あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

椿山荘の庭

2012年08月22日 05時59分32秒 | ぶらぶら散歩
鳩山会館を後に。音羽通りを南下。途中で左折したら…上り坂だった!しかも結構な距離の上り坂~~。マジか~…。
途中で日本初のフランスパンを製造した関口フランスパンを眺め(本当はフランスパンが欲しかったんですが、観光するのにフランスパンを持って歩くのは不向き。なので見るだけ~。フランスパンを見るだけってなんも楽しくないんだけど)
さて、到着したのは坂の上にある椿山荘です。でも目的は椿山荘のお庭。なので庭への入口を探します。ってどこだろう~~?
軽く迷って判明!!椿山荘の入口はフォーシーズンホテル椿山荘の3階ロビーでした。庭へ降りるには、ホテルのエスカレーターを使って階下へ降りないといけません。んでもって降りた所にある庭への入口は、庭の高い所でした。つまり更に降りるのですよ~~。さっき坂を上った分が全てムダになってしまいました…。YAHOO!の地図で一番近い導線で歩いたのですが、地図には高低差が分かりにくいのです。以後、今日の散歩コースは高低差がとても大事な散歩コースだったことに気づきます。
ともあれ、まずは椿山荘のお庭を楽しみます。
って、まず登場したのがこの付近にはほたるが飛んでいます。の立て看板。
そうなのだよ。椿山荘は東京のド真ん中なのに、ほたるが生息してるのだよ。
 
上の画像は古香井と水車。この辺りがほたる鑑賞のポイントらしい。もっとも私が訪問したのは日中なので、ほたるを発見出来ませんが…。
ちなみに、このお庭にはタヌキの親子が暮らしてます。という立て看板もありました。マジです!椿山荘っていうレトロかつおとぎ話の雰囲気がある名前にぴったりの生き物が暮らしてるのです。東京って大都会なのに不思議だよね~。
金魚の形の葉の椿
さて、椿山荘の由来について。
1878年明治の元勲山縣有朋公によって造られた自然主義庭園。椿山荘の名前も山縣有朋の命名。
ここ椿山荘周辺は古来より椿の自生する景勝地として知られ、南北朝時代の頃から「つばきやま」と呼ばれておりました。
江戸時代の代表的な浮世絵師・歌川広重の作品『名所江戸百景』でも取り上げられています。
明治11年、山縣公が私財を投じてこの地を入手すると、つばきやまの名にちなんで「椿山荘」と名付けて築庭に力を注ぎ、約2万坪の起伏豊かな地形を巧みに生かし、今日に見る名園に造り上げました。当時、明治天皇をはじめ政財官界の第一人者たちがしばしばこの椿山荘を訪れ、重要会議を開いたと伝えられております。
その後、山縣公爵からこの名園を譲り受けた藤田組二代目当主藤田平太郎男爵が、三重塔をはじめ歴史をしのばせる文化財の数々を随所に配し、その風情を一段と高めるに至りました。
(以上、椿山荘のちらしより)
ってなことで、椿山荘には庭のあちらこちらに文化財が点在してたので、まずはそれをおいかけてみます。
羅漢石
説明板発見:江戸時代中期の画家、伊藤若冲の下絵による五百羅漢の内の約20体で、京都伏見の石峰寺にあったものを大正14年頃に移されたとされています。
庚申塔
説明板発見:道教の庚申信仰に由来して造られた石塔で、青面金剛像が彫刻されています。
江戸時代の初期この辺りに野道があった頃から現在の場所にあったと伝えられています。
ってボチボチお腹がすいた。時刻は13時近く。よい頃合いです。なんかいい所は~?
あ!あそこだ!あそこがいいわ

池とあじさいをおかずにベンチに腰掛けていつものアンパンとお茶でお昼です。
アンパンとお茶でお昼の良い所は、塩分制限のある私にとって、塩分の含有量がはっきりしてるアンパンは安心なのだ。そしてなにより店を探さなくて済むし、待ち時間もない!おまけにパンは安いと一石4鳥の鉄板お昼ごはんなのだ。ついでに目にごちそう~の風景まで眺められるんだから、外でごはんはとってもお得なのだよ。

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コメント (1)
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