あられの日記

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乃木坂駅に隣接

2011年03月28日 04時23分45秒 | 神社・仏閣
2月のある日友人から「旅行会社で3月9日にチベット仏教の講演会があるんだけど、参加しませんか?」とお誘いがありました。
ご存知の通り私は高血圧なので、富士山の頂上と同じ標高のチベット観光へは行くのは難しいのですが…。でもチベット仏教には興味がある。ってなことで講演会に申込みました。
講演会は14時から。ならばその前に散歩したい~。てなことで思い出したのが、ダンナが以前プレゼントしてくれた『秋山好古・真之兄弟と正岡子規ぶらり江戸めぐり3』でした。
講演会は永田町駅そば。ならばっ。歩いていける場所にあるのは…。
ピックアップしたのは乃木坂駅ー青山霊園ー青山通りを東へ。というコースです。
ってなことで、今日からしばらく「ぶらり、日露戦争の英雄達の史跡をたどる」乃木坂物語です。
トップバッターはお散歩のメインの乃木神社です。東京メトロ千代田線の乃木坂駅1番出口に隣接してます。

トップ画像が乃木神社の入口鳥居。その左隣にあった上の石碑。
なんて書いてあるかと言いますと「由来 乃木大将の殉死された大正元年9月以来、幽霊坂が乃木坂と改名された。 東京赤坂ライオンズクラブ」だそうで。
乃木神社&旧乃木邸見取図。
見取図ではわかりにくいですが傾斜地です。
あれ?案内記に乃木神社と正松神社と赤坂王子稲荷神社について書いてある。
乃木神社はともかく、正松神社って…。
「ご祭神 玉木文之進正かね命…乃木希典命の青年時代の恩師
     吉田松陰命…玉木文之進正かね命の甥にしてその教育を授く。有名な松下村塾を玉木先生が創立し、松蔭先生が之を継承させられたものである」
そうか~。乃木希典は長州藩の人か。彼…、いや、ここは乃木神社でした。ならば乃木大将って書いたほうがいいのか?
『大将は1849年(嘉永2)に長府毛利候上屋敷(現六本木ヒルズ)に生まれる。
安政5年(1858)に江戸から長府に移住。
元治元年(1864)玉木文之進の門に入る。』
ここで吉田松陰とかかわりが?あれ?でも吉田松陰って井伊直弼の安政の大獄で江戸で獄死したんじゃなかったっけ??司馬遼太郎原作のNHKのドラマではそうだったような…。
いつものWIKIで検索。吉田松陰の没年は安政6年(1859年11月21日)でした。っと言う事は…。
乃木大将は吉田松陰に直接薫陶を受けたわけじゃないようですね。
次行ってみよう…。
日本は太平洋戦争以前、軍事教育をやっていたので、乃木神社もその洗礼をたっぷり受けてるようで…。境内のあちこちに関連した石碑が点在しています。

上の画像奥に林立している赤いの。ここが赤坂王子稲荷神社です。

乃木神社本殿です。礼儀として参拝して、境内を撮影しますとご挨拶。
  
乃木神社でよくみかけるのは上の4つの四角です。これ、何の象徴なのかな??
あ。
宝物殿がある。無料だって。…入ってみよう~。

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