脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

1月の右脳訓練ー南方熊楠展

2018年01月29日 | 私の右脳ライフ

いくつかの用事が重なったため、26日に1か月ぶりに上京しました。上野駅公園口には除雪された雪がまだ残っていました。

国立近代美術館では「北斎とジャポニズム」開催中で、どちらにしようかと考えたのですが、今回は国立科学博物館の「南方熊楠」展に決定。以前和歌山白浜町に仕事で行ったときに、南方熊楠の博覧強記、天才ぶりを知ったので、興味がありました。
開場前にちょっとだけ並びました。その時係りの方が「常設展は65歳以上の方は無料です」とアナウンスしてくれ、なんだかうんと得した気分。南方熊楠展は常設展でしたから無料。

会場出口にあった最後のパネルですが、南方熊楠はこの解説に尽きると思いました。
私達は、社会が持っている膨大な「智」の部分はパソコン(の検索)に頼りますが、熊楠はその「智」が自分の頭の中に全部入り込んでいたことと、必要に応じて取り出すことができた天才です。

南方熊楠は、驚異的な記憶力の持ち主だったということはよく言われますが、それだけではなかったようで、8歳で「和漢三才図絵」をすすんで筆写し、知識を集めることに大きな喜びを感じたというような特別の能力に恵まれていたのです。
上がお手本、下が熊楠写。

早熟ぶりをいかんなく発揮しながら、大学予備門入学。博物学的な興味関心はさらに深まったのですが、代数で落第点を取り退学。
これは本当に興味深いことです。
ある能力があまりにも突出しているために、他の能力が人並みまで至らない…モーツアルトがあれだけの音楽的な才能を持ちながら、生活処理能力に大問題があったことを彷彿とさせますね。(てんかんなど心身不調が原因との説もあり)
この退学がきっかけで、アメリカ留学の道が広がりました。
19歳で「商売の勉強のため」に渡米するときに作った都都逸。
「僕も是から勉強を積んで、洋行すましたその後は、ふるあめりかを跡に見て、晴る日の本立ち帰り、一大事業をなした後、天下の男と言われたい」

明治20年に渡米。商業の勉強を始めるのですが、当然のことながら(!)続かず、採集生活に入ります。上図のようにキューバまで足跡を残し、地衣類の新種を発見しています。
その後はロンドンへ。大英博物館で膨大な資料を抄写した「ロンドン抜書」は52冊、10,000ページ以上になったそうです。ロンドン時代は「ネイチャー」へ幅広い分野の論文を多数投稿し、人脈も深まります。

明治33年、父の死去により帰国。帰国後は生誕地ではないものの那智、田辺がその活動の場となり、ほとんど紀伊半島を出ない生活を送ったと解説されていました。
熊楠は隠花植物に特に興味を持ったそうで、藻類や地衣類そして菌類の膨大な(この単語を頻出させるしかないのです)標本研究があります。
微細藻類。ユーグレナはここに位置するんですね。長男が関わりを持っているので、おもしろいもので目に飛び込んできました。

昭和天皇に変形菌標本を差し上げ、特に変形菌研究で有名です。
変形菌の勉強(笑)アメーバ=動物、キノコ=植物。考えたら不思議な存在ですね。

膨大な智とフィールドワークは、また別の成果を生み出します。
明治39年明治政府が神社合祀令を出します。廃止された神社の森林資源を売却して日露戦争の戦費を捻出するためだったということは知りませんでしたが、納得できました。
神社の森が消えていくことに危機感を覚えた熊楠は当然反対運動に立ち上がります。エコロジーの先駆者と言われるゆえんです。
森林伐採が生物絶滅につながること、日本の文化や民俗にまで影響を及ぼす恐れがあることを、ただ主張するだけでなく膨大な智を総動員して訴えることになりました。(南方二書)

これは、一番最初の展示物です。熊楠といえば、コケやキノコの研究者。環境保全運動の先駆者として理解していましたので、曼荼羅とは!ちょっとびっくりしました。
ロンドン時代に外遊中の真言宗の高僧土宜法龍と知己を得て、そこから智の集積とは別の哲学的な深化が始まったのでしょう。神社合祀反対の主張には、人間社会へ対する深い洞察もあったに違いありません。
熊楠は民俗や文化に関しても多くの調査や聞き取りをしていました。柳田國男が情報を求めたところから交流が始まり、熊楠が「欧米に民俗学の研究団体がある」と柳田國男を民俗学へ引き入れたというエピソードも紹介されていました。
深く複雑な南方熊楠展でした。


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