北国の人はおいおいと言われるだろうが、今朝は春が来ていた。空気がさほど冷たくない。梅が咲き始めた。鳥が騒がしい。奥の山はまだ銀色に輝いていたが、手前の山の緑がどことなく和らいできた。
いつも書いているのだが、医療と言っても町中の最前線では素人談義というか人間そのものと対峙していかなければならないので、・・なのですで終わる?総合病院大学病院とはちょっと違う。
Mさんは総胆管に胆石が嵌頓して苦しんだのだがK病院のO先生に紹介し、適切な処置をして頂き事なきを得た。以来MさんというかMさん一家はK病院の信奉者になり、花色木綿ではないが何でもK病院でお願いしますと言われる。Aさんのご主人はK病院で進行した膵臓癌で亡くなった。以来、K病院だけは紹介してくれるなと言われる。
気持ちはよく分かるのだが、胆石の嵌頓は易しい処置ではないけれども、別にブラックジャックでなくともできる。進行した膵臓癌は残念ではあるがどの病院に行ったとしても助からないのだ。それに病院の実力というものもあるにはあるのだが、一番の問題は担当医にあり、ある病院の全ての医師が優秀とか駄目と言うことはないのだ。
こうした結果と自分の体験が優先される心の動きは誰にでもあるもので理解出来るのだが、度が過ぎると対応に困ることがある。芸能人や文筆家など情緒豊かな人達にこうした傾向が顕著で、医学の科学的な側面を薙ぎ倒して仕舞うことがあるのはご存じの通りだ。
町中の医者には患者さんが物を言いやすい。それは大切な我々の機能だと思っているが、過度の思い入れや、近所の医師は病院の医師よりもラベルが低いという扱かいは、残念ながらより良い方策を妨げてしまうことがある。その辺に気付いて頂けるように努力しているのだが、どうも花色木綿は手強い。