世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

国慶節に思う。(15)

2009-10-31 09:48:43 | Weblog

アイデアの格闘技

何か欧州が提案をする場合には,それと同じだけの労力をもって互角の提案をし,説得をしないと,論破されてしまう.

米国は ときどきそれを試みる.京都議定書の排出権取引は 抜け穴であって制限すべし,という欧州の主張に対しては,欧州内で 無制限に排出量の取引を認めている 欧州バブルに同様な制限を課さないのはおかしい と主張した.これが奏功して,マラケシュ合意では 排出権取引への制限は付かなかった.罰則に関する交渉では,欧州は 不遵守の場合の罰金などを提案したが,米国はこれに対抗して,米国なみの法システムを作るべしといったことを主張した.これは 結局 最後には双方とも降りて,不遵守の場合は 1.3 倍の排出量を 後で返すことに決着した.

このあたりまでは,まだまともな議論という気がするが,そればかりではない.欧州は,無理難題も 沢山言ってくる.京都議定書の基準年も,再生可能エネルギー提案もそうである.

自分だけに都合のいいことを主張すると,相手には受け入れられない.これは当然だが,この当然のことは,遠く隔たった国の事柄となると,当事者が懇切丁寧に反論しない限り,なかなかよくわからないのである.

懇切丁寧に言ったとて,それでは足らず,相手から無理難題を なお言われる場合もある.そのような場合は,あべこべに無理難題を言って,交渉するというやり方もある.そうしてはじめて,無理難題であるということを 相手に分からせることができる.

例えば,欧州が 再生可能エネルギーの導入目標を主張しているが,これには どう対抗すればよいか.国ごとに エネルギー賦存状況が違うので,一律の目標など無理だ,というのが正論である.しかし,これを言うだけでは日本のイメージは下がり,欧州が環境に優しい というイメージを上げることに 加担するだけになる.目標をオープンに提示されて,それを はねつけるだけでは,相手の思うつぼに はまる.

交渉の技術としては,もっと進んでよい.欧州式に,自分の都合よいことを挙げて 相手に押付けるような議論は いくらでも展開できる.例えば,議論の種として,「自動車の制限速度は 100 キロを上限とする」という 議定書を提案してみればよい.日本は 当然それを達成できる.そして,これはどう見ても環境に良い.そして,これは欧州にとっては 絶対に受け入れられない.ドイツ人は車で飛ばすのが好きで,高速道路では時速無制限,おっきなベンツが 時速 200 キロで走っているからだ.相手の議論が乱暴なら,このくらい乱暴な議論で対抗しないといけない.

自動車のスピード制限だけではない.このようなものは,いくらでも思いつく.例えば 肉の消費量を 一人当たり一日平均 100 グラムに 制限する というような議定書はどうだろうか.肉食が 地球環境に対して大きなプレッシャーを与えていることは間違いない.あるいは,国土に占める森林面積を 60% にするべしという議定書でもよい.要は,かかる議定書ならば,日本はまったく努力しなくて達成できるし,環境によいことも明白である 一方で,欧州には 絶対受け入れられない.ナンセンスなようでいて,実は,京都議定書も 再生可能エネルギー目標も,似たようなことを 逆の立場で聞いているだけである.

このような 手前勝手な議定書を提案する日本人がいないというのは,個人的には好感が持てる.しかし,世界レベルでは,合意しようがないことがあるということを,欧州に分からせるためには,これくらいの喩えも有益だろう.

日本人の習性として,「欧州では」といわれると弱い.しかし,「欧州では」という議論で 引き合いに出てくる欧州なるものは,それを引用している人の 幻想の中の欧州に過ぎない場合も多い.京都議定書の数値目標も,再生可能エネルギー導入目標も,その内実は,ここで述べたようなことなのだ.

複線交渉のすすめ

以上,やや品が無いながら,手前勝手な議論には 反駁しなければならないことを 述べたつもりである.これは国益を守るためのみではない.むしろ,まともな制度作りに寄与することが大きい.以下では,これを「複線交渉」を通じて行う必要を 述べる.

欧州内部の議論であれば,勝手に内部でやってくれればよいが,国際的な議定書をつくるときまで 同じでは 困る.必要なことは,彼らが内部だけで議論せず,本当に 国際的に通用するような議論をするように,交渉の早い段階で 関与してあげることである.これは日本の国益を守るということにも有益だが,のみならず,世界規模での合意を図るという,世界のための利益を図ることでもある.また 欧州の人々にとっても有益である.せっかくの議論が,空論になってしまうことを回避し,本当に 世界にとって有益な合意にするためである.

欧州は 全体で陰謀をつくり出すというようなものではないが,まず 欧州内で徹底して議論して,欧州のポジションを決めてから 外部と話しをするから,どうしても 彼らにとって 全体として都合のいい話しか 出てこない.また,大勢で決めたことであるから,事後的なポジションの変更が効きにくく,強硬な印象を受ける.

面白い話がある.COP 6 で会った欧州連合の友人に,どうして欧州連合の交渉ポジションは そうも頑ななのかと聞くと,答えたことは,「欧州は すでに内部で調整を終えた.欧州は すでに決定した事項を交渉をしている. COP で交渉していることは,これから交渉すべきことではなく,われわれにとっては 交渉が終わったことなのだ」と言っていた.言いえて妙である.

京都議定書が 米国,オーストラリア,カナダなどの離脱という事態を迎えた今,欧州以外の国々が参加できるために,早い段階から それらの国々を交渉に参加させたほうがよい という考え方は,欧州の人々にとっても 説得力があることだろう.

ひとくちに「交渉」といってきたが,このような交渉は,国レベルの交渉だけを指すのではなく,もっと広い概念をイメージしている.もちろん正式な外交交渉は 国が窓口となって行うのだが,実は 正式な外交交渉以上に,それに先立つ研究活動が 重要になる.なぜならば,正式な外交交渉においては,交渉にあたるスタッフも限られているし,期間も短く,国益の調整が 主な作業になるからである.それに,交渉は 徒手空拳でするものではない.議定書の骨格となるような 主要なアイデアは,正式の交渉プロセス そのものから出てくるものではなく,それに先立つ 研究活動 から出てくる.

欧米の研究所は,正式な国際交渉に先立つ形で,議定書や条約のあり方を模索するために 研究活動を行う.そこでは,識者や利害関係者を集めたワークショップが多用される.かかる活動に 日本も おおいに参加せねばならない.そこには企業,NGO,研究者など あらゆる人たちが参加して,討論を重ね,共著で論文を書く といったことをしなければならない.頻繁に情報交換をするというだけでも,もちろん無いよりは良いのだが,やはり,共同作業をして ひとつの文章を作り込んでいくということが,考え方を整理し,共有するには 非常に重要な作業になる.バックグラウンドの異なる人々が 一堂に会して,それぞれの国の状況,利害得失,特徴などを 相手に分からせることは 大変に難しい.そのために,じっくり腰を据えて そのような共同作業をする必要がある.

これまで日本においては そのような活動は あまり行われてこなかった.このような作業は MIT のサスカインドによって パラレル・ネゴシエーション(複線交渉)と呼ばれている.こういうとやや大袈裟だが,要は 複数のチャンネルで,政府のみならず,当事者になる民間の人々も含めて,どのような国際的な枠組みが望ましいかを,一緒になって考えていこう ということである.
(続く)
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国慶節に思う。(14)

2009-10-30 12:29:57 | Weblog

この小生のブログ、2009年10月21日の「国慶節に思う。(6)」には、日本の省エネ状況の数値データがある。如何に日本が省エネであるが、今一度確認して欲しい。更にその前日の10月20日の「国慶節に思う。(5)」には、2006年のCO2の国別の排出量の一覧表がある。それによるとアメリカは地球全体の21.1%、中国は20.6%ものCO2を排出しているのであり、その中国は2007年には8%も排出量が上昇しているのである。アメリカは変わらずのため、2007年は中国が世界で最大のCO2排出国となったのである。日本の効率的な排出量の少なさの数字を見て、更に日本の排出量の世界に占める割合がたったの4.5%であることを見れば、日本は京都議定書から抜けても良かったのであり、ポスト京都議定書からも抜けても良いのである。ご承知だとは思うが、京都議定書からは、米国、カナダ、オーストラリアは、当の昔に離脱している。結果として日本は、EUにうまく丸め込まれたと言っても良い事態なのである。COP15では、日本は堂々と離脱を宣言すればよい。理由は明白である、「お前らも早く日本のレベルまで効率を上げよ。日本が参加するのはそれからだ。」と言えばよいのである。言っておくがEUは、東欧諸国も含む15カ国の排出量の平均値が用いられているのである。現在はEUは27カ国となっており、COPではその平均値を取ってよいことになっている。これは相当EUに有利に働くことを意味する。日本はEUとまともに対抗する必要はない。

ここら辺の事情は次の論文を参照願いたい。かなり長いものであるが、ご一読願う。



まともな議定書の作り方 ― 京都議定書の失敗を繰り返すな 200301010000

http://www.climate-experts.info/Sugiyama_11.html

要約

米国,オーストラリア,カナダが離脱し,京都議定書は 日本・欧州・ロシアしか参加しない失敗作になった 【松尾註: 結局,カナダは 100 番目の国として,京都議定書に批准した】.この根本原因は,1990 年を基準年として数値目標を設定する 欧州にのみ都合がよい骨組みにある.なぜそうなったのか.悪意でも陰謀でもなく,欧州内の狭い範囲で議論をした結果である.これから同じ過ちを繰り返さないためには,どうすればよいか.政府交渉に先だち,「複線交渉」なる国際共同作業によって,議定書の骨組みを 幅広く研究する必要がある.

本文

京都議定書は惨憺たるものになってしまった.厳しい数値目標を被っているのは事実上,日本だけである.アメリカは離脱した.欧州の数値目標は緩い.ロシアの排出枠は余っている.

京都議定書と同じ過ちを繰り返さないために,これからの温暖化防止の国際制度のあり方はどのようにしたらよいか,先月号迄で 詳しく議論をした.

今月は,どのような制度であれ,より適切な制度に落ち着くための望ましい「手段」のあり方に焦点を絞る.先月号までは,「どのような」制度にすべきか を 論じたわけであるが,今月は,「どのように」すれば よりよい制度が実現できるか を考える.

なぜ 1990 年が基準年になったのか

まずは,京都議定書の悪しき結果が,どのようにしてもたらされたかを考えよう.たとえば,上述の,「日本だけに厳しい」という片務性は,どのようにして生まれてきたか.

片務性の起源は,1990 年を基準にして 排出削減量のパーセンテージを約束するという,京都議定書の枠組み そのものにある.欧州では,1989 年から東欧の経済崩壊があり,また 天然ガスへの転換があるために,偶然 1990 年ごろが 排出量のピークになった.このため,これを基準年にすると,非常に都合よく,数値目標を「見かけ上野心的に」設定できた.

それでは 一体,どのようにして,この我田引水的な枠組みが実現されたのか.
もともと,基準となる年次を決めて そこからの排出削減量を論じるというやり方は,多くの環境条約で行われてきた.特に 欧州においては,酸性雨条約の下,多くの議定書があり,それらの議定書では すべてこのような「目標年と数値目標方式」 (Target and Time Table という) で目標設定してきた.

このため,京都会議準備会合などの場で 議定書に関する議論が始まった時に,この 基準年と数値目標が 真っ先に俎上になったのは,自然な成り行きである.そして,欧州内部で議論をしている限りにおいては,基準年の選択として,1990 年に落ち着く以外には ありえなかった.なぜならば,彼らの内部調整においては,これが 数値目標の見かけ上の野心性が表れる 唯一の選択であったからだ.

そして,京都会議においても,欧州は,1990 年を基準とするという点については,頑として譲らなかった.これが欧州にとって 死活的に重要な点であることを 熟知していたからである.

欧州の狭い議論が破綻した

かかるプロセスの結果として出来た,欧州に都合のよい枠組みについて,これを「欧州の陰謀である」といった言い方をする人がいる.しかし,これは実のところ,全く陰謀などではない.単に 彼らが自分たちの中だけで議論したときに,そこに議論が落ち着かざるを得なかった,という実態の表れにすぎない.

問題なのは,このようにして欧州の中だけでした議論は,世界的な普遍性を持ち得ない ということである.結局 この 1990 年という基準年設定が 仇となって,京都議定書は破綻した.米国は,京都会議の時点においては,クリントン政権であったことから,見かけ上 野心的な数値目標に参加することに 意欲的であった.このタイミングで 京都会議があったために,米国も数値目標を 野心的に設定したわけであるが,これは そもそも無理難題であった.このことが,後に 米国が京都議定書から 離脱する理由になったし,これに引き続いて カナダなどの国々が結局は離脱してしまい,欧州以外では,日本が残るのみとなった.

「欧州の陰謀」が 仮にあったなら,それは ずいぶんお粗末な結果を 迎えてしまったといえる.実際のところは,陰謀などは不可能である.京都議定書のような 複雑な国際交渉において,一部の人が全体を見回し,陰謀を巡らし,それを実現するなどということは できない.それでも陰謀説を唱える人がいれば,その陰謀というのは どこで生まれて誰が実施しているのか,と聞いてみればよい.答えられる人は誰もいない.陰謀と言って片付けて,分析を放棄するのでは,コトは改善しない.

問題は,欧州内部の議論が,欧州の中だけで収束してしまい,それが欧州外部にとって 実施可能な枠組みにならなかったことだ.「それではうまくいかない,それでは 世界的なシステムはうまく構築できない」ということを言って 説得してあげる人がいればよかった.

欧州は環境にやさしいか?

京都議定書交渉において,欧州連合は,環境にやさしいイメージをうまく形作った.しかし,これは「1990 年基準で排出削減量を決める」という,その土俵の設定の枠内でしか 通用しない.

そして,これは,たまたま自分たちにとって都合がよく,あまり努力しなくても達成できるものになっている.

土俵の設定次第では,日本は欧州に比べて全く遜色がない.例えば,一人当たり CO2 排出量ということであれば,日本は欧州と同水準である.また,あらゆるエネルギー利用効率において,日本は欧州にひけをとらない.

日本も,欧州に負けずに,交渉の早い段階で,自分のほうが優れている点は見つけて,うまく世論をバックにしていく必要があったが,これができなかったことが 間違いのもとだった.

先ごろ開催されたヨハネスブルク環境・開発サミットにおいても,欧州連合は 再生可能エネルギーを「世界の全エネルギーの 15% にする」,「先進国はシェアを 2% 増やす」といった 数値目標を掲げていた.結局 これは 他の国々からの猛反対で立ち消えになったが,これとて,欧州は,たまたま自分たちにとって 実現可能なものを とりたてて言ったものだろう.

非常に環境に優しいようなイメージを与えるけれども,実際はそんなことはない.ただ,あまりにもプロパガンダがうまいので,欧州は環境に優しい というイメージが うまく刷り込まれてしまう.

(続く)
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国慶節に思う。(13)

2009-10-29 18:36:23 | Weblog

このことは、日本としては真剣に考えなければならない。マスキー法のように、法制化して強制されて、何とか日本の自動車メーカーは技術開発に努力して排ガス規制をクリアしてきた例を基に、CO2の25%削減も何とかなるであろう、などと現(うつつ)を抜かす技術馬鹿も実際には存在している。これがまた問題なのである。

マスキー法は1970年12月に改正された法律で、1975年以降に生産される自動車の排気ガス規制であり、次のようなものである。

1975年以降の生産車は、一酸化炭素CO2、炭化水素HCの排出 量を1971年型の1/10以下にする。
  
1976年以降の生産車の窒素酸化物NOXの排出量は、1971年型の1/10以下にする。

そして、未達成車の販売は認めない、と言うものであった。しかしこの規制はクリア不可能と言われるほど厳しいもので、自動車メーカーからの反発も激しく結局実施期限を待たずに1974年にアメリカでは廃案となっている。日本では1978年(S53)から、マスキー法と同じ基準での規制が昭和53年規制として実施された。

アメリカではその後排気ガス規制自体は少しずつ進み、1995年にようやくマスキー法基準に達した。しかし排気ガス対策で遅れをとったアメリカの自動車業界は、その後衰退の一途をたどり、今日の米国自動車産業崩壊の兆しとなったのである。

マスキー法の対象は自動車と言う工業生産品目に対する排気ガス規制であり、そのため自動車メーカー関連だけが頑張ればよかったものであったが、鳩山の「1990年比で2020年までに、温室効果ガスを25%削減する」と言うものは、日本国全体に関連するものであり、マスキー法などとは全く比べ物にならない。製造メーカーだけがCO2を25%削減すればよい、と言うものではないのである。それはそれで頑張ればよいのであるが、生産、物流、交通、商業、エネルギー、教育、医療、福祉、防衛、政治、経済、社会活動すべてに関係するものである。しかもどのようにCO2を削減してゆくかと言った技術的、経済的、社会的な検討は、全くなされていないものである。ただ、日本だけが約束するものではなく、各国が参加して国際的に削減してゆく枠組みの構築が条件だ、と言うのが唯一の救いである。ただし、救いになるには、それなりの条件がある。中国やインドにも、それ相応のCO2の削減目標が課せられなければ成らないのである。また仮に、日本が25%削減が出来なかった時には、百何十兆円も金を出して排出枠を購入し、更に途上国の支援のために相当の資金提供を行わなければ成らないのである。そんなところに金を出すくらいなら、日本国内の不況対策に金を回してもらいたいものである

ただ単に技術的に革新が起こり、削減が達成出来る様になる筈であり、新しい投資も呼び景気回復にもなる、などと言った視点だけで25%削減に賛成する輩は、日本人の風上にも置けない単純人なのである。きっとこんな単純な輩がもっぱら民主党に投票したのであろう。これは恐ろしいことである。自動車が電気自動車や燃料電池車に変われば事足りる、などといった単純なことではないのである。それはそれで大変難しいことではあるが、CO2を25%~35%も社会全体で削減しなければならない と言うことは、場合よっては日本から工場がなくなりかねない事態をも想定されるのである。

(Wikipediaによると)1990年と言う年は、3月に不動産融資の貸し出し規制が施行され、株価が暴落し長く続いた好景気の終わりを告げる年となった。同年末にはバブルが崩壊し日本経済の「暗黒の10年」に突入するのである。更に好景気の中、石油ショック以降日本の不断の省エネ努力が実を結び、その結果が現れ始めた年にもなったのである。

第一次石油ショックは、1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争が契機となった。OPEC石油輸出国機構が原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルに引き上げを発表し、更に同年年末には1974年1月からは更に11.65ドルに引き上げる決定を下した。石油価格の上昇はエネルギーを中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かし、日本では便乗値上げなどでインフレが加速し投資需要も縮小し、高度経済成長が終焉した。翌年の1974年には-1.2%と言う戦後初めてのマイナス成長を経験することとなった。

第2次オイルショックは、1978年イラン革命によりイランでの石油生産が中断したことから引き起こされた。そして1980年のイラン・イラク戦争を機に、原油価格は30~40ドルまでに上昇した。

そのため日本は国を挙げて省エネ技術を開発していったのである。その結果1990年頃には、省エネ対策が相当進んだのである。その年が京都議定書の基準年となったのである。

そして欧州では1989年11月9日ベルリンの壁」が突如として取り壊され、東西冷戦も薄れてゆき、世界の誰もが想像しない速さで東西ドイツは正式に統一された。1990年10月3日のことであった。そして東欧の経済は混乱状態となり、この年がCO2の排出量のピークとなったのである。そのためこの年を基準年とするとEUには非常に都合がよく、数値目標は如何様にも設定できる状態であった、と言う。1990年基準では、日本はそれまでの血の滲むような努力は省みられず、反対にEUは左団扇で高い削減目標を設定出来たのである。鳩山の25%削減目標には、EUでは褒め称えている傍らで、舌を出してほくそ笑まれたのである。そのため麻生首相は、2005年を基準年としたのである。
(続く)
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国慶節に思う。(12)

2009-10-28 18:04:36 | Weblog

この演説は一寸長いので、自分なりに次に要約してみる。


オバマ大統領の演説の要約

(1)気候変動の脅威が深刻かつ切迫しており、さらに拡大しつつあることが認識される。そのため 修復することのできない壊滅的な状況を将来の世代に残す危険が増大する。

(2)米国政府は、再生可能エネルギーに過去最大の投資を行っています。連邦下院が6月にエネルギー・気候法案を可決しました。

(3)米国で「エネルギーと気候に関する主要経済国フォーラム」の第1回会合を開催した。

(4)すべての国が力を合わせて実行しなければなりません。急速に発展する開発途上国が、今後何十年間かにわたり、世界の炭素排出量増加分のほとんどすべてを生み出す。

(5) 途上国は国内で強力な措置を取ることを約束し、先進諸国が自らの約束を守らなければならないように、途上国もそれぞれの約束を守ることに同意する必要があります。
 温室効果ガス排出量の最も多い国々がそろって行動しなければ、この難題に対処することはできません。
 米国や中国などは気候変動と闘う資源を持っている。

(6) 私たちには、これらの国々が気候変動の影響に適応し、低炭素型開発を追求するために必要な財政的・技術的支援を提供する責任があります。すべての国家が地球を危険にさらさずに発展し、生活水準を高められるような合意を求めている。

(7)柔軟かつ実務的な態度で、協力してたゆまぬ努力をする決意を固めることができれば、私たちは共通の目標を達成することができる。
  2020年の目標および2050年の長期目標を達成するため米国はCO2を削減する。

有体(ありてい)に(隠さずありのままに)言うと、今まで排出したCO2は先進国の責任だが、途上国もこれから更に多くのCO2を排出する事になるから、削減の約束をする必要がある。中国は既にCO2を削減する力があるが、力の無い途上国には、先進国は金と技術の支援をする。2020年と2050年の目標を決めて、達成に努力しようではないか。

と言ったところである。オバマは、米国や中国は気候変動と戦う資源を持っていると明確に言っている。世界の唯一の超大国のアメリカは、「お前さんは既に超一流の軍事力を持っているのだから環境対策に舵を切れ」と、もっと強く中国に(CO2削減を)迫るべきなのである。そのためにオバマは今年の4月にわざわざ世界の首脳を米国に呼んで「エネルギーと気候に関する主要経済国フォーラム(MFE)」の第1回会合を開催したのではなかったか。

ここら辺の事情は既に小生のブログでも言及している。'09.7.24から'09.7.31の「尖閣諸島問題(92~96)」を、再度参照願いたい。


オバマ大統領の後には、胡錦濤や鳩山首相などが温暖化問題で演説している。ここで鳩山の25%削減が飛び出したのである。既にそのことは表明済みなので飛び出したと言うよりも、新首相として大見得を切ったのである。京都議定書の第一約束期間の2008年から2012年までに1990年比6%の削減は困難である。なんとなれば、2008年に発表された数字では、2006年のCO2排出量は1990年比6.4%も増加しているからである。そしてこの増加分は2013年以降の目標に1.3倍して上積みされて、削減しなければならないのである(または何兆円もの金で、排出権を買う事になる)。だからもし25%が日本の第二約束期間(2013年~2017年)の削減目標に決まれば、それに追加されて30%から35%の削減が義務付けられてしまうのである。もちろん日本経済が競争力を持って削減できればそれに越したことは無いのだが、果たしてそれはどうしたら可能となるのであろうか。25%削減は2020年までの数字であるので、第二約束期間(2013年~2017年)の目標数字が-(25+6.4×1.3)=-33.32%とは成らないのだが、それなりに厳しい数字となることは確かであろう。

6.4%について
http://www.jccca.org/content/view/1043/784/ によると対基準年に対して6.4%+となっている。

(続く)
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国慶節に思う。(11)

2009-10-27 14:50:52 | Weblog

一寸長くなるが、そのオバマの演説を次に載せよう。



国連気候変動サミットにおけるオバマ大統領の演説200909220000
ホワイトハウス報道官室
2009年9月22日、ニューヨーク国連本部


 どうもありがとうございます。おはようございます。このサミットを主催された潘基文国連事務総長、そしてサミットに参加されている各国首脳の皆さまにお礼を申し上げます。本日これだけ多くの人々がここに集まったという事実は、気候変動の脅威が深刻かつ切迫しており、さらに拡大しつつあることが認識されているからです。この難題に対する私たちの世代の対応の是非は、歴史によって判断されることになるでしょう。なぜなら、私たちが大胆かつ迅速に、力を合わせてこの問題に対処しなければ、修復することのできない壊滅的な状況を将来の世代に残す危険を冒すことになるからです。
         
 大国か小国か、豊かな国か貧しい国かにかかわらず、気候変動の影響を逃れることができる国家はありません。海面の上昇は、世界中の海岸に脅威をもたらします。嵐や洪水が激しさを増せば、すべての大陸に脅威をもたらします。干ばつや農作物の不作が増えれば、既に飢餓や紛争がはびこる地域で、さらに飢餓と紛争を引き起こすことになります。陸地が縮小している島々では、既に住民が家を捨てて避難し、気候難民となることを余儀なくされています。各国と各国民の安全保障と安定、つまり私たちの繁栄、健康、そして安全が危機にひんしています。そして、この流れを逆転させることができる時間は残り少なくなっています。
                    
 しかし、流れを逆転させることは可能です。かつてジョン・F・ケネディ大統領は、「われわれの問題は人間がつくり出した問題であり、従って人間が解決することのできる問題である」と述べました。人類があまりに長い間、気候変動の脅威への対応でも、脅威の大きさの認識においても、迅速に行動してこなかったことは事実です。それは私自身の国についても言えます。私たちはそのことを認識しています。しかし時代は変わりました。新しい時代が来たのです。米国はこの8カ月間に、クリーンエネルギーの推進と炭素汚染の削減に向けての措置を、過去のどの時代よりも多く取ってきた、と私は誇りを持って言うことができます。
        
 米国政府は、再生可能エネルギーに過去最大の投資を行っています。これは、風力およびその他の再生可能エネルギー源による発電能力を、3年間で倍増させることを目的としています。全米各地で、起業家たちが、融資保証や税額控除といった支援を受けて、風力タービン、太陽電池パネル、ハイブリッド車用のバッテリーを製造しています。こうしたプロジェクトは、新たな雇用を創出し、新しい産業を生み出しています。また、住宅、ビル、家電製品の無駄なエネルギー消費を減らすために、何十億ドルもの投資を行い、それによって米国の家庭のエネルギー費用削減に貢献しています。
         
 私たちは、すべての新しい乗用車およびトラックの燃費向上と温室効果ガスによる汚染削減を目指す、国としての初めての政策を提案しました。この基準は、消費者のコスト節減と米国の石油消費削減にも貢献します。また、米国初の海上風力発電プロジェクトに取り組んでいます。米国の石炭火力発電所から排出される汚染物質を除去するために、二酸化炭素回収に多額の投資を行っています。そして、今週、私たちは史上初めて、全米各地で温室効果ガスの排出量の追跡を始めることを発表しました。
           
 今週私は、G20の各国代表と協力して、気候変動への対応を強化するために化石燃料への補助金制度を段階的に廃止する作業を進めます。また、このところの米国の総排出量の減少は、再生可能エネルギーの利用拡大と効率性向上の促進がひとつの要因となっていることが、既に明らかになっています。
 最も重要なこととして、連邦下院が6月にエネルギー・気候法案を可決しました。この法案により、クリーンエネルギーがようやく、米国の企業にとって採算の取れるエネルギーになるとともに、温室効果ガスの排出量が大幅に削減されることになります。上院の委員会のひとつが既にこの法案の審議を始めており、今後ほかの委員会とも協力していくことを期待しています。
         
 いかなる国家も、この課題に単独で対処することはできません。従って米国は、この課題の解決策を見つけるために、これまでにも増して多くの同盟国やパートナー諸国と協力しています。4月に、私たちは米国で「エネルギーと気候に関する主要経済国フォーラム」の第1回会合を開催しました。それ以降、会合は6回開催されています。トリニダードでは、私は米州エネルギー気候パートナーシップの結成を提案しました。また世界銀行を通じて、開発途上国での再生可能エネルギー・プロジェクトおよび技術の推進に取り組んできました。そして、中国、ブラジル、インド、メキシコ、さらにはアフリカ大陸からヨーロッパ大陸まで、さまざまな国々との関係において、気候変動問題を外交上の課題の優先事項としてきました。
          
 総合すると、これらの措置は、米国民と米国政府による前例のない認識の高さを表すものです。私たちは、気候変動の脅威の深刻さを理解しています。行動する決意を固めています。そして、未来の世代に対する責任を果たします。
             
 しかし、多くの国々が大胆な措置を取り、こうした決意を共有していますが、私たちが本日ここに集まっているのは、前進を祝うためではありません。ここに集まったのは、まだ多くの前進が必要だからです。まだ成すべき仕事がたくさん残っているからです。
        
 それは容易ではありません。コペンハーゲンに向けた道のりの中で、最も困難な部分に差しかかっていることを、しっかりと認識すべきです。世界的な景気後退のさなか、どの国でも景気回復と失業者の再雇用が最も急を要する優先事項となっているときに、私たちは広範囲に及ぶ、しかし必要な変化を求めています。従って、気候問題に対する永続的な解決策を求めようとすると、皆それぞれの首都で懸念や困難に直面することになります。
           
 しかし、本日私がここでお話ししたいのは、困難だからといって、それが現状に甘んじる言い訳にはならない、ということです。不安は怠慢の言い訳にはなりません。そして私たちは、完ぺき主義が進歩の敵にならないようにしなければなりません。各国が、この地球を危険にさらすことなく各国の経済を発展させるために、できることを、できる時に実行しなければなりません。そしてそれは、すべての国が力を合わせて実行しなければなりません。私たちは、この機会をとらえて、コペンハーゲンを気候変動との世界的な闘いで前進するための大きな1歩としなければなりません。
          
 また、あまりに長年にわたって気候変動をめぐる議論を特徴付けてきた旧来の対立が、今後の前進を妨げることを許してはなりません。確かに、過去1世紀にわたり気候に及ぼしてきた被害の多くについて、その原因をつくってきた先進諸国には、先頭に立つ責任があります。その中には米国も含まれます。米国は、今後も先頭に立ち、再生可能エネルギーに投資し、効率性向上を促進し、2020年の目標および2050年の長期目標を達成すべく米国の排出量を削減します。
          
 しかし、急速に発展する開発途上国が、今後何十年間かにわたり、世界の炭素排出量増加分のほとんどすべてを生み出すことになるでしょうから、こうした国々も、各自の役割を果たさなければなりません。これらの国々の中には、既にクリーンエネルギーの開発と導入を大きく前進させているところもあります。しかし、途上国は国内で強力な措置を取ることを約束し、先進諸国が自らの約束を守らなければならないように、途上国もそれぞれの約束を守ることに同意する必要があります。温室効果ガス排出量の最も多い国々がそろって行動しなければ、この難題に対処することはできません。それ以外に方法はありません。
    
 また私たちは、他の開発途上国、特に最貧国や最も脆弱(ぜいじゃく)な国々を、持続的な発展の軌道に乗せるための活動を活発にしなければなりません。こうした国々は、米国や中国などのように気候変動と闘う資源を持っていませんが、この問題の解決に最も直接的な利害関係があります。なぜなら、これらの国々は既に、飢餓、干ばつ、海岸沿いにある村の消失、そして資源不足が原因の紛争といった、地球温暖化のもたらす影響を日々受けているからです。こうした国々の将来には、経済発展ときれいな地球のどちらかを選ぶ余裕はもはやありません。彼らが生き残れるかどうかが、その両方にかかっているからです。作物が収穫できず、飲み水のなくなった状況では、貧困を緩和しても効果はほとんどありません。
         
 そのために、私たちには、これらの国々が気候変動の影響に適応し、低炭素型開発を追求するために必要な財政的・技術的支援を提供する責任があります。
         
 私たちが求めているのは、最終的には、単に温室効果ガス排出制限についての合意だけではありません。すべての国家が地球を危険にさらさずに発展し、生活水準を高められるような合意を求めているのです。クリーン技術を開発・普及させ、ノウハウを共有することによって、私たちは、開発途上国が、汚染をもたらすエネルギー技術を一気に飛び越えて、危険な排出を削減できるよう支援することができます。
       
 事務総長、本日ここに集まっている私たちに朗報があります。それは、行動せず現実から目をそむける状態が長年続きましたが、ようやく今、私たちの直面する課題の緊急性が広く認識されるようになっている、ということです。何をすべきかは分かっています。この地球の未来は、温室効果ガスによる汚染を永続的に削減するという全世界の約束の成否にかかっていることを、私たちは理解しています。適切な規則と奨励策を導入すれば、最も優秀な科学者、技術者、そして起業家に、より良い世界を築くための創造力を発揮してもらうことができる、ということを理解しています。そして、多くの国家が、すでにその目標に向けて第1歩を踏み出しています。
       
 しかし、その道のりは、長く困難です。また、そのための時間もあまり残されていません。その道のりを進むには、私たち1人1人が、挫折を乗り越え、たとえ一進一退であっても、1歩ずつ闘いながら進んでいく必要があります。ですから、それを今始めようではありませんか。柔軟かつ実務的な態度で、協力してたゆまぬ努力をする決意を固めることができれば、私たちは共通の目標を達成することができるからです。それは、これまでより安全で、クリーンで、健康な世界、そして私たちの子供たちにふさわしい未来、という目標です。
 どうもありがとうございました。
http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090922-71.html

(続く)
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国慶節に思う。(10)

2009-10-26 14:05:46 | Weblog

これで、地球温暖化に対する中国の態度が、わかったことであろう。要は、地球環境に悪影響を与えても、中国は進んでCO2を削減はしない、と言うことである。そうならないために潘基文(パン・ギムン)は気候変動サミットを開催したのではなかったのか。やはり国連でも、中国を御すること困難なのである。要は、世界は無政府状態であるということで、12月にコペンハーゲンで開催されるCOP15の結末が思いやられる。日本は最もエネルギー効率の良い国である。鳩山の言う「すべての主要国の参加による意欲的な目標の合意が、我が国の国際社会への約束の『前提』と成ります。」は、是非守らせるべきである。しかも、「世界のすべての主要国による、公平かつ実効性のある国際枠組みの構築が不可欠です。」の通り、中国に対して甘すぎる目標を与えては駄目だ




気候変動サミット ~グリーン成長を促進し、地球を守る~ (2009年9月22日、ニューヨーク国連本部)200909220000
プレスリリース09/045-J 2009年09月22日

“よくある質問”から

◎なぜ気候変動サミットが必要なのでしょうか。

2007年末、バリにおいて、各国は気候変動に対処するためのグローバルな協定に関する新交渉を開始することに合意しました。協定締結の目標は、2009年にコペンハーゲンで行われる気候変動会議となりました。その目標を達成するため、各国は加速的な交渉スケジュールを定めました。

しかし、建設的な交渉への道を開くのは簡単ではありません。各国は現在、最高レベルの政治指導が必要な段階に達しています。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、政治の最高レベルの関心が気候変動に関する加速的行動の必要性に向けられるよう、このサミットを招集しました。また、各国の交渉担当者がコペンハーゲン前に迅速かつ大きな進歩を達成できるよう、各国首脳に明確な政治的刺激を与えることも、サミット開催の目的です。サミットの前提となっているのは、十分な政治的意思さえあれば、各国はコペンハーゲンにおいて、公正、包括的、かつ公平で、効果的対応のための科学的ボトムライン(最終的な決算)を満たす合意に到達できるという考え方です。

◎なぜ国や政府の長が出席しなければならないのですか。

気候変動は、今日最も重要な地政学的問題であり、経済の安定から人々の健康、エネルギーの安定、開発、国際的な治安にいたるまで、あらゆるものに影響を与えます。文字通り、国家の長が関わるべき緊急を要する優先課題です。

行動が今すぐ必要です。気候変動にコントロールが利かなくなるのを止めるため、コペンハーゲンにおいて公正かつ効果的で包括的なグローバル協定を締結することが必要なのは明白です。コペンハーゲンで成果が得られれば、世界経済の変革を活性化させ、気候変動に抵抗力がある開発を強め、最緊急課題である世界で最も貧しく脆弱な人々を気候変動の避けられない影響に適応させていくことができます。

◎気候変動については他のハイレベル会合でも話し合われているのに、なぜサミットが必要なのですか。

確かにG-8や主要経済国フォーラムなど、他のハイレベル会合でも気候変動の問題が議題にのぼっています。ピッツバーグで開催予定のG-20サミットでも取り上げられる予定です。しかし、これらのどの会合も事務総長がこのたび招集する気候変動サミットほど包括的ではありません。気候変動サミットは、最大の排出国から最も脆弱な国までが対等の立場で話し合う唯一のハイレベルな会合です。気候変動はグローバルな対応を必要とするグローバルな課題です。議論にはすべての国が参加しなければなりません。

◎サミットではどのような成果が得られますか。

サミットは交渉の場ではありません。世界の指導者たちが互いに直接話し合う場です。宣言やコミュニケのような公式の成果文書はありません。事務総長がサミット終了時に議長総括を発表します。この総括は、討論の間、およびサミット参加者から事前に出された意見をまとめたものであり、コペンハーゲンでの気候変動会議で有効な成果を得ようとする各国指導者たちの政治的意思を表したものとなります。

---以後(略)。
http://unic.or.jp/unic/press_release/1298



気候変動に対処するには、すべての国家が関わらなければならないと、国連本部のプレスリリースでも言っている。そのために気候変動サミットには、国家の長が参加したのだとも言っている。中国の前述したような態度では駄目なのである。オバマ大統領の演説でもその事に言及している。そして明確に中国の参画が不可欠だと、主張しているのである。鳩山のすべての主要国の参加が条件である、と同じ主張なのである。しかも鳩山よりもより直接的である。
(続く)
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国慶節に思う。(9)

2009-10-24 16:56:24 | Weblog

何が歴史的責任だ、中国のこの考え方は明らかに間違っている。問題は今あるCO2なのである。それは先進国の排出したCO2も、今中国が排出するCO2も同じなのである。どちらかと言うと今中国が排出する大量のCO2の方が、より環境には悪い筈だ。一寸工夫すれば、それは削減できるCO2であるからだ。先進国が早くより多く削減すべきではなく、中国が早く先進国並みのレベルまで削減することの方が、大切なのである。それはより少ないコストでCO2を削減出来るからである。中国が先進国並みのレベルまで削減してきたら、先進国は新たな目標を定めて、削減活動を進めればよい。それが歴史的責任、公平原則、発展段階の考慮に基き、CO2を中国が削減することなのだ。中国のこの考え方は、明らかに本末を転倒させている。中国がとっている姿勢は、地球環境の為にではなく、自国の非環境的政治に対してなのである。日本はこんな奴と付き合う必要は無い。日本は中国が先進国のレベルに追いつくまでは、COP15から脱退しても良い。または中国がなぜCO2を削減しなければならないか理解できるまで、COP15何ぞに入っていなくても良かろう。日本は、もっとも効率よくGDPを産出している国だからである。

そして中国は世界の国を発展途上国と先進国とに分けているが、この二つに分類するとすれば中国は将に先進国に分類される。これは国慶節の軍事パレードや温家宝の発言を見ればよくわかる。2分類では簡単すぎるので後進国と準先進国と先進国と、3分類するのが最も妥当である。中国は先進国に分類されるべき国であり、一歩譲っても準先進国であり、緩和(CO2削減)に重きを置く政策に舵をきらなければならない国なのだ。この5/20の文書での中国の主張は、明らかに間違っており、自ら地球温暖化に対して緩和に努力する姿勢が見当たらない。


(★2)中国は、自ら進んで緩和に努力はしないのか。

なぜ中国は、先進国がやれば中国もやるという話になるのか。今排出しているCO2が問題なのである。過去に排出したCO2も問題だが、今排出しているCO2の方が問題なのである。なんとなれば、過去に排出したCO2はなくならない。これから排出するCO2を減らさなければ、ますます積み上がってしまうではないか。積み上げを少なくするためには、より多く排出している中国のCO2を削減することの方が、より効果的なのである。先進国が削減することとは無関係ではないが、今の中国にはCO2削減の責任があるし、その能力もあるのである。中国のこの話の進め方は、為にするための議論であり、話にならない。日本は、こんな国には技術支援や資金援助などは、びた一文もしてはならない。他の発展途上国に支援すればよい。
(続く)
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国慶節に思う。(8)

2009-10-23 12:17:12 | Weblog

■日本の中期目標に対する中国政府の見方
(Photo)
解振華国家発展改革委員会副主任に日本の中期目標について説明する斉藤鉄夫環境大臣=6月14日

 この日本の中期目標を中国政府関係者はどのように見ているのであろうか。私は、中期目標発表直後および最近の2回、中国政府の気候変動部門の責任者から直接忌憚(きたん)のない評価を聞く機会があったが、その評価はどちらもきわめて厳しいものだった。
 全体の感想は「日本に失望した」であり、削減幅が13~20年までの8年間で実質2%と極めて少ないではないかという厳しい指摘であった。上述のとおり、中国は先進国に対して全体として2020年までに90年比で最低40%の排出削減を要求しており、これに照らせば日本の削減幅8%は少なすぎるというものだ。
 また、「8年間で実質2%と極めて少ない」と主張する中国の根拠はこうだ。京都議定書第1約束期間で2012年までに90年比で6%削減することになっている。中期目標は90年比だと8%の削減だから、8%-6%=2%しか削減しないではないかというものだ。平均すると毎年0.25%ずつの削減になり、これでは50年までに60~80%削減という日本の長期目標にはとても届きそうにないという評価だ。
 一方、好意的な示唆もあった。日本が今後の国際交渉次第で海外からのクレジット購入や植林による加算分を上積みするという考え方や、日本は約束したことを必ず守る真面目な態度であることは承知しており、この上積みする追加分をまず先に示して、日本がリーダーシップをとるべきではないかという意見である。

■今後の中国の対応は?

 このように厳しい注文をつけた中国だが、自分の国ではどのような対応を考えているのだろうか。公式な立場は上述の「中国政府のコペンハーゲン気候変動会議に関するスタンス」のとおりだが、一方、今後の国際交渉次第では柔軟な対応を取り得ることも示唆している。具体的には次のとおりだ。

・中国はCOP15の結果にかかわらず、省エネや気候変動への対応の決心はゆるがない
・先進国がさらに削減量を大きくし、技術移転を進めるならば、中国の努力も進む(★2)

          
 すなわち、マイペースできちんと対応するが、先進国がもっと努力すれば中国ももっと頑張るということだ。これは中国国内に、先進国が責任を取っていないのになぜ中国が力を入れるのか納得できないという反対意見が存在することとも大きく関係する。
          
 また、長期的には中国自身も排出総量枠を決めて総量削減に取り組む日が来ることを自覚している点にも注目だ。そうなれば中国からのクレジット購入は難しくなり、先進国が海外クレジットを購入して長期目標を達成するという考え方が根本から崩れることを中国が指摘したのは興味深い。中国は世界の半分以上のクレジットを供給しているからだ。
 こうしてみると、今回麻生首相が示した「真水の目標」は、長期的にはどのようになるのかわからないクレジット市場を当てにせずに決めたもので、将来の長期目標の達成に向けての道筋を考える上で大きな意味を持つことになるかも知れない。
http://eco.nikkei.co.jp/column/eco-china/article.aspx?id=MMECcj000030072009
       

(★1)中国の5月20日の文書には、次のように言っている。

1.「共通だが差異のある責任」原則を堅持する。
 先進国が今までに排出したCO2のほうが、中国がこれから発展するために排出
 するCO2よりも、責任が重い。

2.持続可能な発展の原則を堅持する。
 発展途上国は先進国が発展してきたように、発展する権利があり気候変動に関
 係なく発展する権利を主張したい。

3.緩和、対応、技術移転、資金支援を同時に同等に扱う。
 発展と気候変動への対応を同時に実現させるためには、先進国は発展途上国へ
 の適切な資金提供、技術移転、キャパシティ・ビルディングの支援をしなけれ
 ばならない。
 そうでなければ、発展途上国は有効な緩和(CO2の削減)と気候変動への
 適応(環境技術開発など)は、実施できない。

4.条約と議定書の基本枠組みを堅持し、バリ行動計画の権限授与を厳格に遵守する。
 (1)発展途上国への技術移転、資金支援に相当の配備を行い、有効かつ持続的
   な緩和、適応の仕組みを作る。
 (2)先進国は京都議定書第2約束期間における更なる量的排出削減目標を確定
   する。


 (後段で次のように述べている。)、削減目標については、中期目標として、
 先進国全体で2020年までに1990年比で最低40%の排出削減を目指す


要は、金と技術と教育訓練をしてくれなければ、CO2の削減なんぞは、発展途上国としてはやっていられない、その代わり、先進国はしっかりと削減しなければならないのだぞ、と言っているのである。

(続く)
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国慶節に思う。(7)

2009-10-22 14:12:15 | Weblog

環境問題のデパート・中国の素顔(小柳秀明)
日本の中期目標に厳しい反応も・COP15に向け動き出した中国(1)(09/08/03)200908030000
 年末のCOP15に向けてそろそろ実質的な調整が始まろうとしている。中国をはじめとする途上国は、先進国が先に示すカードを見てから本格的な交渉のテーブルに着くつもりだ。日本も遅ればせながらさる6月10日に麻生首相が「中期目標」を示した。中国の反応はどうだったろうか。
■麻生首相が示した中期目標
 麻生首相が発表した日本の中期目標は、国内での温室効果ガス排出量を2005年比で15%削減するというものだ。この削減幅を京都議定書の基準年である1990年と比較すると8%削減になる。
 この中期目標の大きな特徴はいわゆる「真水の目標」で、純粋に日本国内での排出削減量だけを示し、海外から購入するクレジットによる削減分などを含まない。京都議定書の第1約束期間(08~12年)に目標とした日本の削減幅は6%だったが、ここでの「真水」の削減量はわずか0.6%で、残りの5.4%は植林による加算(3.8%)と海外からのクレジットの購入(1.6%)であった。これと比較すると今回の中期目標はその内容や構成が大きく異なり、日本国内の関係者に大きな努力を促すものである。

(Photo)
記者会見で温室効果ガス排出削減の中期目標を発表する麻生首相=6月10日、首相官邸〔共同〕

 麻生首相は、海外からのクレジットの購入などによる上積みは今後の国際交渉次第とし、具体的な目標の上乗せには言及しなかった。この目標を欧州連合(EU)や米国と比較すると表1のとおりで、麻生首相は次のように述べている。
 「今回、私が決断した日本の目標は、国際的に見てもヨーロッパの05年比13%減や、米国、オバマ政権の14%減といった欧米の中期目標を上回るものだと思っております。しかも、欧州や米国の中期目標は、自ら削減する分に加えて、外国からお金で買ってきた分などを加算している」。


       表1 先進国間の中期目標の比較

     2005年比  海外クレジット      購入基準年   
日本    ▲15%  国内削減をベースに積み上げ  2005年
         
EU(27)  ▲13%  海外クレジット含む     1990年(▲20%)

米国    ▲14%  海外クレジット含む?    2005年 



(関連情報)09.6.10.麻生総理記者会見「未来を救った世代になろう」
http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/06/10kaiken.html

■COP15に向けた中国のスタンス
 それでは、中国はCOP15に向けてどのような態度なのであろうか。日本の中期目標発表に先駆けて、5月20日に「中国政府のコペンハーゲン気候変動会議に関するスタンス」と題する基本的立場を表明した文書を発表している。
 全文仮訳を作成したのでここに示しておく(PDF形式)。
http://eco.nikkei.co.jp/photo/column/koyanagi/090803/090803.pdf

注目すべき主張は、先進国の中期目標に対する要求だ。「歴史的責任、公平原則、発展段階の考慮に基づき、先進国は全体として2020年までに90年比で最低40%の排出を削減するとともに、相応の政策、措置、行動を取る」ことを要求している点だ。(★1)

 この要求は表1のような日本、EU、米国が打ち出した中期目標と比較すると倍以上の開きがある。

 その他の注目すべき主張としては、「有効なメカニズムを構築し、これによって先進国が発展途上国に対して資金提供、技術移転、キャパシティ・ビルディング(能力開発)支援を適切に行うことを確保する」が挙げられる。これも先進国に対する要求だ。そして、先進国がこれらの要求を受け入れてようやく、「発展途上国は先進国の技術、資金、キャパシティ・ビルディング支援を受け、持続可能な発展の枠組みに基づき、本国の国情に合わせて適切な適応と緩和措置を取る」としている。

(続く)

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国慶節に思う。(6)

2009-10-21 11:51:06 | Weblog

中国政府は9月30日夜、国慶節記念レセプションを北京の人民大会堂で開いたいるが、その場で温家宝首相は、新中国が共産党の指導の下で経済的な成長を達成した。そして国力増強と平和外交を行った結果として、「国際社会における中国の地位が空前的に高まった」と自賛しているが、こんなにCO2を排出しているので本当に中国の地位が空前的に高まったのは確かだ。なにせ中国の地位は、CO2排出量世界一となってしまったから。

それでも、先進国に40%削減を求めると同時に、年間1500億ドル(約15兆円)の支援金と技術ノウハウを途上国に提供するまでは交渉に参加できない、と主張するつもりか。

国連気候変動サミットでも胡錦濤は、資金と技術の支援がなければCO2の削減には努力しないと、演説したのだ。まことに盗人猛々しいにも程がある、と言うものだ。中国はもはや途上国なんぞではない。れっきとした先進国である。国慶節の軍事パレードを見れば、そのことが良くわかる。胡錦濤は、自国がもはや十分軍事大国となっているにも拘わらず、もっともっと軍事大国としたいのだ。そのため金や技術を軍事に費やしたいだけなのだ。CO2削減などの環境技術には優先順位を置いていない、ただそれだけだ。そのため中国はまだまだ途上国ですよ、と言う振りを示しているだけなのだ。核爆弾を保有している、IRBM(中距離弾道弾)やICBM(大陸間弾道弾)を保有している、と言うことも既存の先進国の条件に付け加えなければならない。日本は中国なんぞを相手にしてはいけない。環境技術などは、決して中国に供与してはならない。供与するにしても、目の飛び出るほどの見返りが無ければ、供与してはならない。何せ中国は、「国際社会における中国の地位が空前的に高まった」と自賛するほどの先進国だからだ。


2009年7月8日から10日までイタリア・ラクイラにて開催されたサミットでは、京都議定書以後のCO2削減目標を議論したが、中国やインドの非現実的な削減要求のために何も決まらなかった。

(以下は、WiLLの11月号の桜井よしこ氏の論文による。)

しかし日本政府はその一ヶ月ほど前の6月10日、麻生太郎首相が削減目標値を次のように発表している。2005年比で15%削減、そのコストは少なくとも62兆円で一世帯当り年7.6万円の負担増となる。この発表は日本ではあまり評価されなかったが、海外ではとりわけ注目されていた。それはこの提案が、科学的にも政治的にもしっかりと検討を踏まえたものであったからであり、さらに数値目標の15%が「真水」の数字であったからである。この15%が「排出権取引」を含まない、全て日本国内で正味15%を削減すると言うものであったからである。日本は京都議定書で決められた6%を達成するために、排出権取引に踏み切らざるを得なかったのである。兆単位のお金を海外に支払っていたのである。それを国外に日本の金が流出させることもなく、正味15%削減すると宣言したのである。さらに、日本だけが不利にならないように「全ての国の参加を、日本の目標値達成の前提条件」としたのである。

そして基準年も京都議定書の1990年から2005年に変更している。これは1990年比では、日本が最も不利な立場となるカラクリがあったからである。それでも日本は省エネ大国である。2005年の統計で比較しても、GDP単位当りのエネルギーの消費量は日本が世界で最小なのである。

GDP単位当りのエネルギーの消費量

日本 1.0
EU 1.9
米国 2.0
中国 8.7
インド 9.2
ロシア  18.0

これに対して中国はどんな反応を示したのであろうか。

☆先の「尖閣諸島問題(95)'09.7.30」でも次のようなデータを示したことは、記憶に新しいであろう。参考にそれを示す。



『2009年7月11日の日経新聞には、中国のCO2排出量の巨大さをデータで示していた。それによると、総量で日本の4.7倍ものCO2を排出している。GDP千億ドル当たりで見ると、中国は日本の5.2倍ものCO2を排出している。中国は地球や人類に対して5.2倍もの悪影響を与えているのである。しかもそのことに対して、なんら改善する意思を示していない。

              中国      日本         米国
名目GDP('08年) 4兆4千億ドル  4兆9千億ドル  14兆3千億ドル
CO2排出('06年) 56億トン     12億トン    58億トン
人口('08年)    13億28百万人 1億28百万人  3億4百万人
排出百万トン    127.3百万トン   24.5百万トン  40.6百万トン
/GDP千億ドル  5.2      1        1.7      
一人当たり     (4.2t/人)  (9.4t/人) (19.1t/人)



もちろんデータの年度がそれぞれ異なっているので正確ではないが、おおよその悪さ加減の程度はこれでよくわかる。これでも中国は、「自分は悪くない」ような言いっぷりをするのか。
(続く)
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