駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

 人生は短い

2010年05月08日 | 小験
 人生は短いと感じた。どのように生きるかにさして選択枝があるわけではなく、六十代の思いを二十代に抱くことはできない。
 内科臨床医の仕事の大半を占めるのは患者の話を聞くことだ。残念ながら、ありきたり繰り返しの話がほとんどで、なるほどと意義深い話は少ない。その話はこの前聞いたと言いたくても、簡単に話を遮ることはできない。
 町医者ではあのーそれってひょっとして愚痴じゃあないのという話も多い。病気の話のようで実はどこかでうまくいかなかった?人生の不具合を語っているような気がする。
 「血圧は123/75です。ちょうどいいですね」。
 「ちょっと低過ぎるんじゃないの、いつもは135くらいよ」。
 「いやこれくらいが、理想なんです。これは正常ですよ」。
 「そお、もう一度測って」。
 「118/72、いいんじゃないですか」。
 「また下がったわ、お薬が強すぎるんじゃない」。
 「いいえ、そんなことはありませんよ。この程度ことで薬を減らしていると、折角うまく行っているのが、おかしくなってしまいますよ」。
 「そお。なんだか、このごろふわふわするのよ。よく眠れないわ」。
 「ふわふわってどういうときに感じますか。動いている時、じっとしている時」。
 「そうねえ、ひょっとした時よ。動いている時じゃないわね」。
 「何分くらい続きますか、目眩、息切れや胸苦しさがありますか・・・・」。
 こうして、次から次へと枝葉に分かれ、結局病気の診断に辿り着くわけではなく、「心配ないと思いますよ。様子を見ましょう」。で重い腰が上がる。
 こういう患者さんには後ろで39度の発熱者が待っていても平気な人が多い。

 英雄はさておき、誰の人生もこうした消耗の繰り返しが詰まっているのだろうが、ウイーンでモーツアルトを聴き、カンジンスキーを見つめ、ブダからダニューブを眺めるとなんと膨大な知らない世界が残されているかと愕然とする。ブログで触発され再び読み出した小説や科学解説も際限がない。なんだか「あれもこれも病」になってしまいそうだ。
 さて、一囓りできたから以て瞑すべしとゆう心境に辿り着けるだろうか。
 
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