原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“どう生きたいか?” のポリシー無きまま年老いた義母

2019年05月04日 | 医学・医療・介護
 この10連休中で唯一あらかじめ予定が入っていたのが、昨日の義母が暮らす高齢者介護施設訪問だった。

 いつもは仕事等で多忙な娘も引き連れて、一家3人で義母の元を訪れるのは久しぶりの事だ。

 とにかく我々家族に会える事を唯一最大の楽しみにしている義母だが、特に孫である娘に会える事を今回特別心待ちにしていた。


 さて施設に到着すると、義母のケアマネージャー氏が我々の到着時間に合わせて玄関口で待っていて下さった。 
 そして開口一番、義母が現在引き起こしている施設内でのトラブルに関する報告があった。
 その「トラブル」とは施設内の義母の交友関係なのだが…
 とにかく単独行動が苦手な義母であり、7年前の入居当初より施設内の交友関係を巡りトラブルが途絶える事が無い。 

 この件に関する亭主の考えはさておき、私の内心結論は当の昔から決定している。
 (施設内で義母が友達を作るのは自由だが、何ですぐにその相手が嫌になり、それが辛いと言っていつもいつもケアマネ氏に泣きつくのか?? まるで子供同様の幼稚さだ。 交友トラブルを避けるには単独行動を通すに限るはずだ。 実際施設内でも単独で自分の世界を持ち自己のポリシーを貫きつつ、施設内人間関係をうまく渡っている達人も存在すると、前ケアマネ氏よりも伺っている。 とは言えども、早い時期に認知症状に苛まれ耳の聞こえが悪い義母に、こんな話が通じる訳も無いが…… )

 そんな考えが脳裏を巡りつつ、ケアマネ氏には次のように返答した。
 「入居当初より同じ過ちをずっと繰り返している義母ですが、とにかく逐一ケアマネ氏へそれを訴え出るとの義母の悪い癖を保証人として実に申し訳無く思っております。 正規の業務でお忙しいところ、さぞやご迷惑な事と想像します。」
 ケアマネ氏が応えて下さって曰く、「義母様の訴えを聞くだけで心が落ち着いてくれるならばそれで我が勤めも果たせるかとも思っておりますが…」
 私が返して、「くだらない訴えを聞かされる事こそが時間の無駄ですし、ケアマネ氏の正規業務に支障を来すであろうことを想像して余りあります。 今後はどうか、厳しく義母に対応して下さって保証人として差支えございません。」

 この施設の「ご入居者様はお客様」なる経営方針の程も理解している私だが。
 このままではケアマネ氏の負担があまりにも大き過ぎる事こそを懸念する私だ。 十分にご自身の業務責任を果たす意思あるケアマネ氏故に、今後もどうか末永く義母のケアをお願いしたい思いが強靭だ。
 せめて、その我が思いを伝えたかったものだが…。


 さて、ケアマネ氏との面談に中途半端感があるものの。

 義母の部屋を一家3人で訪れると、義母は満面の笑みで我々を出迎えてくれる。
 近頃は上記ケアマネ氏の補聴器使用補助のお陰で義母の耳の聞こえの悪さが多少軽減している様子でもあり、比較的言葉が通じ易いことに助けられる。

 早速義母の口から出たのは。
 「ポットが壊れちゃってね。 仕方ないから施設で販売しているのを買ったら使えないのよ。 湯を沸かしたら口から湯が噴き出て、底に少ししか湯が残らないの。 何だか欠陥品を買わされたみたい。」
 我が感想だが、(ちょっと待ってくれよ! これで義母がポットを壊したのは4度目だよ! そのうち2個は私が通販で買って送ったものだ。 最後に送ったのはわずか1年程前のこと。 象印の高額ポットを送ったのだけどあれも壊したんだ…。) と落胆しつつ…。

 「じゃあ、お義母さん、今日は私が沸かしてみますね。」と言いつつ義母が施設で購入したとのポットを実際沸かしてみると。 何の不都合も無くきちんと湧くではないか!
 それを亭主に小声で訴えつつ、「やはりお義母さんの認知症のせいだよ。ポットに限らず、今まで壊したと言う冷蔵庫も電話も目覚まし時計も、すべてがお義母さんの認知症故の勘違いだよ。」

 ところが実の親子関係とは、他人の私には難しい…
 亭主が小声で応えて、「ここは故障した事にして、後でボクがまた送るから義母には伝えないで欲しい。」
 (アンタの気持ちも分かるけど、こういう問題って実の親子関係の人間こそが上手く義母に伝えると解決策が得られるようにも思うが…。 ただアンタがカネ出すなら私はどうでもいいよ… というのも本音だし…。)


 その後、いよいよ義母の口から現在施設内でトラブルを起こしている交友関係に関する話題が出た。
 
 いつもの事だが、義母の話によると自身こそが犠牲者の様子だ。
 まあ、認知症高齢者の立場としてはそうなのであろうと思いつつ、義母の話に耳を傾けた内容を要約するならば。
 「私は何でこんな施設へ入居してしまったのかしら。 普通の人達が暮らす施設と聞いたから入居したら周りは変な人ばかり。 私だけが普通なのよ。 こんな事ならば私は一人で暮らしたかったわ。 前に住んでいた住居で一人暮らしをすれば良かったとよく思うのよ、云々…」

 この義母の発言には、亭主も応えて。
 「高齢域に達すると、自分では普通と考えていてもどうしても不自由さが出て来るものだ。 それはお母さんとて同じ。 皆が不自由さを抱えつつこの施設で生活している。 普通の高齢者が暮らす施設も確かにあるが、そこでは自分自身ですべてを賄わねば暮らしていけない。 今のお母さんにはそれは難しく、この施設こそがお母さんに適していると思うよ。」  
 その亭主の義母指導に私も応援して、「お義母さんが暮らすこの施設は、高齢者施設の中でも恵まれているのですよ。 3度のご飯や掃除・洗濯、そしてお風呂の介助までして下さって、かつ“入居者はお客様”対応をして下さる施設になど滅多に入居できませんよ。」
 義母も応えて、「そう言えば、掃除・洗濯は今更嫌だわ。 でも、やっぱり良き友達は欲しいし…」


 最後に、私論に入ろう。
 
 義母の言うところの「良き友達」とは、要するに既に認知症状がある自分にいつも親切に寄り添ってくれて支えてくれる人物に他ならないのだろう。

 そんなミラクル世界があるならば、私もそんな世界に身を置きたいものだ。
 
 要するに義母の失敗とは、認知症を患う当の昔から、そんな人物がこの世に現存し得ないと学ぶ機会が無かった事に終結するように私は結論付ける。

 その元凶とは表題に掲げた通り、根本的に「自分がどう生きたいか?」の真のポリシー無きままに高齢域に達してしまった事実にあるのではないだろうか??


 そんな義母が、我々家族には従順な事実こそが気にかかる。
 年老いて尚、信じられるのが自分の家族だけ!?? 
 なる義母の思いが、老後孤高を目指そうとする我が身に痛く突き刺さる……