駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

どうしたら理解が進むか

2008年09月01日 | 診療
 内科医の仕事の大半は会話から成り立っている。初診や何か新しい症状が出現した時は根掘り葉掘り聞くが、定期受診の場合はちょっと様子を聞いて、変わりなければ、二三言注意や指導をする程度である。混んでいなければ世間話をすることも多い。
 厚生労働省から診察時間が概ね五分以上でないと外来管理料を取ってはいけない。しかも、世間話で長くしたのは診察とは認めないとのお達しがあった。何とかして、医療費を削ろうという苦肉の策らしい。一体どういう了見からこんな奇妙な考えが生まれてくるのだろうか。理解や信頼がどこから生まれてくるのか知らないあるいは理解や信頼に価値を置かない人達が考え出したと思う。
 もっとも、こうしたお金の関わることには、いろいろ裏の事情があるらしく日本医師会との交渉で再診料を下げない代わりに、こうした時間要件を持ち出したようだ。その背景には投薬のみで診察をしないのに、外来管理料を取っていたという、これまた欲張り我田引水医師が相当数いたという事情があるようだ。
 こうした事情はそのように聞いただけで、末端の町医者の私には本当かどうかはわからない。
 料金絡みの狐と狸の化かし合いはさておき、世間話は診察に含まれないのだろうか?診察とは違うような気もするし、そうかといって全くの世間話とは違うと思う。以前にも披瀝したが、なんと言っても信頼関係がなければ良い診療はできない。信頼関係を築く縁に世間話のような会話は必要な気がするのだが。
 もちろん、診療に含まれないと言われても世間話は変わりなくしてゆく、痛い痒いだけでは味気ない。
 首相だって外相ならなおさら、直接会おうとするし、一緒に食事をするではないか。食事をしながらするのは世間話と相場は決まっている。晩餐費はポケットマネーではあるまい。
コメント (6)
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