(写真は、昨年9月から我が家で飼っている“クリームメダカ一族”の現在の風景。 逆光及び写真不鮮明のため個々のメダカが見づらい点をお詫びします。)
本日(7月8日)の東京地方は久々に朝から晴天となっている。 早朝の4時過ぎ頃に東側の窓から朝日が注ぎ、目覚めた(させられた)私である。 こんな事はこの夏初めての経験のように感じていたところ、やはり天気予報情報によると東京地方が朝から晴れたのは6月上旬以降のことであるらしい。
梅雨の合間の晴れ間にちょっと涼しげな写真でも掲載して、夏を実感していただこうとの趣旨の今回の記事である。(その割には、いつもながら写真が鮮明さを欠き詳細が分かりにくいのですが…)
「原左都子エッセイ集」のバックナンバー “生命体が共存する風景” 及び “生命体の継承と繁栄” の2本の記事において、私が昨年9月から自宅でメダカ(クリームメダカ)を飼育していることを公開しているのを継続読者の方は既にご存知であろう。
その後の我が家の“メダカファミリー”は一応の繁栄を遂げて、現在では上記写真のごとく4本のビンとプラスチック容器に分散して飼育されている有り様である。
我が家では、この飼育状況を「クラス分け」と独自に呼んでいるのだが、何故にメダカファミリーが「クラス分け」されているのかについて、ここで飼育責任者である原左都子が説明しよう。
メダカは親が卵を産んだまま同じ水槽に放置すると親メダカがすぐさま卵を食べてしまうため、産卵後の卵は別容器に移して孵化を待つとの飼育レシピである。 その教授を守り、昨年11月の秋の産卵時に一代目の親メダカ(写真左端の容器)から卵を取り出して(写真左から2番目のインスタントコーヒー瓶)に卵を移して“2代目”を育てたところ、何とうれしいことに十数匹が孵化し、その中の3匹が大人に成長した。
時は今年の春に移り行き、左端の一代目親メダカが3月から産卵に入ったため、既にある程度の大きさに成長している左から2番目の“2代目”に食われることを警戒して(右端のコーヒー瓶)を新たにしつらえ、春産卵の卵を移したのである。これで3クラスに仕分けられた訳である。
ところがこれがどういう訳か一切孵化しないまま、6月に入り(左から2番目の)“2代目”が産卵を始めたのだ。 この卵も(右端のコーヒー瓶)に移しつつ孵化の様子を観察していたところ、一匹の“3代目”(1代目もずっと卵を産み続けているため、もしかしたら“2代目”だったのかもしれないが)が、やっと孵化したのである!
これに喜んでいたのも束の間…… “3代目”と思しき赤ちゃんメダカはわずか3日で命を閉じたのだ… (正確に言うと、生後まもない赤ちゃんメダカは死ぬとその姿が水中のゴミと化し見当たらなくなるという事態である…)
この“3代目”(?)の稚魚の喪失に大いに痛手を受けた私は、春以降の産卵が孵化に結びつかない原因を我が過去の医学的経験も含めて探ってみた。
もしかしたら「水草」に原因があるかもしれないと考え、ネットでメダカが産卵し易い水草を検索して、ネット通販で“マツモ”と名の付く水草を買い求めた。
この“マツモ”とはクール宅配便で送付されるため送料が本体よりも高くつくのだが、それでも新鮮で美しい水草が届いた時には大いに感激したものである。
ところがこの“マツモ”を3本の水槽に入れたところ、“2代目”の瓶の昨日まで元気だったオス1匹が2日目に突然死したのである。 その原因は不明である。
その後も、“一代目”“2代目”共に日々産卵を続けているのだが、産卵された卵の回収が困難なほどに親メダカが生まれたての卵を食べている様子である。
そこで我が家の“クリームメダカ族”の今後益々の繁栄のためには、新たな“仲間”に頼るしかないのかと考察した私は、つい最近メダカ販売店で同種のクリームメダカの稚魚を仕入れて来たという次第である。(その水槽が“右から2番目”です。)
ところで、どうなのだろう。
人間においては近親相姦は種の滅亡に繋がることは医学的にも証明されている事実である。それ故に3親等以内での婚姻は法的にも禁じられている訳であるが、魚類においてもその理論が成り立つのであろうか??
医学的知識がある私と言えども、魚類におけるその辺の生物学分野の詳細の知識には欠けている。
今回新たに同種のクリームメダカを買い求めたのは、種の近親相姦の懸念もあってのことなのだが…
それにしても、上記写真のごとくメダカの各代を4本に分けて別々にして飼育しているのは我が家だけなのであろうか? 一切世話をしない家族にさえも、大き目の水槽に全世代のメダカ家族をまとめたら?と言われるのだが、体の大小の差があるため弱肉強食を懸念するし、卵を取り出す作業が困難なようにも思うのだが…
もしもこのブログ記事を“メダカ飼育”分野の専門家が見られたならば、適切なアドバイスをお願いしたい思いの原左都子である。
それはそうとメダカと水草の生命体が人間の核家族のごとく4本の瓶の中で世代ごとにそれぞれに存在する風景は、人間の身勝手なれど我が家のリビングにおいて実に美しい光景でもある。
本日(7月8日)の東京地方は久々に朝から晴天となっている。 早朝の4時過ぎ頃に東側の窓から朝日が注ぎ、目覚めた(させられた)私である。 こんな事はこの夏初めての経験のように感じていたところ、やはり天気予報情報によると東京地方が朝から晴れたのは6月上旬以降のことであるらしい。
梅雨の合間の晴れ間にちょっと涼しげな写真でも掲載して、夏を実感していただこうとの趣旨の今回の記事である。(その割には、いつもながら写真が鮮明さを欠き詳細が分かりにくいのですが…)
「原左都子エッセイ集」のバックナンバー “生命体が共存する風景” 及び “生命体の継承と繁栄” の2本の記事において、私が昨年9月から自宅でメダカ(クリームメダカ)を飼育していることを公開しているのを継続読者の方は既にご存知であろう。
その後の我が家の“メダカファミリー”は一応の繁栄を遂げて、現在では上記写真のごとく4本のビンとプラスチック容器に分散して飼育されている有り様である。
我が家では、この飼育状況を「クラス分け」と独自に呼んでいるのだが、何故にメダカファミリーが「クラス分け」されているのかについて、ここで飼育責任者である原左都子が説明しよう。
メダカは親が卵を産んだまま同じ水槽に放置すると親メダカがすぐさま卵を食べてしまうため、産卵後の卵は別容器に移して孵化を待つとの飼育レシピである。 その教授を守り、昨年11月の秋の産卵時に一代目の親メダカ(写真左端の容器)から卵を取り出して(写真左から2番目のインスタントコーヒー瓶)に卵を移して“2代目”を育てたところ、何とうれしいことに十数匹が孵化し、その中の3匹が大人に成長した。
時は今年の春に移り行き、左端の一代目親メダカが3月から産卵に入ったため、既にある程度の大きさに成長している左から2番目の“2代目”に食われることを警戒して(右端のコーヒー瓶)を新たにしつらえ、春産卵の卵を移したのである。これで3クラスに仕分けられた訳である。
ところがこれがどういう訳か一切孵化しないまま、6月に入り(左から2番目の)“2代目”が産卵を始めたのだ。 この卵も(右端のコーヒー瓶)に移しつつ孵化の様子を観察していたところ、一匹の“3代目”(1代目もずっと卵を産み続けているため、もしかしたら“2代目”だったのかもしれないが)が、やっと孵化したのである!
これに喜んでいたのも束の間…… “3代目”と思しき赤ちゃんメダカはわずか3日で命を閉じたのだ… (正確に言うと、生後まもない赤ちゃんメダカは死ぬとその姿が水中のゴミと化し見当たらなくなるという事態である…)
この“3代目”(?)の稚魚の喪失に大いに痛手を受けた私は、春以降の産卵が孵化に結びつかない原因を我が過去の医学的経験も含めて探ってみた。
もしかしたら「水草」に原因があるかもしれないと考え、ネットでメダカが産卵し易い水草を検索して、ネット通販で“マツモ”と名の付く水草を買い求めた。
この“マツモ”とはクール宅配便で送付されるため送料が本体よりも高くつくのだが、それでも新鮮で美しい水草が届いた時には大いに感激したものである。
ところがこの“マツモ”を3本の水槽に入れたところ、“2代目”の瓶の昨日まで元気だったオス1匹が2日目に突然死したのである。 その原因は不明である。
その後も、“一代目”“2代目”共に日々産卵を続けているのだが、産卵された卵の回収が困難なほどに親メダカが生まれたての卵を食べている様子である。
そこで我が家の“クリームメダカ族”の今後益々の繁栄のためには、新たな“仲間”に頼るしかないのかと考察した私は、つい最近メダカ販売店で同種のクリームメダカの稚魚を仕入れて来たという次第である。(その水槽が“右から2番目”です。)
ところで、どうなのだろう。
人間においては近親相姦は種の滅亡に繋がることは医学的にも証明されている事実である。それ故に3親等以内での婚姻は法的にも禁じられている訳であるが、魚類においてもその理論が成り立つのであろうか??
医学的知識がある私と言えども、魚類におけるその辺の生物学分野の詳細の知識には欠けている。
今回新たに同種のクリームメダカを買い求めたのは、種の近親相姦の懸念もあってのことなのだが…
それにしても、上記写真のごとくメダカの各代を4本に分けて別々にして飼育しているのは我が家だけなのであろうか? 一切世話をしない家族にさえも、大き目の水槽に全世代のメダカ家族をまとめたら?と言われるのだが、体の大小の差があるため弱肉強食を懸念するし、卵を取り出す作業が困難なようにも思うのだが…
もしもこのブログ記事を“メダカ飼育”分野の専門家が見られたならば、適切なアドバイスをお願いしたい思いの原左都子である。
それはそうとメダカと水草の生命体が人間の核家族のごとく4本の瓶の中で世代ごとにそれぞれに存在する風景は、人間の身勝手なれど我が家のリビングにおいて実に美しい光景でもある。