あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

徳川家光の奥さんの墓

2012年03月21日 05時45分46秒 | 墓所巡り
伝通院の徳川家の人びとのお墓の続きです。
家康の母於大の方、秀忠・お江夫妻の娘千姫に続いて紹介するのは、徳川三代将軍徳川家光の正室、鷹司孝子のお墓です。
墓石で探しますと、「本理院殿照誉円光徹心大禅定尼」です。ええ。気づいたんですが、墓の特定するには法名を調べておかないと、とてもでないけど場所の特定は出来ません。
さて、徳川家光はあちこちの作品で取り上げられてますが、彼の正室って覚えてます?印象薄いよね?それも当たり前。家光の時代から『大奥』がでばってくるんですよ。
つーか、この所池上本門寺芝増上寺とブログを書く為に、江戸時代の特に女性の生涯をだいぶん調べました。その中で気づいたんですが、徳川将軍家で正室から産まれた将軍っていないんですよ。かろうじて、徳川秀忠・お江夫妻から生まれた三代家光が継室(後妻)の子でした。わかりにくい?お江は秀忠の正室じゃなくて後妻なんですよ。
んで、家光以外の将軍み~んな側室もしくは将軍の親戚の子です。そんで、家光と奥さん鷹司孝子さんはと言うと…。これがもう最悪!政略結婚とはいえ、酷過ぎる。どっちが悪かったんだろう…。
鷹司孝子の墓近景
WIKIで検索すると、鷹司孝子の父は京の公卿。つまり家光から徳川将軍の正室は京都の公家さんという形が出来たんですね。んで、22才の寛永元年(1624)に家光と祝言して江戸城に入ってます。が。もう結婚当初から家光との中は悪かったようで、結婚してすぐ事実上の離婚。当然二人の間に子どもはいない、
でも政策上京へ返す訳にいかないから、彼女は江戸城の片隅に造った邸宅で軟禁生活を送ってます。家光は死去する際、形見分けとして孝子にわずか50両しか送らなかったとかなんとか。更に息子達に彼女と養子縁組しないようにしていたとかなんとか…。
どんだけ嫌いだったら、生涯飼い殺しにする程の扱いが出来るのか?
ちなみに、家光は慶安4年(1651)に死去してます。んで、孝子は4代将軍徳川家綱の御代の延宝2年(1674)に死去。享年73歳。
ひええ~~~でしょ?
だからですかねえ?家光のお墓は日光にあるんですよ。この時代なら正室の墓は夫の近くにあるものなんですけど…。せめて伝通院に葬ったのは時の将軍の配慮か…。哀れな…。
徳川亀松の墓
帰宅してからwikiで調べました。
徳川亀松は三代将軍徳川家光の次男です。(1643-1647)長生きしてたら5代将軍だったかもしれませんね。法名:月渓院殿。母は側室まさ(尾張藩家老の娘)。
ちなみに亀松の兄・長男が4代将軍徳川家綱。弟・三男が徳川綱重(6代将軍の父)。弟・四男が五代将軍徳川綱吉となってます。

現地ではこんな感じなので、法名は絶対に書き控えて行って下さいね。たどりつけません。

調べて行ってもこんなことになってたりするし、江戸時代の墓の隙間に現代の墓が連なってる場所もあるのだ。
お奈津の方の墓
お奈津の方は徳川家康の側室。於奈津。法名:清雲院殿。(1581-1660)長谷川藤直の娘
他、画像撮影してませんが、作家・柴田錬三郎さんの墓、罰末の浪士組の創始者清河八郎の墓、藤井紋太夫の墓があります。
最後の藤井紋太夫って水戸徳川家の家老だった人で、水戸黄門・徳川光圀に刺殺されてるんだよね。何やったんだろう?ちなみに、徳川水戸藩の屋敷は伝通院のすぐ側にありました。今の中央大学・小石川後楽園は水戸藩の屋敷ですもん。

伝通院の墓地には古いお墓がそこそこありまして…。もうね。墓の特定は家に帰ってすることにして、取りあえず撮影。ポイントは法名。
このお墓は「雲鏡院殿国誉れ智照慧高大姉」という方のもの。
どうやって調べれば…。取りあえず「雲鏡院」で検索。
そこそこヒット!でもヒットするのはみんな男性でした。この法名は最後に大姉ってあるから女性のハズ…。ってな感じで計画は早々に頓挫しちゃいました。
う~ん。やっぱり墓所巡りは難しいなあ…。いくら古くとも墓をたくさん撮影するのもどうかと思うし…。ちょっと対策を考えないとイカンなぁ~。

さて。時刻は……。ムっ!!既に15時を過ぎてるじゃないの~~~~。て、撤収じゃ!!
善光寺坂を降りながら、あっこさんと相談する。
「この後どうする?」
「日本橋?」
「そう。今から移動すると、帰宅時にラッシュに巻き込まれるかもしれん…」
「でもここでパスしたら、いつになるか?」
そうなんだよね。1月27日の赤穂浪士散歩で既にパス1回してるのね。
「…いくか?」
「日本橋だけ」
「三越・三井本店・日本銀行はパスの方向で」
「そだね。『麒麟の翼』の旬のうちだしね」
ってな事で、都営地下鉄大江戸線へ戻ります。

日本史 ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 豊臣秀頼の妻・千姫のお墓 | トップ | 新松田で河津桜満開 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

墓所巡り」カテゴリの最新記事