原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

郷里の高齢者施設に暮らす実母からの驚愕訴えに唖然!

2019年05月19日 | 医学・医療・介護
 あっちにもこっちにも高齢身内を抱え、その保証人を真面目に担当していると、精神が休まる暇がないものだが…。

 昨夜の事だった。
 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母より、珍しく夜7時過ぎに電話が入った。 こちらはちょうど夕食中で酒も入っている。

 (こんな時間に鬱陶しいなあ…)と思いつつ電話口に出るなり…
 「大変な事になった! 助けて欲しい!」と実母が叫ぶ。 
 一体何が起きたのかと思いきや…
 実母が切羽詰まりつつ早口で続けるに、「米国の姉が(事実婚中の4度目の米国人亭主と一緒に)この施設へ私に会いに来たいと言って来た。 始めは私に米国へ来るように言われたが、とてもじゃないがこの高齢では無理だ。 それを姉に訴えると、それならば姉達がここに来ると言う。 それだけは絶対にやめて欲しい! (4度目のご亭主はともかく)あんな恥晒しの長女にここに来られたものならば施設中の笑い者だ! あの娘に来られるならば、私の方が思い切って米国へ行こうと思うがどうか?!?」


 ここで一旦、我々一家が抱えている米国在住実姉に対する苦悩の程を綴った 2018.06.09付本エッセイ集バックナンバー「私も20年程前に実姉との縁を切った」と題するエッセイの一部を以下に要約引用させていただこう。

 2度目の再婚国際結婚にて米国に永住した実姉と私が縁を切って、既に20年程の年月が流れている。
 その後、実母を通して姉(やその息子)に関する間接的な連絡はあるものの、私側からはもちろんのこと、姉本人からの連絡も遮断状態だ。 これは、現在の通信手段の“着信拒否”革命の凄さの恩恵によるだろう。 私側から縁を切った直後期に姉が電話にて連絡を寄越そうとしたふしはあるものの、“着信拒否”技術発展の成果により、私はその後20年来姉と一切直接かかわらずに済んでいる。 (途中大幅略。)
 特に近しい血縁身内間での「絶縁」とは、“命がけ”に近いものがあると我が経験から宣言しよう。 今後一生絶対に関係をぶり返さないとの覚悟の下に成される壮絶な行脚なのだ! 今更、我が実姉との「縁切り騒動」を振り返りたくもないため、その理由等々の詳細記述は避けたいのだが…。
 実姉に対する“嫌悪感”は、既に幼少の頃から我が内面に存在していた。 何分、両親が共働き家庭で普段は祖母に育てられていたとの事情もあり、幼少の頃より“お利口さん”の評価が高かった私は、姉に関する苦情を誰にも言えず一人で耐え抜いていた。
 (姉側の名誉も言い分もあろうし、既に絶縁して20年の年月が過ぎ去った今となっては滅多やたらな発言を控えるべきだろうが…)  片や姉は、幼少期より心理面で大きな問題を抱えていたようだ。 私のように“一人で耐える”との能力に先天的に欠け、常に両親は姉に手を焼いていたようだ。 
 そんな姉がちょうど高校生になる時に、父の実家を一家4人で出る事になった。 その時の姉の希望が、「私は祖父母の家に残る!」だったのだ。 これを陰で一番喜んだのは私だが、実は父母共に手のかかる姉が祖父母の家に残ってくれる決断をした事を両親も内心喜んでいたはずだ。 その後姉は大阪の大学へ進学し、その後しばらく大阪で暮らした後、米国人との再婚国際結婚にて米国へ渡ったとのいきさつだ。
 実際、実姉は我々一家にとって実に“迷惑かつ厄介な存在”だった。 その姉が米国に渡り「私は大嫌いな日本へは二度と帰らない!」宣言をした時、特に私と実母は手を取り合って「良き結果となった」と喜んだものだ。
 ところが、自己主張と自己顕示欲が異様に激しい反面、外見要因が整っている姉は、米国男性にはモテモテなものの、その異様な性質の正体がバレたならばすぐに捨て去られる運命に遭う、また遭うのだ…  そうなると、すぐさま日本の妹の私と実母に泣きつく習性は米国に渡った後も続いてしまった…
 しかも嫉妬心激しい姉が、私が先に娘を出産した際に、私相手に何と電話を寄越したのかと言うと、「先に産みやがって! 姉の私がどれだけ辛いか分かるか!!」だった事実を一生忘れる事はない。 ただ、その後姉本人も遅ればせながら43歳で男児を出産し安堵したのだろう。 後は比較的安定していた様子だが、それでもただの一人として女友達が出来ない姉は、日本の私へ愚痴電話を頻繁に寄越し続けた。 その頃、私は娘のサリバンとして日夜切磋琢磨していた。 遠方に住む何の恩恵も無い姉などに関わっていられる訳も無い。 しかもおそらく私は娘のサリバン母として人格的にも強さを築き上げようとしている段階だった事と、後に考察するのだが。
 娘が4歳頃だっただろうか。 米国の姉からいつものように電話が掛かって来て私には無関係の無理難題(その内容は忘却しているが)を告げた際。 
 我が口から冷静にすんなりと出たのは。  「もう、金輪際縁を切りましょうか!? あなた(姉)も米国へ渡りその地で今後生きていくのでしょう?? 私の方は、あなたが大阪へ行った時から正直言ってあなたには何の用もなかったのよ。 それでもあなたがずっと私に電話や手紙を寄越すからそれに義務感で付き合ってきたけど、今後は私は娘の母親として可愛い我が子を大事に育てることを最優先したいと思っている。 私の方は友達等人間関係にも恵まれているし、遠く米国に住むあなたに今後共一切依存するべき事も無い。」  姉が何と応えたかの記憶が薄い。 ただ、我が“絶縁”に対する物凄いまでの覚悟の程は姉に通じたものと実感した。
 そしてあれから20年が経過した今尚、姉からも何らの連絡もない。 きれいさっぱり絶縁できたと私は信じている。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 冒頭の実母からの電話の続きに戻ろう。
 
 私応えて、「貴方がその高齢身体で米国へ行くには付添人が2人必要だ。 要するに単独渡米など絶対に無理!! せっかく姉夫婦が貴方に会いに来ると言っているならば、来てもらえばいいんじゃないの?」
 実母応えて、「頭が痛い問題だ…、あの姉から現在の写真が届いたりするが、とんでもなく老け込んで見るに忍びないし。 元々の異常性格に加えて、今となってはあのみすぼらしい風貌でここに来られても私の立場が……、どーのこーの……」

 私が内心で思って、(それにしても身勝手な実母だ。 おそらく施設内では、日々米国在住の姉自慢で花を咲かせているのだろう。 そりゃそうだと思うよ。 下の娘はたかが東京暮らし、それに比し長女は米国在住と言っただけで過疎地の年寄り達は驚き賞賛してくれる事だろう。 しかも、おそらく実母は姉が若き頃ミスインターナショナル県代表に選出された事実も自慢しているに違いない。 その後英語力を活かし、米国日本総領事館にて仕事をしている事実も自慢の種にしていると想像する。 ところが、いざ本人が来るとなった暁に! 姉のみすぼらしい実態をやっと思い浮かんだに違いない。 あんな娘に来られ本性を晒されたものでは、私の立場がすべて否定されてしまう! と、とことん焦った挙句、私に電話を寄越したのだろう。) 

 それでも私は、昨夜の電話では「せっかく来ると言う姉の意向もくんでやったら」と締めくくると、実母は、「明日、もう一度米国の姉に電話をかけて相談してみる…」と何だかとても辛そうに言って電話を切った。

 本日朝になり、少し考えを変えた私から再度実母にメールを入れた。
 その内容とは、「姉の件だが、姉が貴方の施設へ来るのがどうしても嫌ならば、正直にその旨を伝えたらどうか? 私が想像するに、実際姉が日本の貴方の施設へ来て直接貴方に会うと、大喧嘩になりそうな予感がする。(これには前例がある。 姉が子どもを産んだ時に実母が米国へ行った際、両人が日々大喧嘩を繰り返しつつ、両人それぞれが日本の私宛に電話を掛けて来ては、アイツが悪い! いやアイツが悪い!の愚痴の言い合いだったものだ…。 そんな事を今更繰り返すならば… ) 高齢域の貴方の寿命こそが縮まる事を懸念する。」とメールに書いたのだが…

 その後、実母からの連絡は途絶えている。(少し、その精神状態の程が気にかかる…。) 
 当然ながら、既に縁を切っている米国の姉からの連絡は一切無い。(これには心底安堵しているのだが…。)