世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

靖国神社に参拝しよう(15)

2008-09-27 00:02:56 | Weblog

5.内的自己実現のため、靖国神社に参拝すべし。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080906/stt0809060758004-n1.htm

の産経ニュース『[eye]福田首相の「客観」と無念「あなたとは違うんです」発言の真意は』に、「なるほどなあ」と言う記述があったのでそれを引用させてもらって、締めとしたい。

【心理学者の岸田秀さんの著作『二十世紀を精神分析する』に魅力的な記述がある。

《日本は1853年にペリーに強姦され、その屈辱感を抑圧したため、強国アメリカに従うしかないとする外的自己と、本当は復讐したいとする内的自己とに分裂し、一種の精神分裂病者になった》

ここで言う外的自己とは「外界と直接関係する領域」内的自己とは「外界との関係から不可侵の領域」と言う意味合いだ。両者の分裂による葛藤は近代日本の宿命だ、と岸田さんは言う。

[内的自己と言うものは、自己流に解釈すれば「本音」と言うべきものなのであろう。「ペリー・アメリカのやろうめ、余分なことをしやーがって、今に見ておれ」と言ったところか。]

「日本は真珠湾攻撃で葛藤の解消を図ろうとしましたが、結果はご存知の通りです。戦後は『内的自己』を抑圧して『外的自己』によって対米関係を維持していく道を選びました。しかし『内的自己』は消滅したわけではありません。日本人の中にずっとうずき続け、ことあるごとに頭をもたげてくる」

歴代首相はこの宿命に翻弄されてきたと言うのが岸田さんの分析だ。

「吉田首相の時代は敗戦のショックもあって国民に『対米従属も致し方なし』と言う諦めがあった。だからワンマンとなりえ、名宰相とうたわれた。ところが復興と共に日本人の中に『内的自己』が頭をもたげ始める。岸信介首相は対米従属の象徴とも言うべき日米安全保障条約をめぐって国民国民的憎悪の対象となってしまった。」

「外的自己」と「内的自己」の対立をもたらす相手はアメリカ一国にとどまらない。対中、対韓、対露・・・外交が複雑化するにつれ、葛藤も錯綜する。


「葛藤が解消されていない以上、日本の首相は適当にごまかしながら職務を遂行する以外に道はない。非常に疲れると思います」と、岸田さんは首相の立場を思いやる。たとえ首相の決断が国益を考え抜いた末のものであっても、それが安易に「外的自己」を優先したように映れば、国民の不興を買う。
(続く)
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