友人から、補聴器をしてくれないお母さまの話が飛び込んできました。聴力低下が始まったら補聴器は当然の手当です。見えずらい時には眼鏡をかけるでしょ?
説得の手助けになるかと思って、再掲します。
説得の手助けになるかと思って、再掲します。
認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?
2018年07月01日 | 二段階方式って?
「見えにくい」と「聞こえにくい」は、どちらが認知症に悪い影響を及ぼすと思いますか?
私の臨床体験では、間違いなくその答は「聞こえにくい」です。
アルツハイマー型認知症は原因不明とされていますね。研究者たちはアミロイドβやタウ蛋白に標的を絞って、その原因究明にしのぎを削っていますが、私たちはもともとある脳の老化(残念!)が加速されたものと考えています。老化が加速されるのは、筋肉などと全く同じで「使わないと機能が落ちる=廃用性機能低下」のためなのです。
ところで、脳の老化が加速されてしまった状態なのですが、それが3年間くらいだと小ボケ、もう少し進んだ状態だと中ボケで、ここまでが回復可能です。多くの場合、6年以上も経ってしまうとセルフケアにも支障が出てくるような大ボケ状態になりますが、大切なことは世間ではこの辺りから、ようやく「認知症」と言われ始めるということです。つまりは手遅れ状態ということですね。
脳の老化が加速されているかどうかを、できるだけ早く見つけることが、認知症を回復させるには必須の条件ということになるのです!
さて、その老化が加速されている状態ですが、そのレベルは脳機能検査に見事に反映されます。つまり脳機能監査をすれば、脳の老化が加速されてきた期間がわかります。
「それまで感じていた生きがいを感じることができなくなって、ナイナイづくしの単調な生活」をしてきた期間と見事に一致するのですよ。ということは「何年か前」に、生活を変えざるを得なかった「きっかけ」があったということになりますね。
「ナイナイ尽くしの単調な生活」というのは、生きがいも趣味もなく、人との付き合いもなく、運動もせず、ひなが一日ただ時間を過ごすような生活です。脳の司令塔である前頭葉をベースに、脳全体の使い方が足りない生活…その先に待つのが脳の廃用性機能低下つまり小ボケ、中ボケ、大ボケへの道。
高齢者がどういうきっかけでナイナイづくしの生活に入っていったのかということを、私は臨床の中でたくさんの方から教えていただきました。
その中で私はまず、人は誰しも、何かの生きがいを感じながら生きていくものだということを学びました。世の中から評価を受けるような種類の生きがいもあるでしょうが、その人にとって「自分が、これがあるから生きていけると思えるだけの生きがい」だって、その人が生きていく原動力になるのだということを、多くの方々のお話を伺う中で改めて思い知らされました。
「きっかけ」の話は、こういう状況の中で聞いていくのです。脳機能のレベルに応じてナイナイづくしの生活が続いた期間が想定できますから、「〇〇年くらい前に生活が大きく変わるような出来事が起きましたよね。あなたが、それまでのあなたらしく生きられなくなってしまうような大変なことや寂しいことなんですよ」
人によっては「状況を判断して決断したり、発想をわかしたり、感動したりする前頭葉の出番がなくなってしまうような生活になってしまったのは、いつからのことですか?それは何がきっかけでしたか」という聞き方もします。
魔法のように、「そう言われると…」と様々なきっかけを語りはじめてくださいます。
「退職して、本当に何もすることがなかった」
「可愛がっていた孫が家を離れてしまった(進学や就職や結婚で)」
「病気や骨折がきっかけで、大事にしすぎた」
「おばあさんが亡くなってからです!」
「相続でゴタゴタが…」
「(自分や先生の体調不良、メンバーが集まらなくなって)趣味が続けられなくなった」などなど。
その中で、「見えにくくなったことがきっかけ」と言われたことがありません。
「そういえば、その頃からほんとうに聞こえなくなったみたいなんです。もともと耳は遠くなっていたのですけど」この言葉は何度聞いたことでしょう。
そして特徴があって、一つは90歳間近や90歳を超えているような高齢の方に多かったことと、ほとんどが中ボケレベルであったことです。
小ボケレベルの方々は、自分の脳の働き方が以前とは違うという自覚がありますから、きっかけも自分で明らかにできます。
中ボケレベルになると、自覚がなくなって家庭生活にトラブルが出始めるので、家族は服薬や着衣や家事などの見守りが必須になってきます。もちろんその時には、本人にきっかけを説明できる能力がありませんから、家族から聞き取っていくことになります。
この項を書くにあたって、ちょっと考えてみました。
脳の老化加速に、なぜ視力障害がかかわらず、聴力障害がかかわるのでしょうか?
まず気が付くことは、見ることはやり直しがきく。見えないと自覚したり指摘されたら、何度でも見ることができます。眼鏡をかけたり近づいてみたり。
聞くことは過ぎてしまえば何も残らない。聞こえなければ、その刺激はなかったことと同じです。見えない時には、見えないことを自分で自覚できますが、聞こえない時には聞こえないことがわかりません。目に入らないところからの声かけには気づきません。
よく聞こえないので、適当に相槌を打ったりトンチンカンな受け答えをしたりしてしまいます。
聴力障害の程度が軽いと、聞こえないので聞き返しますよね?でもそれが度重なると聞き返すにもエネルギーがいるし、答える方の面倒さにも配慮できるレベルだと、聞き返すことをためらい出す。そのうちに、聞こえないことにしておく簡便さを選択する。人と対面していても、コミュニケーションをとることが面倒になる。結局一人で生活していることと同じ状態…
それでも、自分で満足できる生きがいを持っている人は?
そうです、脳は生きがいさえ感じることができれば老化を加速させないのですけど。コミュニケーションが取れない状態だと、なかなか難しいのです。
私の臨床体験では、間違いなくその答は「聞こえにくい」です。
アルツハイマー型認知症は原因不明とされていますね。研究者たちはアミロイドβやタウ蛋白に標的を絞って、その原因究明にしのぎを削っていますが、私たちはもともとある脳の老化(残念!)が加速されたものと考えています。老化が加速されるのは、筋肉などと全く同じで「使わないと機能が落ちる=廃用性機能低下」のためなのです。
ところで、脳の老化が加速されてしまった状態なのですが、それが3年間くらいだと小ボケ、もう少し進んだ状態だと中ボケで、ここまでが回復可能です。多くの場合、6年以上も経ってしまうとセルフケアにも支障が出てくるような大ボケ状態になりますが、大切なことは世間ではこの辺りから、ようやく「認知症」と言われ始めるということです。つまりは手遅れ状態ということですね。
脳の老化が加速されているかどうかを、できるだけ早く見つけることが、認知症を回復させるには必須の条件ということになるのです!
さて、その老化が加速されている状態ですが、そのレベルは脳機能検査に見事に反映されます。つまり脳機能監査をすれば、脳の老化が加速されてきた期間がわかります。
「それまで感じていた生きがいを感じることができなくなって、ナイナイづくしの単調な生活」をしてきた期間と見事に一致するのですよ。ということは「何年か前」に、生活を変えざるを得なかった「きっかけ」があったということになりますね。
「ナイナイ尽くしの単調な生活」というのは、生きがいも趣味もなく、人との付き合いもなく、運動もせず、ひなが一日ただ時間を過ごすような生活です。脳の司令塔である前頭葉をベースに、脳全体の使い方が足りない生活…その先に待つのが脳の廃用性機能低下つまり小ボケ、中ボケ、大ボケへの道。
高齢者がどういうきっかけでナイナイづくしの生活に入っていったのかということを、私は臨床の中でたくさんの方から教えていただきました。
その中で私はまず、人は誰しも、何かの生きがいを感じながら生きていくものだということを学びました。世の中から評価を受けるような種類の生きがいもあるでしょうが、その人にとって「自分が、これがあるから生きていけると思えるだけの生きがい」だって、その人が生きていく原動力になるのだということを、多くの方々のお話を伺う中で改めて思い知らされました。
「きっかけ」の話は、こういう状況の中で聞いていくのです。脳機能のレベルに応じてナイナイづくしの生活が続いた期間が想定できますから、「〇〇年くらい前に生活が大きく変わるような出来事が起きましたよね。あなたが、それまでのあなたらしく生きられなくなってしまうような大変なことや寂しいことなんですよ」
人によっては「状況を判断して決断したり、発想をわかしたり、感動したりする前頭葉の出番がなくなってしまうような生活になってしまったのは、いつからのことですか?それは何がきっかけでしたか」という聞き方もします。
魔法のように、「そう言われると…」と様々なきっかけを語りはじめてくださいます。
「退職して、本当に何もすることがなかった」
「可愛がっていた孫が家を離れてしまった(進学や就職や結婚で)」
「病気や骨折がきっかけで、大事にしすぎた」
「おばあさんが亡くなってからです!」
「相続でゴタゴタが…」
「(自分や先生の体調不良、メンバーが集まらなくなって)趣味が続けられなくなった」などなど。
その中で、「見えにくくなったことがきっかけ」と言われたことがありません。
「そういえば、その頃からほんとうに聞こえなくなったみたいなんです。もともと耳は遠くなっていたのですけど」この言葉は何度聞いたことでしょう。
そして特徴があって、一つは90歳間近や90歳を超えているような高齢の方に多かったことと、ほとんどが中ボケレベルであったことです。
小ボケレベルの方々は、自分の脳の働き方が以前とは違うという自覚がありますから、きっかけも自分で明らかにできます。
中ボケレベルになると、自覚がなくなって家庭生活にトラブルが出始めるので、家族は服薬や着衣や家事などの見守りが必須になってきます。もちろんその時には、本人にきっかけを説明できる能力がありませんから、家族から聞き取っていくことになります。
この項を書くにあたって、ちょっと考えてみました。
脳の老化加速に、なぜ視力障害がかかわらず、聴力障害がかかわるのでしょうか?
まず気が付くことは、見ることはやり直しがきく。見えないと自覚したり指摘されたら、何度でも見ることができます。眼鏡をかけたり近づいてみたり。
聞くことは過ぎてしまえば何も残らない。聞こえなければ、その刺激はなかったことと同じです。見えない時には、見えないことを自分で自覚できますが、聞こえない時には聞こえないことがわかりません。目に入らないところからの声かけには気づきません。
よく聞こえないので、適当に相槌を打ったりトンチンカンな受け答えをしたりしてしまいます。
聴力障害の程度が軽いと、聞こえないので聞き返しますよね?でもそれが度重なると聞き返すにもエネルギーがいるし、答える方の面倒さにも配慮できるレベルだと、聞き返すことをためらい出す。そのうちに、聞こえないことにしておく簡便さを選択する。人と対面していても、コミュニケーションをとることが面倒になる。結局一人で生活していることと同じ状態…
それでも、自分で満足できる生きがいを持っている人は?
そうです、脳は生きがいさえ感じることができれば老化を加速させないのですけど。コミュニケーションが取れない状態だと、なかなか難しいのです。
続ー認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?
2018年07月03日 | 二段階方式って?
認知症の進行を助けるのは(助けて欲しいわけではないですが!)聴力低下という話をしました。先日相談を受けた時の話も追加しておきましょう。離れて住んでいて1ヶ月か2ヶ月に一回くらい会いに行っている娘さんからの、お母さん(80代後半)の相談でした。
写真は奈良、丹生川上神社 上社
私は、本人や家族の方がいろいろ訴えて来られる具体的な症状を聞きながら「その症状になるための脳機能の状態」を推理していきます。
今回のケースのように女性の方で「料理をしてもらっていません」と言われると中ボケレベル。脳機能の老化の加速が中ボケレベルになると、味がよくわからなくなるのです。
一番最初におかしくなるのは塩辛さの感受性のようで、家族の方は「とにかく塩辛すぎて食べられたものじゃないんです。どういう訳か本人はパクパク食べちゃうんですけどね」とよく言われます。
味噌の入ってない味噌汁とか、砂糖味がしないアンコとかもあるのですけれど。
青龍
中ボケレベルにまでなってしまっていた、このおばあちゃん。
老化が加速された直接的な原因は、4年程前から膝痛が始まって行動範囲も内容も極端に狭まってしまったことでした。それまでは自転車を乗りこなして、買い物や趣味の会など自由に生活を楽しんでいたのに…
悪いことに近所に住んでいた仲良しの妹さんも入院してしまい、楽しみにしていた姉妹のおしゃべり会やランチ会も難しくなってしまった…
こういう、どこの日常生活でも起きる些細なことから、認知症は始まっていきます
朱雀
家族の方が言われました。
「目が悪くなったことも関係あるかもしれません」
視力低下が認知症になるきっかけだということは、ほとんどありませんからよく話を聞いて見ました。
「一年ほど前なんですが、視力検査をしてビックリしました。ほとんど見えてないんです。0.1だったか、これじゃあ見えなくていろいろ困ったはずだとかわいそうでした。もちろんメガネをすぐ作ってあげたのですけど」
そこで私。「今も困ってるでしょ!せっかく作ったメガネを使ってますか?なくしちゃったんじゃないですか?」
小ボケレベルになっただけでメガネや補聴器をたびたび無くして大騒動はよくあることです。その前に使いこなせないことだってザラですし。この方は中ボケです。
「実はそうなんです。何度も探し出してあげたんですけど、結局は使ってないんです。『これで困らない』っていうからそのままにしてますが、やっぱり悪い影響があったんじゃないかと思ったんです」
白虎
推理が始まります。
高齢者が、老眼のために近くが見えなくなることは、よくわかります。
遠くが見えない?遠くが見えなくなるような目の病気が起きたのなら納得ですが、眼科受診は済んで眼科的な病気はないことがわかっています。
もう一つ大切なことは、1年前に見えなくなったことをあまり苦にしていないことそのものです。
今は中ボケレベルですから、その時は既に中ボケレベルに近づいていたのでしょう。
日常的な家庭生活にも支障が出る状態ですから、「見えにくい」状態が起きても特に支障はなかったことは容易に想像できます。
玄武
よくよく話を聞いてみたら、ビックリするようなことが明らかになりました。
3年前に白内障の手術を受けていたそうです。
手元に焦点を合わせたのでしょう。そうです。その時点から「遠くが見えない」状態が起きていたのですね。もちろん脳の老化を加速させてしまう影響はあったでしょうが、でもご本人にとっては格別の問題を感じていないというのが、脳機能の老化加速が起きることの怖さです。
間違いなく視力低下よりも聴力低下の方が、認知症には悪影響を及ぼすのです。でも、脳機能そのものの能力低下がここまで進んでしまうと、見えないことすら困らないことになるのですね…
また、興味深い生活変化や生活実態を教えていただきました。
付録。友人のM笠T子さんが奉納した作品
写真は奈良、丹生川上神社 上社
私は、本人や家族の方がいろいろ訴えて来られる具体的な症状を聞きながら「その症状になるための脳機能の状態」を推理していきます。
今回のケースのように女性の方で「料理をしてもらっていません」と言われると中ボケレベル。脳機能の老化の加速が中ボケレベルになると、味がよくわからなくなるのです。
一番最初におかしくなるのは塩辛さの感受性のようで、家族の方は「とにかく塩辛すぎて食べられたものじゃないんです。どういう訳か本人はパクパク食べちゃうんですけどね」とよく言われます。
味噌の入ってない味噌汁とか、砂糖味がしないアンコとかもあるのですけれど。
青龍
中ボケレベルにまでなってしまっていた、このおばあちゃん。
老化が加速された直接的な原因は、4年程前から膝痛が始まって行動範囲も内容も極端に狭まってしまったことでした。それまでは自転車を乗りこなして、買い物や趣味の会など自由に生活を楽しんでいたのに…
悪いことに近所に住んでいた仲良しの妹さんも入院してしまい、楽しみにしていた姉妹のおしゃべり会やランチ会も難しくなってしまった…
こういう、どこの日常生活でも起きる些細なことから、認知症は始まっていきます
朱雀
家族の方が言われました。
「目が悪くなったことも関係あるかもしれません」
視力低下が認知症になるきっかけだということは、ほとんどありませんからよく話を聞いて見ました。
「一年ほど前なんですが、視力検査をしてビックリしました。ほとんど見えてないんです。0.1だったか、これじゃあ見えなくていろいろ困ったはずだとかわいそうでした。もちろんメガネをすぐ作ってあげたのですけど」
そこで私。「今も困ってるでしょ!せっかく作ったメガネを使ってますか?なくしちゃったんじゃないですか?」
小ボケレベルになっただけでメガネや補聴器をたびたび無くして大騒動はよくあることです。その前に使いこなせないことだってザラですし。この方は中ボケです。
「実はそうなんです。何度も探し出してあげたんですけど、結局は使ってないんです。『これで困らない』っていうからそのままにしてますが、やっぱり悪い影響があったんじゃないかと思ったんです」
白虎
推理が始まります。
高齢者が、老眼のために近くが見えなくなることは、よくわかります。
遠くが見えない?遠くが見えなくなるような目の病気が起きたのなら納得ですが、眼科受診は済んで眼科的な病気はないことがわかっています。
もう一つ大切なことは、1年前に見えなくなったことをあまり苦にしていないことそのものです。
今は中ボケレベルですから、その時は既に中ボケレベルに近づいていたのでしょう。
日常的な家庭生活にも支障が出る状態ですから、「見えにくい」状態が起きても特に支障はなかったことは容易に想像できます。
玄武
よくよく話を聞いてみたら、ビックリするようなことが明らかになりました。
3年前に白内障の手術を受けていたそうです。
手元に焦点を合わせたのでしょう。そうです。その時点から「遠くが見えない」状態が起きていたのですね。もちろん脳の老化を加速させてしまう影響はあったでしょうが、でもご本人にとっては格別の問題を感じていないというのが、脳機能の老化加速が起きることの怖さです。
間違いなく視力低下よりも聴力低下の方が、認知症には悪影響を及ぼすのです。でも、脳機能そのものの能力低下がここまで進んでしまうと、見えないことすら困らないことになるのですね…
また、興味深い生活変化や生活実態を教えていただきました。
付録。友人のM笠T子さんが奉納した作品