駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

佐賀県に親しみ

2022年10月27日 | 

          

 

 全国に43県あるが、何となく地味で目立たない県がある。これは全く私の個人的な感覚だが栃木、岐阜、佐賀・・というのは聞いてぱっと浮かぶイメージに乏しい。どうもかなりの人がそうしたイメージを持っているような気がする。先日泊まったホテルに佐賀県へいらして下さいと、佐賀のあれこれ(長崎と抱き合わせだが)を特集した本(NとS)が置いてあった。いつもご出身はと聞かれ岐阜県と答えると相手の反応がもう一つなので、なんとなく気後れがしていたのだが、きっと佐賀県の人もそうなんじゃないかなと目を通した。知らないことが一杯書いてあり、行ってみたくなった。尤も本の特集のように長崎と抱き合わせでだが。

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富山知らぜざる富国

2022年08月24日 | 

       

 

 二三日前から朝夕僅かに涼しくなった。残暑がいつまでも続くのは嫌だが夏の名残りの風情は好きだ。

 今の児童にも夏休みの宿題がたくさんあるのだろうか、昔は今頃になって慌てて夏休みの宿題をやったものだ。冬休みの長い地方は今週から二学期のところも多いようだが、そういうところは多少夏休みの宿題も少なめなのだろうか?。

 日本は小さな島国だが一都一道二府四十三県、それぞれに微妙に風土が違い味わい深い。歴史と気候の地形の影響だと思う。どの国にも地域地方による違いはあるが、日本ほど細かく微妙ではないようだ。ほとんどの県に行ったことがあるが通過しただけのところも多く、宮田輝アナ、川本三郎さん、タモリに比べれば百分の一以下の経験しかない。そのタモリでさえ、ブラタモリで驚いているのだから、如何に日本はグラエイションに富んでいる国なのだろう。

 今夏の発見は富山市で多分多少はライバル意識もあるだろうから金沢に負けないと書いておこう。

 

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時空を旅する

2022年08月14日 | 

             

 

 芭蕉はなぜ奥の細道の旅に出たのだろう。月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。と始まるがこれは凡人の私などにも思い浮かぶ万人の胸に去来する感慨で、芭蕉も同じ思いに捉われたのだろうか。旅は三百年前とは比較にならないほど容易になったが浮かぶ感興には、共通するものが残っていると思う。高々数百キロの離れただけとはいえ見知らぬ土地、深山を分け入って進む列車の車窓からの眺めや乗客の話し声になまりを認め異郷にあるのに気づく時、あてもなく果てもない時空に生きているのを実感する。

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君知るや吉都線

2022年04月27日 | 
          

 吉都線をご存じの方は殆どいらっしゃらないだろう。大体なんと読むか分からないと思う。これはきっとせんと読む。宮崎県都城と鹿児島県姶良郡吉松を結ぶローカル線だ。乗る人は少なく廃線目前のようだ。
 当院の患者さんは全国区で宮崎出身の患者さんも三名居られる。中で鹿児島寄りのYさんに吉都線に乗ったことがあるかと聞くと「十年前に乗ったかな。線路脇が草ぼうぼうで学生くらいしか乗らんとでしょ。もう駄目と思います」ということだった。上手く再現できないが鹿児島弁混じりの宮崎弁を聞きながら、そうか残念と思ったことだ。
 採算を度外視といっても限度があるだろうし、故郷振興といっても首都圏から遠い過疎の山際では難しいのだろう。何故吉都線を知っているかというと、梯さんのエッセイに出てくるからだ。これから乗ることはないだろう、宮崎には五十七年前学生時代に友人六人と旅行に行ったきりだ。
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旅欠乏症

2021年09月13日 | 
          

 旅は別にしなくても生活に困るわけではないと思っていたが、いざ二年近く県外に出ない生活をしていると、ビタミン欠乏症のようにじわじわと症状が出てくる。なんだか気分転換がうまくできず精神の活力が落ちてゆくような感じがする。リフレッシュというのは上手い表現で単調な繰り返しの日常には普段使わない脳の部分に刺激を与える行事が必要なのだ。
 旅行など簡単にできなかった昔の人は祭りや冠婚葬祭で気分転換しストレス発散をしていたのだろう。年に数回いつもと違うことをするのが人間精神のビタミン剤になる。祭りらしい祭りのない新興住宅地に住む我々老夫婦には旅行が気分転換ストレス発散になっていたらしい。要するに旅行がないと何だかつまんないのだ。
 ブログを書いたりYouTubeで世界各地の風景を見たり、時々ご馳走を食べに出かけるのは旅行ほどではないが、気分転換になっているようなのでこれからも続けたい。
 さていつになったら旅行が解禁になるだろう。医学は複雑だが科学なのでもっと科学的に対処できる政府が必要だ。思惑でものを言い、目先だけ利益だけ仲間だけで動く政治家を一掃しなければならんと思う。
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