美しい瞬間
WBCは対プエルトリコ戦(準決勝戦)で敗退という結果となった。
でも物は考えよう。現役メジャーリーガーが一人も参加しないというメンバーでよく準決勝までこぎつけたと思う。三大会連続、準決勝まで勝ち進んだのは日本だけだというのだもの。
今大会では、何んと言っても日本での台湾戦が印象に残る。九回表二死から鳥谷の果敢な二盗スチールが功を奏して(井端の適時打で)同点に追いつき、十回表に中田の犠牲フライで1点を奪い、逆転勝利した。四時間三十七分という長時間ゲームだったが観客達は席を立つことができなかった。そのあげくの、うれしいカタルシスだった。
それだけでも歴史に残る好ゲームだったのだが、実は、その試合の背景には日本と台湾の心の交流を物語る貴重な秘話があったという。私はそのことを報道番組『Mr.サンデー』で知った。
発端となったのは一つのツイッターだったという。台湾は3.11の東日本大震災の時、どこの国よりも多くの義捐金を提供してくれ、また、いち早く救援隊を送ってくれた。それに答えるために、日本の観客たちは客席で感謝のプラカードを掲げようではないか---ということを呼びかけるツイッターが流され、そのツイッターに賛同する人は多く、観客席には「台湾謝謝」といったプラカードが多く見られたという。
もともと台湾に野球を持ち込んだのは日本だった。日本が台湾を統治していた時代、というから百年ぐらいの昔、日本は台湾に野球を教え、広めたのだった。そういう歴史的経緯もある。
四時間三十七分の死闘に敗れた台湾チームはそこで思いがけない行動を取った。負けて口惜しがるのではなく、マウンドを中心に大きな円陣を組み、観客席に向かって深く一礼したのだった!観客席からは大きな拍手が湧いた。
日本と台湾、両者のリスペクトの念が一つに溶け合った、貴重な光景だった。
私はこういうシーンにヨワイ。思わず涙が噴出してしまう。常日頃、台湾も含め近隣諸国の領土・領海侵犯のあれこれには不快な思いを抱かずにはいられないでいるのだけれど、「そうか、野球を通じて、つかのま、こういう美しい瞬間を見ることもできるのか」と思わずにはいられなかった。
・・・・・・(略)
と記述されていた。これも台湾と日本の関係の強さを表しているものであろう。次の記事も参考のため掲げておくので、是非読んでいただきたい。
2011.05.17 MSN Sankei Photo NEWS
【東日本大震災】No.75 台湾義捐金 「世界最高額」の背景」
東日本大震災で、台湾からの義援金総額が5月上旬、約160億円(約57億台湾元)にのぼった。同規模の米国に比べ、台湾は人口10分の1以下の2300万人。平均所得が年約2万ドル(約160万円)であることを考慮すれば「世界最高額」といえる。突出した親日ぶりの背景には何があるのか。
日本の支援への恩返し
台湾紙「自由時報」や「中国時報」などの電子版によると、馬英九総統(66)は5月5日、台湾を訪れて「台湾の支援に感謝を伝えた」という衛藤征士郎衆院副議長(70)に、巨額の義援金は「台湾中部大地震(1999年)や台風による豪雨被害(2009年)で日本から受けた支援への恩返し」と説明した。4月下旬に来日し、一部義援金の日本への贈呈式に出席した王金平・立法院長(70)=国会議長に相当=は、5月12日にも観光業者ら約300人を率いて北海道を訪問し、日本の安全性をアピールした。
馬総統の指摘通り、台湾のこれまでの自然災害で日本が台湾に寄せた多額の義援金や、救助隊の派遣、仮設住宅の提供などは台湾の人々の記憶に鮮明に残っている。今回、台湾赤十字を通じ、義援金約1万4000円(500台湾元)を寄せたという台北市在住の元小学校教師は「情けは人のためならず」と、日本語で動機を説明。菅直人首相(64)が4月11日、米英などの7紙に感謝広告を出した際、台湾が対象から外れた件についても「親類に礼状は不要。日本の感謝の意は別の形で伝わっているから問題ないよ」と寛大だ。台湾外交部(外務省に相当)も今回の義援金は「民間、小口が中心だった」としている。
約半世紀の歴史を共有
こうした対日支援の手厚さは、日清戦争の下関条約(1895年)から第二次世界大戦の終戦(1945年)まで、約半世紀の歴史をともにした「本省人(台湾籍)が持つ親日感情と絆の産物」と一般的に解釈されている。だが、日本統治時代をよく知る世代はすでに80歳以上で、社会の一線から退いて久しい。
同時に、国共内戦に敗れて中国大陸から台湾に流入、中国人の視点で総じて日本に厳しいとされる外省人(中国大陸籍)も世代交代し、出身地の違いによる隔たりは対日観も含めて薄らいでいる。
外省人エリート家庭出身の馬総統は、経済活性化を目指して対中接近姿勢を強く打ち出すとともに、尖閣諸島の領有権などでは厳しい対日観を持つとされたが、震災発生直後の義援金募集イベントには夫人とともに駆けつけて協力。また、5月8日には台湾南部・台南市官田区の烏山頭ダムを訪れ、日本統治時代の1930年、このダムを建設した金沢出身の日本人技師、八田與一(1886~1942年)の業績をたたえる記念公園の開園式にも出席した。
公園造営自体が馬総統の指示で、「自由時報」は馬総統の「私は日本の最良の友人」とのアピールを日本メディアも報じたと、反日イメージからの脱却姿勢を伝えた。
来年の総統選を意識か
今回の震災では台湾も約550億円もの経済的損失を被る可能性が指摘されており、台湾政治が専門の学者の1人は、日台の緊密な経済関係から、「来年1月に再選のかかる総統選を控え、馬総統が、より親日的と目されがちな野党(民主進歩党)の女性総統候補、蔡英文氏(54)との対決で、無用に日本側世論を敵に回さぬ配慮」とみている。
しかし、台湾外交部の元高官は、「一部には実利的理由もあるだろうが、戦後、国民党政権の腐敗と横暴が本省人を苦しめ、『日本時代はよかった』と懐かしんだように、急激な対中接近の結果、札束かざして土産物を買いあさる中国大陸からの観光客のマナーの悪さが当時と二重写しとなり、台湾全体の親日回帰に拍車をかけたのでは」との見方を示している。 (国際アナリスト EX)
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/05/0517taiwan/
この記事には沢山の写真が添えられているので、是非ともこのURLを訪れてみてほしい。更にはここに述べられている烏山東(うさんとう)ダムの八田与一技師の話は、2011.10.18の小生のブログ「日韓併合100年、NO.174」を参照されるとよい。台湾で日本人が好意をもって迎えられていることの理由の一端でも知ることができる。
また2013.3.8(金)の2次ラウンド(東京ラウンド)の台湾戦については、次のyoutubeなどを参照されるとよい。
謝謝台湾3.11支援WBC2013
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=Sgl5cUZ7r5o&NR=1
ここには関連する動画も沢山載っているので、是非削除される前に視聴願いたい。きっと感ずるものがあると思います。これを機会に、お互いにリスペクトしあうと言うことでただ単に感傷的にならずに、その対象となった代表としての大本(おおもと)である自分の国というものの存在の大きさにも心を配りたいものである。そのためには自分の国の存在が、無事維持されていることに感謝しなければならないのであり、その存在を自分達で守ることがいかに大切かということも感じていただきたいものです。
といったところで、このテーマは終了することにしよう。
(この項、終り)