旦退き、空襲警報発令の解除を確認してから広島上空に戻り、原爆を投下している。地下壕にもぐられては、放射能を浴びせられないからである。(実際にはB29偵察機が広島上空を偵察後に遅れてB29エノラゲイが広島市上空に侵入し、防空壕から出てきた広島市民の頭上で原爆を炸裂させたもの。)

日本はいつまでも安保条約でアメリカに守られていると思っていると、そのうちに痛い目にあうかもしれない。しっかりと自分の国を自分で守れるようにして、同盟関係を強固にしておく必要がある。共産国家中国の現状を鑑みるに、いつまでもアメリカにおんぶに抱っこ状態では、心許ない。いつアメリカが日本を手放すか、判ったものではないのだ。

今も日本はアメリカのコントロール下にある。

ぜひとも「戦後70年談話」で、その頚木を脱しなければならないのだ。そのためにも同盟関係を維持しながらも、自主的核抑止力の保有を目指す必要があろう。自分の国は自分が守る、これが美しい国の条件である。何かと言うとすぐに「戦争反対」を、左翼は叫ぶ。誰でも戦争は反対だが、「そのために自主独立が確保されなくてもよいのだ」、との前提で戦争反対を叫んでいるように見える。これでは中国の思う壺である、と言うよりも中国の心理戦に負けてしまっている。これではいつの間にか日本は中国の属領になってしまいかねない、と言うことがわかっていない。今の集団的自衛権反対運動は、将にそれである。こんな有様では、いつの間にか日本はなくなってしまうよ。

やたらと「戦争反対」などとシュプレヒコールする若者達は、その前提となっている「自主独立、民主主義」などと言うことがなぜ確保されているのかと言うことを、真剣に考えたことがあるであろうか。はなはだ疑問である。平和や独立が空気のように自然にもたらされる、と勘違いしていないのかな。今の平和な日本が何もしなくても確保されている、などと、今の若者は本気で(のほほんと)思ってはいないか。今の平和は残念ながら、アメリカの核の傘の下に居る事で守られているのだ。そのことを弁えずに、自然と今の平和がもたらされているなどと感じていないか。高校生がデモをやって叫んでいる、などとマスコミが鬼の首でも取ったように言っているが、それを言うなら「なぜ今日本が平和なのか」と言うことを真剣に分析した記事でも載せているのか。載せてはいない、だからマスコミは「先ずゴミ」なのだ。

この平和は自分達でも守ってゆかなければ続かないのだ、と思う必要がある。どのように守って行くか、まで考えてデモをするなら、まだよい。そしてその方策を実施せよ、と怒鳴れば記事にしてもよかろう。そうでなければそのようなインタビューでもしてみよ、そしてその結果と共に記事にせよ。

そんなことも出来なくなってしまっている、今の記者達は。だからゴミなのだ、君達は。


次に、2012.9.25から2012.9.27の小生のブログ「尖閣諸島問題に関する問題」の(51)から(53)を参照いただきたいが、中国の領土的野心の該当部分を次に載せる。



だから民主党政権から自民党政権に、政権交代をしないと駄目なのだ。尖閣諸島を国有化しても、民主党政権は何もせずに現状のままで先送りしてしまうであろう。これでは何も生まれない。民主党政権は、中国政府の意図を何も解っていないか、それほど深刻に考えていない。相変わらず中国から尖閣諸島を攻められるだけだ。中国の意図するところは、日本の属国化である。

それは中国は尖閣諸島だけではなく、日本列島そのものまでも中国のもの、にするつもりのようだ。
これはまことに恐ろしいことだ。次の記事を参照願う。

・・・・・


中国の領土的野望はいまや明らかになっている
尖閣どころか、10年前から中国の反日運動では、「沖縄(琉球)を返せ!」と叫ばれていて、それを見聞きした日本人の多くは「わが目、わが耳を疑った」と述べている

2009年2月28日、民主党の 小沢代表は、沖縄からの米軍撤収を幾度も発言している
「日本が世界戦略を持ち、もっと役割を分担すれば、米国の役割は減る」
「アジアには米国のプレゼンス(存在)は必要だが、第7艦隊で十分ではないか」
「米軍が引くことで、日本が日本の安全保障の責任を果たしていけばいい」

ところが、後に中国が沖縄に領事館開設を要望していたことが明らかになった。

それを知っての発言であれば、この男は国賊である。国を売る輩。
知らずに述べていたのであれば、無見識の極みである
増して李鵬発言を知らぬはずもない。首をひねらざるを得ない

最近中国で盛んに報道されている内容

沖縄の住民の3/4が、日本からの独立を求めている.......というもの
中国人にとって、沖縄の日本からの独立、中国への帰属は当然のことなのである
(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(46)

2015-08-05 00:00:00 | Weblog

▼戦後70年談話(安倍談話)とは
http://warof.jp/

戦後70年談話(安倍談話)とは、第二次世界大戦敗戦から70年を迎えるにあたり、安倍晋三首相から発表される談話です。

戦後50年談話として発表された村山談話と、戦後60年時の小泉談話、また捏造が明らかな慰安婦問題に対する謝罪を表明してしまった河野談話を、どの程度踏襲し、どのような立場へと変更があるのかが注目されています。

ちなみに、村山、小泉談話はともに「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことへの、「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明しています。

「戦後70年談話」に先立ち、4月30日にアメリカ議会で行われた安倍首相の演説では、「痛切な反省」を盛り込みましたが、「謝罪」は表明しませんでした。

この「反省」を盛り込んで「謝罪」は行わないという方針について賛否両論はありますが、この演説の方針が、「戦後70年談話」にも適用されるのではないかとの見方がされています。

「戦後70年談話」の具体的な内容については、16名の有識者により会議が開かれ決定される模様です。

談話の発表時期は、今年(平成27年)夏とされていますが、8月15日の「終戦記念日」に行われる可能性が高いものと思われます。


▼戦後70年談話(安倍談話)の予備知識として

以上のように、過去の談話では日本はことごとく「反省」と「謝罪」を表明してきました。
国民も、なんとなくそれら、政府による「反省」と「謝罪」の表明を受け入れてきたというのが事実でしょう。

しかし、具体的に誰にむかって何を反省し、謝罪するのか、はっきりと認識し、指摘できる人はほとんどいないのが実情ではないでしょうか。

「日本の戦争の歴史」をしっかりと認識し、当時の日本人がどのように感じ、考え、対処してきたのかという、そのアウトラインをも知らずに、なんとなく、「日本はむかし、悪いことをした」「日本はむかし、無謀な戦争をした」と思っている人がほとんどでしょう。


我々戦後日本人が、そのような「漠然とした罪悪感」を強くもち、「日本は悪いことをした・無謀な戦争をした」と思い込んできたのは、戦後間もなく、占領軍が日本国民に施した、WGIP(War Guilt Information Program)というプログラムに寄るものであることが判明しています。

このWGIPは 「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」と呼ばれ、具体的には「検閲」と「焚書」という形で実行に移されました。

「検閲」は、主にマスメディアへの厳しい報道規制(プレス・コード)によって国民に対する情報をコントロールし、連合国に都合の悪い情報を制限することで行われ、実際に日本の報道機関は、以下の30項目からなる禁止事項を遵守させられました。

1)SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令官)に対する批判
2)極東国際軍事裁判批判
3)GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4)検閲制度への言及
5)アメリカ合衆国への批判
6)ロシア(ソ連邦)への批判
7)英国への批判
8)朝鮮人への批判
9)中国への批判
10)その他連合国への批判
11)連合国一般への批判(国を特定しなくても)
12)満州における日本人の取り扱いについての批判
13)連合国の戦前の政策に対する批判
14)第3次世界大戦への言及
15)冷戦に関する言及
16)戦争擁護の宣伝
17)神国日本の宣伝
18)軍国主義の宣伝
19)ナショナリズムの宣伝
20)大東亜共栄圏の宣伝
21)その他の宣伝
22)戦争犯罪人の正当化および擁護
23)占領軍兵士と日本女性との交渉
24)闇市の状況
25)占領軍軍隊に対する批判
26)飢餓の誇張
27)暴力と不穏の行動の宣伝
28)虚偽の報道
29)GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30)解禁されていない報道の公表

それから、「焚書」とは、上記のような「検閲」による情報統制・言論弾圧の妨げとなる書籍や刊行物を没収し、その発刊を禁止することをいいます。

つまり、戦後の日本人は、この「検閲」と「焚書」によって、「連合国が日本人に知られたくない事実」を徹底的に隠蔽され、「日本が悪いことをした」という罪悪感だけが日本人の心に刻み込まれような情報のみを与えられつづけてきたのです。

その結果、我々戦後日本国民は、「日本の戦争の歴史」をよく知らないにもかかわらず、なんとなく罪悪感だけは感じるという精神状態を作り出されたわけです。


村山談話や小泉談話、河野談話の「反省と謝罪」は、このような連合国の意向をそのまま汲んだ内容です。

また、このような談話を発表する態度が「日本人として正しい平和的な態度」であり、「過去の過ちを繰り返さない」ために、日本は謝罪・反省をする必要があるなどと、いまだに感じている日本人の感覚も、依然としてそのWGIPによるマインドコントロールから抜け出せていない状態にあります。


戦勝国である連合国は、日本人に、「日本がなぜ太平洋戦争を戦うに至ったのか」という、その歴史的な経緯を隠蔽しました。

つまり、「日本の戦争の歴史」の全体像です。

それは、15世紀から始まったヨーロッパ人による世界侵略により、アフリカからは黒人が奴隷として連れ去られ、アメリカ大陸では先住民が皆殺しにされ、アジアにおいても現地人が厳しい搾取や略奪、虐殺にあってきた、その侵略の流れが、19世紀末になってとうとう極東の日本にも迫ってきた、そして、その脅威に対し、日本人がどのように感じ、考え、対処してきたのかといういきさつと、さらにその時代の日本人の行動が、戦後の世界にどのような影響を与えたのかという実態です。


周囲のマインドコントロール下にある人々をよく観察してみてください。

それらの人々は、上記のような「いきさつ」と「実態」をまったく知らないか、もしくは、それらを知っていながら、自己の都合で「事実」を無視することにやましさを感じないような人々です。

彼らは、そのような 「歴史的事実」に基づいて自分の頭で何を反省し謝罪すべきなのかという「結論」を導き出すのではなく、「日本人は過去の過ちを反省するのが正しい態度である」という絶対的な思い込みがすべてに優先し、「謝罪と反省」という「結論」ありきでものを考えようとします。

そして、その思い込みの正当化に都合のいい「日本の失敗」ばかりを「事実」のなかからピックアップし、クローズアップして自己の思い込みの正しさを主張するのが常です。

もちろん、その思い込みが連合国の洗脳プログラム・WGIPによって刷り込まれたものであることはいうまでもなく、さらに、そのような結論ありきで考える予定調和的な思考回路も、連合国により頭に組み込まれたものであることは、戦後70年を経過した現在では、もはや、それ自体が隠しようのない「歴史的事実」となっています。


これまで、アメリカのコントロール下にありつづけた日本政府は、幾度も「謝罪」と「反省」を表明し続けてきました。

この期に及んで、我々日本国民は、何を反省し、謝罪させられることがあるのでしょうか。

また、謝罪と反省の必要が、仮にあるのだとしたら、何を反省し謝罪すべきなのでしょうか。


その答えは、「事実」のなかにだけあります。

隠蔽の末につくりあげられた「戦勝国にばかり都合のいい事実」ではなく、客観的な世界史に、日本がどのように登場し行動するのかという「事実」です。

当サイトは、そのような観点から「ヨーロッパの世界侵略の歴史」と日本の関わりを、500年前にさかのぼってわかりやすく簡潔に解説し、日本国民の皆さんに戦後70年談話の予備知識としていただくべく公開しています。
(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(45)

2015-08-04 00:00:00 | Weblog

だから「反省」と言う言葉なども必要はないと思うのだが、安倍総理は「反省」の言葉は使いたいようだ。少しはアメリカの意向も尊重する、と言うことか。


戦後70年談話「反省」を明記へ
2015年7月22日(水)
 
安倍総理が来月発表する戦後70年談話をめぐって、アメリカ政府高官はこれまで同様に反省の思いを代弁してほしいとコメントしました。安倍総理も先の大戦への反省については明記する意向です。

 今月10日、安倍総理は日本と韓国の議員連盟のメンバーと会談しました。同席した日韓議連の額賀会長によりますと、安倍総理は韓国の議員らに談話では、「先の大戦について反省の意を表し、戦後は平和国家として歩み続けてきたことを報告する」と説明したということです。

 戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話には、先の大戦をめぐり、「植民地支配と侵略」のほか「痛切な反省と心からのお詫び」などの表現が盛り込まれています。

 安倍総理はこれらの文言をそのまま盛り込むことには否定的で、未来志向の内容としたい考えです。

 一方、アメリカのラッセル国務次官補は安倍総理の戦後70年談話について「第二次大戦に関し、これまでと同様に日本政府や日本の人々が感じてきた反省の思いを代弁してほしい」と述べました。

 戦後70年談話をめぐる有識者懇談会は21日、最終会合を終えました。来月上旬に安倍総理に報告書を提出する予定ですが、最終的な表現は安倍総理が判断する見通しで、どういった表現を用いるのか、世界が注目しています。(22日23:25)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2546210.html




(14)補足・日本軍による南京虐殺はない。やったのは中国軍だ。
    だから反省も必要はないのだ。



第2次上海事変で追い払われた中国軍は、上海から直線距離で約270km西北西に位置している南京城へ逃げ込んだ。

当初日本政府は和平交渉を行うため南京への進撃は禁止していたが、中国各地での日本居留民への殺害や日本権益に対する妨害などのため、結局は南京攻略を進めざるを得なかった。ここでも蒋介石軍は逃げてしまい大規模な戦闘にはならなかったが、蒋介石は「南京事件」を南京で布教していた宣教師達に捏造させたのである。世に言う「南京大虐殺」であるが、これも全くの捏造である。いまだに中国共産党政府は、その捏造事件を吹聴している。

南京での虐殺事件が捏造された虚構であることは、小生のブログでも既に述べられているので、小生の次のブログなどを参照願う。

通州事件」については、'07.5.28の当ブログに詳しく載っている。
南京大虐殺の虚構宣伝」については、'07.6.6~9の当ブログ、
日中戦争は中国共産党が惹き起こしたものだ」については、'07.7.4~17の当ブログ、
日本居留民虐殺事件は、「中国の虚妄のプロパガンダ」'08.2.8~20の当ブログに載っている。中国での日本居留民の虐殺事件は、通州事件だけではなく、S2.3月の南京事件、S3.5月の済南事件、S12.7月のこの通州事件と頻繁の発生している。

日本軍が日本人を守るために動くことは至極当然のことであるが、南京城内から中国軍は一部便意兵となって暴れているが、彼らへの掃討作戦はあったのであろうが、南京市内とその近郷においては、虐殺などは一切なかったのである。

しかしながら列車で逃げた中国軍では事情が少し異なっていたようだ。次の文を読んでほしい。



「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18f7716fd28351ebe42e6029a8775184
2015年03月26日 12時15分54秒 | 拡散記事・報道、教育(活動。繋がる)
見過ごせない貴重な記事がありました(`・ω・´)
2014年12月23日 http://japan-plus.net/299/ より


「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉


以下は、「月刊中国」主幹、鳴霞氏による貴重な証言。
2012年1月27日に、開国少将というベンネームの作者が、「外祖父が自分の日で見た南京大虐殺」という歴史評論をネット(http://www.kdnet.net)に書き込んだ。


すぐに記事は削除されたのか、現在は閲覧することができない。
その記事は、次のような内容だったという。


「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から何故逃げ出したのか分からなかった。逃げたことは秘密で、外祖父が死去する前年に、よく雑談の中で何時間も話すようになっていた。外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。
彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。

1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。
部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。

大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。

国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。

外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。

外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。

南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。

私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。

が、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。



http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18f7716fd28351ebe42e6029a8775184?fm=entry_related

ジャーナリストが見た南京
(https://www.youtube.com/watch?v=JNAKLuBdhb8)
関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/hisao3aruga/39735320.html 2015/3/4(水)


虐殺されたはずの南京市民 「南京大虐殺」の虚構  更新
(http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/5e99dca385555be8a5205bce41fb3e88)


『南京大虐殺』の論点
(http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18bfeb971c45aa4fa48e8506e1eb131f)

ジャンル:
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http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18f7716fd28351ebe42e6029a8775184?fm=entry_related

次のURLも参考にされるとよい。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/c/e35f567ca06c3bb8a8fc55e2db5cf783


ヒストリー・歴史的事実と言うものは、こんなものなのである。中国共産党政府は捏造そのものの南京事件を、こともあろうに南京大虐殺記念館などというおどろおどろしい建物を建てて、嘘っぱちを人民に教えている。

本来の話は、「中国軍(蒋介石軍)による虐殺」なのである。それを隠すために、あんな建物まで建てて人民をだまくらかしているのである。

いい加減日本人もマインドコントロールから脱却しなければいけないのだ。非常に参考になるので次の文章も熟読願う。


(続く)
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戦後70年談話はヒストリーで!(44)

2015-08-03 00:00:00 | Weblog

だからあの村山富一が「村山談話が事実である根拠を示せ」と、平成19年訴えられている事は、まことに正しいことである。次の2chの記事をご覧頂こう。


25 :名無しさん@1周年:2015/03/13(金) 06:07:02.54 ID:pdfbNI5W0
 
 村山元首相は、平成十九年に石川県在住の諸橋茂一氏により、村山談話に関する訴訟を 起こされた。
諸橋氏は村山氏が首相退任後、「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」(いわゆるアジア女性基金)の理事長に
収まり、本来不必要なこの財団の基金運営のために、人件費等で約五十億円もの国費を 無駄遣いした、これを国庫に返還せよ、と裁判に訴えたのである。
さらに諸橋氏は
併せて、①村山談話の内容が事実であるという根拠を示せ②村山談話を発表した法的根拠を示せ③アジア女性基金の設立根拠となったいわゆる「河野談話」の内容が事実である根拠を示せ―――と訴えた。

 これは最高裁まで争われ、控訴人には請求権がないということで、結果として請求は 棄却されたが、村山氏は裁判の過程で、村山談話の正当性をまったく説明できなかった。

ちなみに、やはり諸橋氏が東京地検に告発した「河野談話」については、すでに七年の時効が成立しているという回答だったと聞いている。

 政治によってわが国の歴史を捻じ曲げることはそろそろ終わりにしてもらいたい。

( 『自らの身は顧みず』 WAC )

26 :名無しさん@1周年:2015/03/13(金) 06:07:29.23 ID:CHEb6vmS0
慰安婦の強制連行は無かったと言われるのが戦々恐々な人たちが出すべきじゃないとか言ってる
そんな奴等に限って村山や河野談話を有り難がってる
その逆の印篭もあって良いじゃない
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1426193051/



(13)戦後70年談話の構成要素をまとめてみよう。

以上述べてきた「戦後70談話」の構成要素をまとめてみよう。これらは今まで述べてきたように、すべてヒストリー・歴史的事実である。

第一の必須事項
だから「戦後70年談話」には、先ずは、「河野談話」の否定を盛り込むことである。

第二の必須事項
だから「戦後70年談話」の第2には、「日本統治時代には韓国の人口が2.5倍に増え、平和を享受することが出来た」のは、日本統治による米の増産などの結果であった事を盛り込むことである。

第三の必須事項
だから「戦後70年談話」の第3には、「満州事変は、中国共産党による満州における正当な日本権益や日本人への迫害を除去し、平和を回復させるための日本の自衛手段であった」と言う事を盛り込むことである。
日本が侵略したと言う中国の9.18事変は、中国による全くの捏造であり、反対に中国による日本への侵略であった、と声高らかに述べなくてはならない。

第四の必須事項
だから「戦後70年談話」の第4には、「日中戦争も、蒋介石軍に潜んでいた中国共産党員により、蒋介石軍と戦うように日本が引っ張り込まれたものであり、日本が侵略したものではないのです。」と言う事を盛り込むことである。

中国の言う「世界反ファシズム戦争と中国人民抗日戦争勝利70周年」は、中国による全くの捏造であり、そうでもしないと共産党独裁政権の維持が出来なくなるからである。日中戦争と言われるものは、反対に中国の蒋介石軍による日本権益への侵害・侵略であった、と声高らかに述べなくてはならない。従って日本は中国共産党軍とは戦ってはいないのです。

第五の必須事項
そして「戦後70年談話」の第5としては、あのヒストリーにそぐわない悪名高い「村山談話」の否定・廃止を織り込むことである。

この5項目を盛り込みこの時代の言われなき濡れ衣をただし、あとは未来志向の言葉を入れれば宜しい。まあ小生が書くとしたら、こんな形となろう。




戦後日本は、一貫して「平和国家」として歩んできました。しかしながらその道は決して平坦ではありませんでした。我々日本国民は、その茨の道を全員で、歯を食いしばって進んできました。命を落とされた先人の礎を土台に、我々は平和で豊かな国を作ってきたことを誇りに思います。

しかし平和になった今、来し方古を振り返ってみますと歴史的事実に反することが多々存在することがわかってきました。このことは我々日本国民として、許すことが出来ません。大東亜戦争で命を落とされた先人達と我々の名誉と誇りを傷つけるものとなっています。それを私の「戦後70年談話」で正してゆきたいと思います。

一つ)

現在韓国が日本に対して、いわゆる「慰安婦問題」を投げかけています。朝鮮は日本軍が朝鮮女性を強制的に拉致して「慰安婦」にしたなどと、言いがかりを付けてきています。これは吉田清治という共産党員の作り話であったものを、日本の朝日新聞が嘘と知りながらさも事実であるかのように報道したことから広まったものでした。昨今その朝日新聞は、その誤報を訂正しております。
しかしながら朝鮮人女衒による朝鮮人女性の誘拐事件は多々存在し、その事実は朝鮮の新聞「東亜日報」などにたくさん存在しておりますので、もしあるとすればそれは朝鮮国内の問題であり、日本国に向かって突きつけるものではありません。韓国自身の問題です。(わかったか、朴槿恵よ)

二つ)

更に韓国は、事あるごとに「日韓併合」を植民地支配だと、論(あげつら)っておりますが、これは一概に日本による植民地支配と言われるものではありません。それは韓国の僻みと言うものです。

日本は当時の韓国政府の李完用首相の要請と当時のロシアの動きを考えて、やむを得ず韓国を合邦したものであります。決して欧米流の植民地支配をしたものではありません。
その証拠に、日本は1910年から1944年の間に朝鮮に20億8千万円、今の金に換算して62兆4千億円と言う巨額の金をつぎ込んで近代化を図ったのであり、欧米流の植民地政策では、こんなことはいたしません。収奪するだけです。日本が近代化を図った結果、米穀生産量も二倍となり、朝鮮の人口は2.5倍となったのです。

従って現在韓国の言う植民地支配は、韓国政府の捏造以外の何物でもありません。韓国は信用にたる国とはいえません。(わかったか、朝鮮人達よ)

三つ)

さて次は中国の言う1931年の9.18事変について言及しよう。これは柳条湖で日本の南満州鉄道が爆破された事件であるが、これこそコミンテルンによる満州における日本利権への数々の妨害・侵略のひとつであり、その結果、日本としては防衛せざるを得ませんでした。日本は、満州の平和確保のために自衛の戦いをせざるを得なかったものであり、責任は中国共産党にあります。満鉄爆破の犯人は、未だに誰だか確定していません。証拠も不確かなものばかりです。

四つ)

1937(S12)年8月9日に始まった「第2次上海事変」は、蒋介石軍に巣食っていた共産党員の司令官張冶中が、上海の日本人租界を大挙して攻撃してきたことから発生したもので、その理由は北伐を進めていた蒋介石軍を中国共産軍から、日本に矛先を変えさせるために仕掛けてきたものであった。結局日本軍は、張冶中軍に対抗するために内地より軍を投入せざるを得ず、日本租界を守り張冶中軍を上海より排除することが出来たが、その後も中国共産軍は南京に逃げ込み、日本への攻撃は止むことがなく、通州事件のような日本居留民への虐殺事件を防ぐ意味もあり、日本軍は蒋介石軍と戦火を交えざるを得なかったのである。
だから日中内戦は中国共産党軍により、日本が、コミンテルンの策略にそって中国内戦に引っ張り込まれてしまったものであり、日本の防衛戦争だったのである。侵略戦争などでは決してないのである。

五つ)

このように見てくると、日中戦争と言われるものは中国による日本への侵略であったと言われても仕方がないものであった。そして他のアジア諸国に対しては、欧米列強の植民地支配に対する戦いであり、決して植民地支配を目的としたものではなかったのである。その証拠に戦後アジア諸国は悉く独立を果たしていったのである。このことを鑑みてもあの大東亜戦争は国策を誤った侵略戦争などと言われるゆえんはないのであり、「村山談話」はその事実と整合しないことは明らかである。そのためここに「村山談話」は否定し、廃止することにする。

このように日本に対する誹謗・中傷を排除し、日本は大東亜戦争の事実を正確に評価し、今後とも自由陣営の一員として、未来志向で世界平和に貢献して行きたいと思っております。

(続く)
コメント
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