新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

寒い中、久しぶりの丸の内へ

2018-01-27 23:36:28 | タウンウオッチング

きのうの朝、起きたとき、寒いな とは思いましたが、まさかさいたま市観測史上最低-9.8℃を記録しているとは思いもよりませんでした

-9.8℃といったら、私の実家(秋田市)でも経験したことのない低さです。
-8℃くらいなら経験したことがあって、その時は水道凍って風呂に入れなくなったりとかて、朝に仏さんにあげたお茶が昼には凍ったりと、なかなかなものだったのですが、それよりも低い温度とは…。
もっとも、木造の実家と違って、断熱性にすこぶる優れた鉄筋コンクリートの建物に住んでいますから、その辺は大丈夫ってことなんでしょ。

また、通勤に使う道は、木曜日にはほとんどがなくなって、こちらも大丈夫 なんですが、歩道にはカチンコチン氷結している箇所があって、結構危ない
雪国生まれの私の場合、自宅前の道路に、他の場所より多く雪が残っているのは恥ずかしいことで、せめて人並みに除雪せねば雪かきに精を出すところですが、そんなメンタリティは、首都圏、とりわけ集合住宅、とりわけ賃貸の集合住宅の場合は乏しいのかもしれませんな

きょう、近所を歩くと、一部の歩道だけでなく、車道もところどころ完全に氷結している箇所があって危ないったらありゃしない

どうしてさいたま市が金曜日の朝にあれほどまでに冷え込んだのかについて、TVでの解説によれば、木曜夜~金曜朝にかけてさいたま市はほとんど無風だったため、冷たい密度の濃い空気が地表近くに滞留してしまったからなのだとか。

それにしても、-9.8℃を記録した場所はどこなんでしょ?

県庁所在地にもかかわらず、気象台のないさいたま市の観測地点は、荒川にほど近い自然豊か(そうな)場所にあるアメダスでした。

私の住む街は、タワーマンションがボコボコ立っていて、ビル風のきつい地区ですから、アメダス観測地点ほどは冷えなかったのではなかろうか

   

こんな寒さの中、私は久しぶりに丸の内まで出かけてきました。

目的は、東京ステーションギャラリー「鉄道絵画発→ピカソ行き コレクションのドア、ひらきます」展を観ることと、東京駅丸の内口の駅前広場を見物すること。

久しぶりの東京ステーションギャラリーは、美術館として相変わらず魅力的でしたし、

東京ステーションギャラリーコレクション展「コレクションのドア、ひらきます」展もなかなか楽しかったのですが(一部の作品を除いて写真撮影可)、展覧会の話は後日に廻して、きょうは東京駅の駅前広場のことを書きます。

私は2007年7月~2011年3月4年弱の間、丸の内勤務地でして、丸の内、とりわけ丸の内北口については土地鑑があると思っていましたが、見慣れない銅像が目に止まりました。

この銅像、前からあったかな?  の銅像なんだろ? と思って、近くに行ってみますと、

台座には、「正二位勲一等子爵井上勝君像」とあります。
なかなか写実的な像だけど、いったい「井上勝」さんって誰? と裏に廻ると、説明板があったのですが、、、、

読めない… っつうか、理解できない…

それでもむりやり推察すれば、おおよそ、

彼は明治初年から鉄道事業に専念し、その事業経営の礎づくりに尽力したが、明治43年夏、訪問先の欧州で客死した。
ここに有志が集まり、彼の像を東京駅前に設置し、その業績を永く伝えるものである。
大正3年11月建立

といった内容っぽい。
さらに、この説明板の下に彫られていところによれば、

大正 3年11月 建立
昭和34年10月 再建
昭和38年 4月 移設
平成29年12月 移設

とありまして、この場所に移ってきたのはつい先月のことらしい。

ここで「井上勝」さんの銅像のことを調べてみると、「『鉄道の父』帰ってきた 丸の内駅広場に 新橋-横浜工事責任者 井上勝の銅像」と題する東京新聞の記事がみつかりました。
ちょっと転記します。

新装なった丸の内駅前広場に、東京駅のシンボル10年ぶりに帰ってきた。明治政府の鉄道庁長官を務め、「鉄道の父」と呼ばれた井上勝の銅像。工事のため撤去され、「お蔵入り」となっていたのを嘆いていたゆかりの人たちは、「井上あっての東京駅」と復活を喜び合った。(中略)
本体の高さ約3メートル、台座部分は約5メートル。足せば約8メートルになるこの像は、二代目だ。1914年の東京駅開業に合わせて建てられた初代は、戦時中の金属供出で撤去された。その後、井上の没後50年を記念して59年に再建された。「東洋のロダン」と呼ばれた彫刻家朝倉文夫が手掛けた。
工事のため撤去されていた時期もあったが、87年からは駅正面から皇居を向いて立っていた。2007年、東京駅舎を創建当時に復元する工事が始まり、再び撤去。12年に復元工事が完了しても像が戻らなかったため、心配する声が広がっていた。井上の出身地の山口県萩市はJR側に、像を早く再設置するよう要請した。
戻ってきた像は、駅前広場の北西端で「丸の内オアゾ」と「新丸の内ビル」に近い場所に移された。歩行者の流れを妨げないで銅像の近くに行けることや、初代の像が立っていた場所に近いことなどが理由という。

なるほど~
「2007年に撤去された」のなら、私が知らないのも道理です。
なんだか安心しました

一安心したところで、東京駅の駅前広場

広ぉ~い

そして、青空の下、れんがの赤茶、花崗岩の、そして、スレートのが映えています

こんなに日当たりが良いのに、東京駅前にもが残っているんだなぁ、

と思いながら駅舎をしげしげと眺めているうち、中央玄関の上に目が点…

私の視線の先には、てっぺんの飾り

これは一体、何の意匠なんでしょ?

どことなく、昭和の時代、トイレから伸びていた脱臭筒(というのか?)の先端についていたファン(風を受けて回って、臭気を排出する)を連想させるんですけど…
ベンチレーターでも、「風を受けて回る」構造にはなっていないよなぁ~
う~む、、、判らない…

と、落ちない話になったところで、きょうはおしまいです。

この装飾について情報をお持ちでしたらご教示いただければ幸いです。 

コメント
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