あられの日記

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東京都埋蔵文化財センター見学

2016年11月24日 18時15分23秒 | 展覧会&観光施設&能楽
多摩センター駅ウォーキングのゴールは、埋蔵文化センターでした。流れでそのまま見学しました。まずは竪穴式住居を再現した遺跡庭園「縄文の村」からです。

敷石住居4500年前
床に大きく平たい石が敷き詰めてあって、使い勝手良さそうです。
遺跡庭園は多摩ニュータウンにあった遺跡を保存する目的で整備されました。元となった遺跡は、縄文時代の集落跡で、縄文前期の住居跡2軒、中期の住居跡5軒のほか、落し穴などが発掘され、南側半分については現状のまま盛土をして保存してあります。

こちrshs縄文前期の竪穴住居(6500年前)ですが、ん〜??煙が出てる?
近寄ってみたらば、中で火焚きしてました!ウォーキングのゴールでもらったビニールファイルに、パンフレットが入ってて、そこに「運が良ければ防虫・防腐をかねて日替わりで火焚きが行われており、実際の火焚きが見学出来ます」とありましたが、まさに私、運が良かったみたいです。いそいそと中に入ってみたんだけども…。
煙いっ!我慢出来ないっ!!何これ〜〜っ!!こんなん縄文の人ってどうやって生活してただろうか??住居って寝るだけ?もしくは雨除け?すぐさま退散した私ですが、なぜかダンナは気にいったようで、しばらく出て来ませんでした…。

男の人って、たき火好きだよね〜。呆れたもののしばらく放置。

その後、館内に移動です。センター内では現在南多摩発見伝 丘陵(おか)人の宝物が開催されてます。何が嬉しいって、ここの展示してある本物の土器に触れた事ですよ縄文土器とか弥生土器って教科書に載ってる写真で見たり、博物館に納められてるのを見たりした事はありますが、実物に触れるなんて〜〜っ!!
触って分かる事、いっぱいありました。
思いがけず土器が薄い。どうやって焼いたのだろうか?材料の土に秘密があるの??
え〜、疑問が出来たら答えを聞きましょう。疑問のままにしてはいつまでも疑問のままですから。
ってな事で、受付に質問に行った私。
私「すみません〜。聞きたい事あるんですけど〜?」
受付のお姉さん「何でしょうか?」
私「土器の土って特別な土なんですか?」とか聞いていたら、お姉さんがそばのおじさんに目をやった。
ん?何々??どうゆう事かな〜?
実はこのおじさんがただ者ではなかったんです。私、今日はとてもついてるんですよ!
おじさんは、展示ホールに案内してくれました。
おじさん「焼く前の土がここに」
私「あ。あったんですね。見落としたかな?ちなみに、多摩ニュータウンの普通の土なんですか?」
おじさん「多摩ニュータウンの粘土です」
私「土器を触ったら薄かったんですけど?あんなに薄く焼けるものなんですか?」
おじさん「全部粘土だと縮むし割れ易いので、砂を混ぜて焼きます」
私「そうなんだ〜。でも大きいのに薄い土器を造る技術って…。あ!もしかして専門職とかいたんですかね?」
おじさん「専門職はいなかったと。焼く時は入れ子にして焼いてたんですよ」
話し変わって。
私「さっき、外の竪穴式住居で火を焚いててすんごく煙かったんですけど、縄文人って料理とか外で作ってたんですか?」(とても家の中では作れないだろう)
おじさん「火が近いと煙くないよ」
私「そういえば、私入る時に立って入って煙かったんですぐ出ました」
納得した!ついでにダンナが木の椅子に座って火焚きを眺められた理由も分かった。
私「ついでなんで、お尋ねしますけども…。縄文人の寿命って、何歳くらいだったんですかね?」(展示ホールには墓壷の大きな瓶も展示してあったので)
おじさん「男性の寿命が30歳。女性の寿命が25歳です」
な、なんだってぇ〜??私がびっくりしてたらおじさんがフォローして
おじさん「幼くして死亡する子どもが多いので、平均するとそういう事になります」
ああ。そういう事か…。ふと、竹取物語のおばあさんの年齢が、30〜40歳って知った時の驚愕も次いでに思い出してしまったわ〜。
ついでだったので。
私「多摩ニュータウンの遺跡って縄文人なんですか?弥生の人は?」
おじさん(ってか先生ですね)「時代が下ると鮭が穫れなくなって、丘を降りました」
私「食糧的な?気温的な?水的な?」
思い出すのは弥生時代に始まる米作りです。
先生「でも弥生の始めはこの辺りは寒くて米作り出来ませんでした」
私「っという事は、もっと南か西日本で米造り?」
先生「そうです」
話が途切れそうになってもう一つとっても気になってた事を聞いてみた。
私「展示ホールの隅に馬具や馬の展示してあるんですけど〜?縄文の村に働く動物いたんですかね?」
この時私の頭にあったのは、ワンコだったんだけども。帰って来た答えは・
先生「縄文時代に馬はいません
ん〜????あ!思い出した!馬って渡来したんだ!!
先生「馬は後の時代に朝鮮半島から連れてきたんです」
ああ!!閃いた!白村江の戦いだっ!百済だっ!新羅だっ!!高句麗だ〜〜っ!!日本の第1次ルネサンス!確か、戦いに破れた朝鮮の人が大挙して日本にやってきて、仏教伝来だったハズ。その時に馬も来たんだよっ。
先生「展示してある馬具は、新羅のものと同じなんですよ」
へえ〜へえ〜へえ〜って事は、日本に入ってだいぶん早い段階でこの辺りに馬がいたって事で。
先生「なぜか長野に痕跡が残ってるんですよ」
私「そういや、日高市にもありましたよね」
先生「あれもそうです。この辺りには牧場が4つあったんですよ」
私「それって、馬の生産的な?」
先生「育てて」
私「中央に戦力として連れてく?」
先生「最近分かって来たんです」
私「うわ〜〜、全く知りませんでした!NHKBSで番組作ってくれないかな?絶対に見るよ」
先生「先日NHKが取材に来ました」
私「それはっ!楽しみです!」
だってさ、多摩ニュータウンがかつて日本の一大馬の生産場だったとしたらば、壮大なドラマになりそうでしょう。
そういや、国分寺ってここからすぐだよね?あ。さっきよこやまの道を歩いてて、かつての奥州古道とかいうのも見たような…。なんだか、すんごくわくわくしてきました。
先生にお礼を言ってダンナを探しに…。あ。真後ろにいた!
展示ホールの外にはこんなものもありました。

縄文人の主食はどんぐりを、石器で割って、粉にしてみよう!
やってみた!殻まではなんとか石器で押しつぶせば出来るけど、こっから粉にするのはなかなかに根気がいる。
縄文人はどんぐりを粉にして、水と合わせて練る。平べったくしてから焼く。どんぐりクッキーにして食べてたんだって。
あとこんなのも。

植物繊維になる植物です。これを使い、縄文人の服を想像して創りマネキンに着せてありました。そうだよな〜。さすがに4000〜5000年前ともなると、骨は残ってても服は出て来ないだろうから、想像になるよね。あ!マネキンにはネックレスとかつけられてて、これは出て来たものを再現してあったよ。

展示ホールは小ぶりですが、実物の土器が触れる所は他にそうないと思うのでおススメです。
【利用案内】
開館時間:9:30-17:00*ただし、「縄文の村」は11月から3月まで16:30閉園
休館日:年末年始(12月29日〜1月3日)
入館料:無料
ちなみに、東京都埋蔵文化財センターでは、いろいろな体験教室が開催されています。一例を上げると、コハク勾玉作り教室・トンボ玉作り教室・縄文食体験(縄文クッキーやイノシシの縄文鍋の調理方法を体験)・土器拓本や断面図作成・土偶作り・石器観察と実測。古代のカマドを復元して土器で古代米を炊き、蒸す調理の体験
う、うやらましい〜。やってみたいな〜、私も。

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