近所に、定置網を持っている富戸港があります。(定置網漁法は入った魚のほとんどが網から出てしまうので、資源を枯渇させない究極のエコ漁法といわれています。)
考えたら、直前まで太平洋で泳いでいた魚たちですから、おいしいのは当たり前ですね!その上安い。
それなのに、朝5時半という時間がネックで、なかなか買い出しに行かないのですが、ゲストがあると早起きして行きます。ゴールデンウイークに息子たちが帰ってきましたから、さっそく食材ゲットに。ただし息子が行きました(笑)
帰船は朝5時。
釣果はクレーンで
ブリ 5.9Kg 70cm
ホウボウ。ヒレを広げるとおしゃれです。
きれいなアジ
調理はご注文通りにがんばりましたとも。
ブリは刺身、アラ煮。ホウボウは刺身。タイは塩焼き。アジは刺身、タタキ、酢〆、塩焼きにアラの味噌汁。
ブリに立派な白子が入っていました。いつもの甘辛煮だけでなく、ネット検索して新しい一皿もサービス。
下処理をした後で、バターで焼くだけ。塩・胡椒。彩は岩手の友人が送ってくれた山菜の女王「コシアブラ」
表面の軽く焦がしたパリッとした触感を超えると、まるで濃厚なミルクのような舌触りとかすかに甘みのある味。絶品でした。
息子は「海のフォアグラ!」と感嘆し、夫は白ワインの栓を抜きました。
この頃「認知症予防に調理が有効」ということをよく耳にします。
前頭葉を鍛えるためには、同時にいくつかのことをやればいいのだから、「料理をしながら、たとえば歌をうたうみたいなことをすると効果的」と言っているテレビもありました。
ちょっと考えてみましょう。
人の行動って、複雑なのです。
調理台の前で魚を扱っている。10カ所の台所で10人が同じ魚を調理していても、一人ずつの脳の活動には差異があると思いませんか?
技術の巧緻性は別にして、立って包丁を握っているという運動領域の活動だけは共通でしょう。
でも、その10人の人が「調理をしている」という状況をどのようにとらえ、どのように取り組んでいるか、そこはまさに十人十色。
その差を生むのは、そうなのです、たびたび登場する前頭葉機能。
ちょっと考えるだけでも、差がたくさんあります。
1.得意分野なので張り切っている。(苦手なのでやりたくないなあと思っている)
2.新鮮な魚なのできっとおいしいだろうと期待している(ちょっと古いけど味は大丈夫かなあ)
3.食べてもらう人の笑顔や反応を想像しながら、作ることを楽しんでいる(義務的に作るだけ)
4.毎日の仕事の場合のように、あまり何も考えたり感じたりすることなく淡々と作っている。あたかも手が勝手に動いているかのように。
5.手は動かしているが、胸中にはほかに考えることが渦巻いている。
定置網の漁船の船倉
1~3の前半の場合だと、お皿はどれにしようかとか盛り付けの工夫とか思いめぐらしながら、次の調理に取りかかる準備もシュミレーションしながら、手は目の前の魚にむかっているでしょう。
その頭の中は、外からの観察からは全くわかりません。
ここが、前頭葉機能を理解する時の困難さです。また動物実験で前頭葉機能を測定することのむずかしさでもあります。
私たちは、その人らしく生きていくのです。
その人らしいというのは、その人の前頭葉が決めていきます。それまでの人生で培ってきた自分なりの価値観が、決定には大きくかかわるのは当然のことでしょう(だからその人らしい)。
その場の状況判断をし、見通しを立てて、行動を決定する。行動が開始された後も、前頭葉は常に見守っています。そして継続を促したり、軌道修正を加えたりもします。もちろん中止することも。
ただ、「調理」すれば、認知症予防になるというほど、人間の存在(脳機能)は単純ではありません。
もちろん、居眠っているよりははるかにいいですけど。