人間を診る仕事をしていると、知らず知らず人を観察分析してしまう。アイルランドでは日本人には僅か五名程度遭遇しただけで(今まででの海外旅行で一番少なかった)、あとは殆ど欧米人だった。東洋系は極めて少ない。
だから会う人見かける人の外見は全く我々日本人とは異なっていた。それでもそう言えばこれは患者さんのAさんに似ている、Hさんに似ている・・・と感じられる人に数多く会った。
顔の感じが似ているとどうも性格も少し似ているように思われる。縁も縁もないはずなのだが、隔たっていても同じ系列に属しているのだ。
人間のタイプがいくつに分けられるということには、いろんな考えかた捉え方があって、したり顔の巷の説と争う気は毛頭ないが、何十かの系統や組み合わせがあるのは間違いのないところだ。患者の訴えを出来るだけ正確に値踏みする必要があるので、この人はどういう人なのだろうと考える癖が付いてしまっている。ホテルの受付と話していて、この人はHさんの系統だなと赤毛で灰青色の目のおばさんに感じてしまう。
「コネマラへのツアー参加したいが明日の天気はどうだろう」。
「明日の天気ですって、アイルランドの天気はいつもこんなもんですよ」。とにべもない、と言っても決して不親切というわけではなく、気持ちよく予約を取ってくれた。
まあ、有り体にいえば日本人にしては自分の意見をはっきり言う人は、同類がアイルランドにも数多いということだ。Hさんあんたに似た人がアイルランドにも居ましたよ。
例えば 治療上 飲酒を止めさせる言葉一つでも 『酒は、お控えになられたらよろしいですよ』と 『酒飲んだら 死ぬよ』と言わねばならない両極端が有ろうかと思います 『酒飲んだら 死ぬよ』と言わねばならない患者に『酒は控えめに」と処方すると多分『少し減らせばよいのだ』飲酒のお墨付きをもらった様に思うでしょう 逆は、もうだめだと悲観する 事左様に患者と云うのは観察分析対象と思う次第です。
旅のお疲れも無くご活躍 大慶に存じます。
地球を横に動くと時差で大変です。