駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

人は石垣人は城

2015年08月29日 | 町医者診言

            

 先日、以前働いていた病院の院長と会食する機会があった。彼の方が少し年下で同窓ということもあって忌憚のない話をした。多くの病院が医師不足で悩んでおり、彼も人捜しに全国の大学の教授を訪ねて回わっているのだが、大学の医局も医師不足のところが殆どで、教授の力が出張病院の人事まで力が及ばない所もあり、百カ所回ってようやく一人ですよと、いささかお疲れのようであった。院長になったからには何某かの理想や意欲もあったと思うが、医師集めと経営で手一杯のようで、どうも勝手が違う様子だった。若い時はもう少し自分勝手というか強引なところのある男だったが、年のせいか院長職のせいか気を配り常識的なことを言うので内心変わるもんだと驚いた。

 二つの言葉に成る程、そうなんだと思った。一つは今の若い医師は優秀できちんと仕事をするということ、もう一つはこれは部長クラスのことだが、やはり人ですよという心底からのつぶやきだ。結局、人格識見共に優れた部長には自然部下が集まり、人格あるいは識見いずれかに難がある部長は何時までも一人部長で悪循環に陥っているということらしい。

 結局は人というのは医院のような零細小集団では身に染みていることなので、そうだろうなと思った。尤も、医業という利潤を求めない技能集団ですら、なかなかうまくゆかないのだから、権力にものを言わせ派閥益を追求する組織では人を得るのは難しいだろうなという連想も働いた。

 若い医師が優秀でよく働くというのは、回ってくる研修医からも感じられることで、これからの医師にはさほどの心配はなさそうだ。これには医学部や医局の教育システムの変化も大きく与っているだろう。一概に悪いとは言えないが、半世紀前の医局には無理偏に拳骨的なところもあった。

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