森友加計で紛糾する国会。半世紀前だったら否四半世紀前でもこれほど長引くことはなかったろう。これだけの不祥事が起きれば直ちに首相は責任を取って辞めていた。だらだらと言葉でまやかす首相を見ていると、なぜこの人が首相なのだろうかと不思議な気さえする。
毎年何千人もの患者さんを診ていると、患者や事象に特徴がある場合はともかく、一年以上前の症例の説明や会話の内容は覚えていないことの方が多い。カルテの記録が頼りだ。その場で書いた記録は多少医師の主観が入ることもあるから100%ではないが90%以上正しい。それに検査の記録もある。記憶にないと逃げることはできない。
加計の場合、首相案件などという言葉を県の職員が思い付きようがなく、記憶にあるなしは問題でない、明らかな事実だ。嘘などと追及するから記憶にないという逃げ道ができてしまう。記憶にないのは有り得ることで、記録があるから事実なのだ。首相は自分の仲間友達味方する人しか信用しないから、部下の秘書官を信用するとなってしまう。首相が自ら明確な言葉で森友や加計に取り計らえと指示するわけはなく、それを証明することは何か月かけても不可能だ。
首相案件という発言は事実、森友に不当に安く土地を売るよう画策したのは事実。日報を隠したのは事実。それで、この問題はお終い。決着は付いている。与野党で敵対する問題ではない、敵対すれば感情的で不毛な争いが続くばかりだ。あとは引導を渡すだけ、まず首相が交代すべきだ。それができる国民力が残っているか、ボールは国民側にある。