舞台『ミス・サイゴン』。
7月から4ヶ月あまりのロングラン公演も、明日で楽。
いろいろな方の感想を聞くたび、多少、心は揺れましたが、夏休みの終わりと共に、早々に自分的にはこの舞台から“卒業”してしまったので、どうにかチケットを増やすこともなく・・・今日に至りました。
でも、決して明るい内容ではないこの舞台に、思った以上に嵌った2008年夏でした。
なぜなら、そこにはたしかに“愛”がありました。
ベトナム戦争という大きな歴史の中で、出会ったキムとクリス。
その戦禍の中で、すれちがい離れ離れになった二人に待ち受ける過酷な人生。
“究極の愛”と呼ばれるキムの愛の結末。
あまりに哀しくて哀しくて、観た数の分だけ、思い出した数の分だけ涙を流しました。
そして、この舞台『ミス・サイゴン』に嵌ってしまったおかげで、思いがけずベトナム戦争に関連する本を読むことになりました。
1冊は、「サイゴンの一番長い日」 近藤紘一著
もう1冊は、「輝ける闇」 開高 健著
ベトナム戦争に関しては、学校の歴史の授業ではあまり深く習った記憶がありませんでした。
それは、この戦争があまりに最近の出来事で(歴史の授業って、せいぜい近代の途中まで)第二次世界大戦以降、“戦争の放棄”を憲法に決めた日本から見ると、どこかしら別の国で起こっている遠い戦争のような感覚が強いからかもしれません。
でも、本を読みながらベトナムという国がすごく日本に近い国で、しかもこの戦争がたった33年前の出来事だった、ということにびっくりしました。
戦争に関わる本や、映画や、ドキュメンタリーを目にした時、そのあまりに凄惨な事実にショックを受け、言葉にできない思いに苛まれたことがあります。
もちろん、日本が最後に関わった第二次世界大戦から、もう戦後63年。
私も、私の子供たちも戦争を知らない世代生まれなので、本当の戦争は知る由もないのですが・・・
私の最初の“戦争”の記憶は小学生の頃読んだ「アンネの日記」だったと思います。
それから映画好きだった父に連れられて観た映画「トラ!トラ!トラ!」
私の父は、終戦時にちょうど14歳で、「あと1年戦争が長引けば、自分も戦争に行って生きてはいなかっただろう」とよく話していました。
書物や映像の中の“戦争”は、どこかしら自分の日常生活とはあまりにかけ離れていて、子供の頃は“怖い”と感じることはできても、よく理解できないこともたくさんあったように思います。
小学校、中学校、高校と、歴史の授業の中で習った“戦争”を、本当のことと実感したのは高校2年の修学旅行で、広島の原爆記念館を見学した時でした。
・・・ショックでした。
ただ“怖い”だけではなく、戦争の本当の姿を見た瞬間でした。
目をそらしてはいけない事実だからこそ、あまりにも恐ろしいことだからこそ、きちんと正視しなければいけないと思いました。
そして・・・もっと大人になってからは歴史の授業では習わなかった“戦争”も知りました。
戦争・・・それは、侵略であっても防衛であっても、そこに生まれる暴力の結果はとても直視することのできない、悲惨で凄惨な現実の歴史として残っていきます。
そして、たとえ戦争に終結があっても、つらく苦しい思い出だけは消えることなく・・・人々の心には終わりはありません。
これから先の未来には、本当にこの世界中から戦争がなくなることを、祈っています
7月から4ヶ月あまりのロングラン公演も、明日で楽。
いろいろな方の感想を聞くたび、多少、心は揺れましたが、夏休みの終わりと共に、早々に自分的にはこの舞台から“卒業”してしまったので、どうにかチケットを増やすこともなく・・・今日に至りました。
でも、決して明るい内容ではないこの舞台に、思った以上に嵌った2008年夏でした。
なぜなら、そこにはたしかに“愛”がありました。
ベトナム戦争という大きな歴史の中で、出会ったキムとクリス。
その戦禍の中で、すれちがい離れ離れになった二人に待ち受ける過酷な人生。
“究極の愛”と呼ばれるキムの愛の結末。
あまりに哀しくて哀しくて、観た数の分だけ、思い出した数の分だけ涙を流しました。
そして、この舞台『ミス・サイゴン』に嵌ってしまったおかげで、思いがけずベトナム戦争に関連する本を読むことになりました。
1冊は、「サイゴンの一番長い日」 近藤紘一著
もう1冊は、「輝ける闇」 開高 健著
ベトナム戦争に関しては、学校の歴史の授業ではあまり深く習った記憶がありませんでした。
それは、この戦争があまりに最近の出来事で(歴史の授業って、せいぜい近代の途中まで)第二次世界大戦以降、“戦争の放棄”を憲法に決めた日本から見ると、どこかしら別の国で起こっている遠い戦争のような感覚が強いからかもしれません。
でも、本を読みながらベトナムという国がすごく日本に近い国で、しかもこの戦争がたった33年前の出来事だった、ということにびっくりしました。
戦争に関わる本や、映画や、ドキュメンタリーを目にした時、そのあまりに凄惨な事実にショックを受け、言葉にできない思いに苛まれたことがあります。
もちろん、日本が最後に関わった第二次世界大戦から、もう戦後63年。
私も、私の子供たちも戦争を知らない世代生まれなので、本当の戦争は知る由もないのですが・・・
私の最初の“戦争”の記憶は小学生の頃読んだ「アンネの日記」だったと思います。
それから映画好きだった父に連れられて観た映画「トラ!トラ!トラ!」
私の父は、終戦時にちょうど14歳で、「あと1年戦争が長引けば、自分も戦争に行って生きてはいなかっただろう」とよく話していました。
書物や映像の中の“戦争”は、どこかしら自分の日常生活とはあまりにかけ離れていて、子供の頃は“怖い”と感じることはできても、よく理解できないこともたくさんあったように思います。
小学校、中学校、高校と、歴史の授業の中で習った“戦争”を、本当のことと実感したのは高校2年の修学旅行で、広島の原爆記念館を見学した時でした。
・・・ショックでした。
ただ“怖い”だけではなく、戦争の本当の姿を見た瞬間でした。
目をそらしてはいけない事実だからこそ、あまりにも恐ろしいことだからこそ、きちんと正視しなければいけないと思いました。
そして・・・もっと大人になってからは歴史の授業では習わなかった“戦争”も知りました。
戦争・・・それは、侵略であっても防衛であっても、そこに生まれる暴力の結果はとても直視することのできない、悲惨で凄惨な現実の歴史として残っていきます。
そして、たとえ戦争に終結があっても、つらく苦しい思い出だけは消えることなく・・・人々の心には終わりはありません。
これから先の未来には、本当にこの世界中から戦争がなくなることを、祈っています