原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

子どもの進路選択基準は「好きだから」でよい!

2010年07月25日 | 教育・学校
 今回の記事は前々回の記事「オープンキャンパスへ行こう!!」の続編になるのだが、昨日(7月24日)連続猛暑日が続く殺人的とも言える激暑の中、今年度最後のオープンキャンパスへ娘に同行した。

 昨日訪れたのは、日本において教員養成課程の中核的役割を果している首都圏に位置する某国立大学である。
 我が娘は教員を目指している訳ではなく、むしろ「教員にだけは絶対になりたくない」意思が以前より強靭である。親の目から考察しても、我が娘には“教員”の適性はないと判断している。 にもかかわらず何故に教員養成を主眼とする大学のオープンキャンパスを訪れたのかと言うと、その大学には娘が目指す美術分野のコースが存在するからに他ならない。

 娘の場合、自分が目指す専門分野に関して典型的な「下手の横好き」以外の何ものでもない。 その“下手さぶり”を親の私が懸念して、早くも高1時点より美大予備校にて受験に必要なデッサン力や色彩構成力を磨かせているのだが、親の期待とは裏腹に一向に上達しない。 サリバン(私のこと)が幼少時より厳しく指導している学科に関しては、高2にして受験模試で志望校合格圏内のAランクの成績を挙げられるのに、特に実技のデッサン力がいつまで経ってもDランクから脱出できないでいる。
 そこで目を付けたのがこの国立教員養成大学の芸術コースである。ここの実技試験が一般の美術大学より難易度が低そうなのだ。学科力のある我が娘にとっては、もしかしたら入りやすい大学であるかもしれないとの望みを抱いた訳である。 
 ただ、不安材料は盛り沢山だった。 教員養成大学の芸術コースが如何なる芸術教育を実践しているのか? 施設設備は整っているのか? 教員志望ではない学生に対する就職面でのバックアップ体制はあるのか?  これらの懸念事項を解明するべく、親子で激暑の中出かけたのだ。


 出かけてみて驚いた。
 まずは、大学最寄駅前のバス停でオープンキャンパスに参加する受験生達が長蛇の列なのだ。 そして大学構内でも至る所で生徒保護者等々多くの参加者でごった返している。 この猛暑にしてこれ程参加者の多いオープンキャンパスは、ここが初めてだったかもしれない。 そのように感じていたところ、全体説明会における大学側の説明も「予想をはるかに上回る受験生の方々に参加いただき、用意した資料が大幅に足りずご迷惑をお掛けします」とのことである。 
 経済不況の影響が大きいことを実感させられる思いである。 少しでも学費の安い国立は今や大人気なのであろう。 はたまた、若者の厳しい就職難の今、卒業後の就職の安定性を考慮した場合“教員”という職種はその代表格であると位置づける親子も多いのかもしれない。


 さて、話を我が親子に戻そう。
 教員志望がまったくない我が親子の関心は、上記のごとくこの大学の芸術分野における教育力であり、施設設備であり、教員以外の就職に関するバックアップ力である。
 教職員や現役学生に直に話を聞くのが一番手っ取り早いとの判断の下、早速芸術棟における学生の制作展示会場において現役学生を捉まえた。 この学生の場合、第一志望でこの大学に入学しているとのことで、十分に満足している趣旨の充実した話を聞くことができた。施設設備や教育力等の詳細については学生の立場の自分が話すよりも専攻の教官に聞いた方が正確とのことで、その教官が待機している展示場を教えてもらった。

 その教官はまさに我が娘が目指す分野の准教授であられたのだが、ちょうど我々がその展示場に訪れた時に他に訪問者がおらず、長時間に渡って話を伺うことが出来たのはラッキーだった。 しかもこの准教授先生、竹を割ったように歯に衣着せぬ明快な“ものいい”ぶりである。 以下にそのやりとりの一部を紹介しよう。
 私「○○分野の施設設備や教育体制はこの大学にありますか?」 教官「一切ありません。それを教授する教員もいません」 
 私「今後その分野の設備を増設する予定はありますか?」 教官「この不況期ですから、まったく予定はありません。 そもそも娘さんは芸術家を目指しているのですか? 今時、芸術家として身を立てるのは至難の業ですよ。 この大学はそもそも教員養成課程ですから、芸術分野の学生とて過半数が教員を目指します。そうでない学生にも教職免許を取るべく指導をしています。 教員はいいですよ。子どもを産んで3年間も育児休暇を大手を振ってとれます。 企業に就職したってそんなに恵まれている職場はないですよ。そして、今時企業に就職しようと志したところで“コネ”なくしてそれが叶う訳もありません。 ましてや、芸術家として生きて行こうとするならば、本人の類稀なバイタリティーとそれ相応のバックアップがない限り絶望的であるとも言えます。娘さんにそれ程のバイタリティがありますか?」
 私「(あんたが言ってることはこの厳しい時代における一般論であって、その程度の認識ぐらい今後大学へ進学させる子どもを持つ保護者としては百も承知の上だよ。大きなお節介だよ。 しかも未だ16歳の少女が健気にも未来に向かって描いている夢を心無い一言で潰さないでくれよな! と感じつつも…) 先生がおっしゃる通りですね。 私自身教員経験があるので、今時の教員が美味しい労働条件の下で働いていることは重々理解できています。 その上で、私は娘自身が“好きで自分がやりたい分野”で生きていくことを今後も応援したいと思っています。 今日は大いに参考になりました。ありがとうございました。」

 この准教授なりのご自身が現在所属する国立大学擁護の模範回答を聞いた思いの私であった。
 ここで少しだけ准教授先生を弁護しておこう。 今回の“会見”では他にも種々の話を伺えたのだ。 この准教授先生は紆余曲折しつつも東京芸大を卒業した後芸術家としてある程度の人生を歩んだ後にこの大学に就任されたとの話であった。 そういうバックグラウンドがあるからこそ、オープンキャンパスに訪れた初対面の親子に対してこれ程の単刀直入な“もの言い”が可能だったのではないかと推測した原左都子である。


 それにしても大学受験生を持つ現役母である原左都子は、子どもの大学における専攻の選考基準は本心から“本人が好きな”分野でよいと考えている。 
 就職難の時代だから安定した方面を目指せ!などとの親や大人の都合を子どもに勝手に押し付ける過ちとは、必ずや子どもにマイナスの負荷をかける結果となると私は考察するのだ。
 なりたくもない教員に子どもをならせようと躍起になることより、コネで企業に就職させることより、親が子に優先すべきこととは、まずは子どもが充実した大学生活を堪能するのを応援することだと原左都子は信じるのだ。 その後に子どもが確かな実力を育んでいるならば、親として更なるバックアップに着手しても決して遅くはないであろう。

 今はまだ我が子にデッサン力がなくてもいい。 日々D評価の連続でも“皆勤賞”で美大予備校に通いつめ、その分野の上達を志す我が子の熱意に日々触れている私は、何がなんでもこの子の美大進学を応援したい! 
 当然ながら、この国立大学は却下である。 
Comments (2)