中国の「日本産水産物の輸入禁止解除」などは、そのことを悟られないための目くらましの一種なのであろう、日本は騙されてはいけないのである。
小泉進次郎氏のように、中国軍機に領空侵犯されても「我関せず」のように無関心では、非常に困るのである。
中国側にとっては好都合なことであろう、だから小泉進次郎氏が自民党の総裁になるべく、何らかのアクションをすでにとっているのではないのかな。
総裁候補者全員が、このことに耳目をそばだてていなければならないのだ。
果たしてわかっているのか、このことを(中国の戦争意図を)。
靖国神社への中国人による落書き事件、NHKの中国人による放送事故、そして今回の中国軍偵察機により領空侵犯、中国空母遼寧の日本接続水域の航行などは、そのためのサラミ戦術と見なければならないのだ。
中国の狡猾さに、日本は騙されてはいけないのだ。日本産水産物の輸入禁止の解除なども、その目くらましの一つと考えておくことだ。もともと日本産水産物は安心・安全なものなのだ。
一歩も二歩も、中国からは離れて、その意図を見極めることだ。中国への投資なども、ほどほどに抑えておく必要がある、ということではないのか。
さて、南京攻略戦も(城内での平定戦は)平穏に終了し、1937(S12)年は
12/17 日本軍、南京城入城式挙行
12/20頃 露店多数開店、商店営業開始、兵士たち水牛の印鑑を註文し購入。
市内は平和そのものだったとの証言。
12/24~1/7 安全区の平民登録、良民証発行。人口25万人と判明。
1938(S13)年1/1 南京自治委員会成立
という経過をたどり、南京にも平和が戻り虐殺などの事案は一切起こっておらずに、日本としては蒋介石側との和平交渉を進めてゆくことになる。
日本としては、トラウトマン駐華ドイツ大使を通じて、和平に関する日本側の条件を通告するも、蒋介石はこれを拒絶したのであった。これはすでに述べておいたものであるが、その経過を時系列的に記述しておく。 これは、
「日中戦争真逆の真相」(茂木弘道著)の第6章「和平交渉の再開」を参照しているので、ご確認願う。
1936(S11)年12月12日~26日 西安事件、蒋介石が張学良らに誘拐されて、
剿共戦を止めさせられて、国共合作となる。
1937(S12)年11月02日 日本和平条件7項目を駐日独大使ディルクセンに通
知する。(ディルクセン→トラウトマンへ)
1937(S12)年11月05日 駐華独大使トラウトマンから蒋介石に、日本側条件
を通告するも、蒋介石はこれを拒絶する。
1937(S12)年11月15日 広田外相からグルー駐日米国大使に蒋介石説得を
依頼するも、米国は対応せず。
1937(S12)年12月02日 トラウトマン、蒋介石と会談。蒋介石は日本側提案
を受諾する旨を伝える。
1937(S12)年12月07日 ディルクセン大使→広田外相、日本案受諾する、
ただし、北支の主権・領土・行政権は変更無き事。
1937(S12)年12月21日 日本側和平条件、閣議決定する。
『日本側和平条件』
1.支那は容共抗日満政策を破棄し日満両国の防共政策に協力すること。
2.所要地域に非武装地帯を設け且該各地方に特殊の機構を設置すること。
3.日満支三国間に密接なる経済協定を締結すること。
4.支那は帝国に対し所要の賠償をすること。
(別紙)
日支講和交渉条件細目
1.支那は満州国を正式に承認すること。
2.支那は排日及び反満政策を放棄すること。
3.北支及び内蒙古に非武装地帯を設定すること。
4.北支は支那主権の下に於いて日満支三国の共存共栄を実現するに適当
なる機構を設定之に広範なる権限を付与し特に日満支経済合作の実を
挙ぐること。
しかも、これまでの諸協定はすべて廃棄すべきものとしているのである。
1937(S12)年12月23日 日本側和平条件を伝達、広田外相→ディルクセン→
独外相→トラウトマン→宋美齢・蒋介石
1938(S13)年01月11日 御前会議、梅津・何応欽協定、塘沽停戦協定、土肥
原・秦徳純協定、上海停戦協定は破棄すること。
1937(S12)年12月24日 閣議、和平条件が拒否された場合は、南京政府を
相手とせず、「事変対処要領」決定する。
1937(S12)年12月27日 蒋介石、国防会議開催、日本案受け入れず。
1938(S13)年01月05日 回答期限になるも正式回答なし、1/10まで待つ。
1938(S13)年01月10日 御前会議、陸軍交渉継続主張、政府は中断の意思。
1938(S13)年01月13日 回答到着するも、「内容の範囲が広すぎるので、細
部知らせよ」というもの、拒否ではない。
1938(S13)年01月15日 打ち切りか継続か。陸軍は強硬に継続を主張、政府
は打ち切りを主張する。
1938(S13)年01月16日 「帝国政府は、爾後、国民政府を相手とせず。」と
の近衛首相声明。以後、泥沼の日中戦争へ突入。
さて、ここで今一度日本側提案の和平条件を吟味してみよう。
(続く)