民主主義では、国民一人ひとりの能力を生かそうとする。そのための民主教育がなされる。他人を尊重しよう、とか、他人の意見を聞こうなどはごく当たり前のこととして、実践される。それは自分も認めてもらい、他人とお互いに議論し協力していくことが、結局は生活を好くする事につながることを本能的に知っているからである。政府も、国民一人ひとりにいちいち目をつけていなくても、国民一人ひとりがその場その場で判断してよい方向へ行動してくれると信じているからである。その国民の動きが、国を富ませて日本を豊かにしてゆくことにつながっているのである。もちろん国民の中には悪い奴もいる。だからいろんな決まりや罰則が出来ているのである。しかし基本は国民の自由な考えと創意あふれる行動が基盤である。これが自由主義、自由民権の主旨である、と小生は理解している。
この(11)章,(12)章の中国国内での事例を見るにつけ、中国には自由と人権が無い国であることがよくわかる。だから中国人は自分さえよければよし、とする共産党の人民なのだ。中国のような巨大な国土と人民を有する国であればこそ、この自由な考えと創意あふれる行動が必要なのだ。それなのに、中国共産党政府は、その真反対のことをやっている。すなわち何時のことだったか忘れたが、中国の要人が米国の要人に「米国と中国が入れ替わっていたら、米国もきっと中国では共産党と同じ考えで政治を司(つかさど)っていることであろう」と言ったという。この要人は、胡錦濤か温家宝だったのではないかと思うのだが、こいつら本当に馬鹿でないかい!。中国のように馬鹿でかいところでこそ、民主政治が必要なのだ。国民一人ひとりの能力を、自由にもっともっと生かすような政治をしなければ、中国はよくならないのである。こいつら共産党のドグマに凝り固まっているので、自由主義国の自由で闊達な民主政治が怖くて怖くて仕方ないのであろう。中国での富裕層が幾分でも育ってきているのは、この自由な考えと創意溢れる一部の人民の行動ではなかったかな。創意工夫と試行錯誤で民主政治も、よくなってゆくのである。そこがわからないようでは、中国も限界が来るであろう。四川大地震はそんな中国に与えた試練ではなかったかな。'09.06.27のNHKの四川大地震の報道にはお涙頂戴の視点ばかりで何の価値もなかった。NHKもコミンテルンの毒牙に染まっている。気をつけることだ。
(続く)