原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

恋人を愛し、愛される経験

2010年07月30日 | 恋愛・男女関係
 先だっての7月27日、東京地裁において、交際相手の女性看護師に無断で子宮収縮剤などを投与して流産させ“不同意堕胎罪”に問われた36歳医師に対する初公判があり、被告である医師は罪状認否において起訴内容を認めた。

 7月28日付朝日新聞によると、検察側は冒頭陳述で、女性の出産により現在の妻との結婚が破談になることを加害者医師が恐れたことが事件の動機だったことを指摘した。
 看護師女性に結婚をあきらめさせるために「自宅が破産状態」等の嘘をついたが拒否されたため、子宮収縮剤などを使用して堕胎させようとしたとの検察側の陳述を医師である被告が認めたものである。
 片や、証拠採用された被害者である看護師女性の調書によると「被告が自分や胎児に悪いものを飲ませるとは思わなかった。点滴も体調を気遣ってくれていると思った。心から愛した相手に裏切られ、人を信じられない」とのことであるようだ… 

 被告医師の勤務先病院は、31日付で被告医師を懲戒解雇することを決めた、との報道である。


 何ヶ月か前に初めてこの事件に関する報道を見聞した時から、元医学関係者である原左都子の脳裏には、医療従事者同士の男女関係において何故にこの種の事件が発生してしまうのか、看護師である被害者女性は最低限胎児を守るべく行動を取れたはずであるのに、との不可解感が真っ先に過ぎったものである。

 そのように感じていたところ、ネット上でも被害者である看護師女性に関して様々な憶測が交錯しているようである。
 この被害者女性は30代のある程度ベテラン域に達している看護師らしいのだ。 そうだとすると、被告医師が妊娠中の自分に投与しようとしている薬剤に関して、医療の専門分野の如何にかかわらずある程度の予備知識を有していたはずである。 そもそも妊娠中の女性とはたとえ素人であれ、産婦人科医の指導により胎児を守るため薬剤投与に過敏状態で風邪薬とて飲まないものである。 そうであるはずなのに、「被告が自分や胎児に悪いものを飲ませるとは思わなかった」の調書にはやはりどう考察しても不自然さが否めない。


 そうであるとしても、ここでは一応、被害看護師女性の調書内容を“真実”であると仮定して話を進めることとしよう。
 原左都子が一番気になるのは調書内容の「心から愛した相手に裏切られ、人を信じられなくなった」のくだりである。
 この女性は“人を心から愛する”という意味合いを、どうも取り違えているように感じるのだ。 真に恋愛相手である恋人を愛したのなら、人間とは相手と“同一化”したい感情を抱くものである。 そのために“文化人”であるならば、その“同一化”を欲してもっと相手を知って受け入れるべく行動に自然と出るものではなかろうか? 相手が何を思い、何を信条として、如何なる未来を描いて生きているのか、そういった内面の心理やバックグラウンドに触れたくて躍起になるのではなかろうか??
 そのように努力した場合、決して相手を探ろうとせずとて相手の生き様が自ずと見えてくるものである。 この被告医師には既に結婚を約束した女性が存在して、悲しいかな看護師である女性自身が被告男性にとって“厄介な存在”であることぐらい、看護師女性には見え透いていた事実だったとも推測できよう。

 看護師女性が妊娠したのは被告医師の結婚直前のことだったようである。 これはもしかしたらネット上で情報が交錯しているごとく、看護師女性の妊娠を鬱陶しく思いつつ自分の医師としての未来のために選んだ女性との結婚を優先しようとする被告医師に対する報復意識等、看護師女性側に何らかの憎しみの魂胆があったのやもしれない。
 そうだとすると、証拠として採用されたこの看護師女性の調書文面の“心から愛した相手”の文言には大きな偽りが存在することになる。
 いずれにせよこの2人の関係は決して“愛”などではなく、そもそも被告、被害者共に我が身息災の身勝手な未来を描いただけの取るに足りない“自堕落物語”と結論付けられるようにも思えてくるのがこれまた情けない程に辛い…。
 (もし万一、30代の被害者看護師女性が検察に提出した調書通り本気で被告を愛していたとしても、あなたは医療従事者としての基本的部分において何かが欠落していることは事実である。 自分が相手の医師を“愛している”美学に酔いしれて子宮弛緩剤をビタミン剤と信じて自宅で投与された結果、自らが命をかけて守るべき胎児を堕胎させられる低レベルの看護師が、医療現場において患者の命を守り切れるはずもない!、と原左都子が厳しくもここで言い切ろう。)


 現在の若者が恋愛交際相手と知り合う機会とは“ネット”上が大多数とも見受けられそうな、生身の人間関係が希薄化した世の中である。
 こういう時代にあって上記のごとく職場で知り合った生身の医療関係者同士の人間関係に少しは期待したいものだが、悲しいかな“騙し騙され”(?)の挙句、刑事事件に繋がる程お粗末な実態に、どこに救いを求めていいのやらの感覚を持たざるを得ない。


 若かりし独身時代に自分が慕う恋人を愛し、そして愛される時間を共有する経験というのは、必ずや将来に渡って自分の実りある人格の一部を築いてくれるものなのだ。
 またとはない素晴らしい独身時代に、男女双方に“かけひき”などない実直な恋愛関係を培って欲しいものである。
 老若男女を問わず、今の時代の“恋愛関係”のあり方を大いに危惧せざるを得ない原左都子である。
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