原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「ザ・コーヴ」におけるドキュメンタリーのあるべき姿

2010年07月22日 | 時事論評
 芸術作品を観賞せずして論評をする程浅薄な話はない事を百も承知の上で、「原左都子エッセイ集」において今回の記事を公開させていただくことにする。

 芸術作品と表現したが、これは「ドキュメンタリー映画」と表現するのが正確であるようだ。
 既にお察しの読者の方々も多いことと推測するが、2009年度第82回米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞に輝いた「ザ・コーヴ」を今回の記事で取り上げようとしている原左都子である。


 「ザ・コーヴ」はアカデミー賞受賞直後より、特に日本国内において物議を醸し続けている米国映画作品である。
 この映画作品をご存知ない方のために、ここでその内容をごく簡単に説明しよう。
 我が国の和歌山県太地町において昔から伝統漁業としてイルカ漁が行われ、地元では学校給食にも捕獲調理されたイルカが出され食されている現状であるらしい。 これに目をつけたイルカ保護団体がそれの残虐性にのみ焦点を絞り、太地町の許可を得ずに隠し撮りや捏造、恣意的な編集、漁民への挑発や俳優に演技をさせた“やらせ撮影”等々の手段によりイルカ漁の“悪魔性”を強調して制作したのがこの「ザ・コーヴ」であるとのことである。


 この作品を鑑賞した見識者の意見は分かれているようだ。

 まず肯定派の意見を取り上げよう。
 一つの映画作品としての“娯楽性”が優れている、という見解がある。 
 イルカ漁をする漁民は悪、これを残酷と捉えるイルカ保護団体こそが善、との図式がこの作品において明快であるため、観賞する側としてはこの単純性に一瞬惹き付けられる魅力があるらしい。(この見解に関しては、“チャングム”等韓流ドラマの我が国における大ヒットにも共通項を見い出せそうである。)
 あるいは、映画全般を通しての“スリル感”が十分に描かれていて、映画作品としてアカデミー賞を受賞するのは理に叶っている、との見解もある。

 次に中立派、慎重派の意見を取り上げよう。 これは日本人に多い見解である。
 日本人の多くはイルカ漁の存在さえ知らない現状において、米国からこれを「日本の伝統文化だ」と押し付けられてもまずは困惑する、との見解がある。 (これに関しては、それを日本人全般に気付かせ問題意識を持たせることも一つの目的だった、との制作側の主張も存在するようだ。)
 あるいは、やはり映画自体がよく出来ていて娯楽的に面白いあまりに、鑑賞者が制作側の主張のみを鵜呑みにしてしまう危険性を孕んでいる、という見解もある。
 また、これはドキュメンタリー映画というよりもイルカ保護団体のプロパガンダ(宣伝)映画と位置づけるべきであろう、との見解も存在する。

 最後に否定派の意見を公開しよう。
 地元太地町からは当然ながら、「嘘を事実のように表現された」ことに関する反発が大きい。
 一方で、この映画がアカデミー賞を獲得したことにより 「反イルカ = 反日本」 の図式が成り立ってしまうのかと思いきや、世界の反応は思いのほかクールであることを実感させられる一面もあるようだ。

 農林省大臣を辞任した前赤松農林相の、この映画における議論の趣旨をまったく捉えられていない浅はかな発言をここで紹介しよう。 「食物連鎖の世の中で食べる事を否定したら何も成り立たない」 (この人、原左都子同様にこの映画作品を観賞せずしてコメントを述べているのであろうが、この発言で国家の大臣として太地町を救ったと勘違いしているとしたらまったくもってとんでもなく浅はかな発言であろう。)


 この「ザ・コーヴ」は我が国において当初「反日的だ」などとして保守系団体が上演禁止を表明していたものの、その後上演を期待する世論の高まりにより、東京、大阪など一部の地域で上演されている様子である。

 朝日新聞7月20日文化欄の記事によると、この映画を鑑賞した国民の反応は以外や以外冷静であるようだ。
 その中で、この映画が“ドキュメンタリー”だったことに対する朝日新聞記者の憤りは大いに原左都子にも伝わる思いである。 
 映画であれ何であれ“ドキュメンタリー”と名付けて制作する以上、その表現には一切虚構を用いてはならず、制作側の客観性のある冷静沈着な取材や記録に基づき事実のみを伝える内容ではくてはならないはずである。
 その意味で、この「ザ・コーヴ」はそもそも“ドキュメンタリー”との冠を付けてはならなかったのだ。 むしろ、一般娯楽分野の映画としてすべての取材対象者を匿名にして一つの“芸術作品”に特化して仕上げたならば、上記の評価のごとく何らかの価値があったのかもしれない。
 ところが、これを“ドキュメンタリー映画”の位置付けとし、アジアの一国(我が国のことであるが)の貧民弱者を犠牲にして実名を挙げねば作品としてのリアリティが得られなかった制作側の魂胆が見え見えのようにも察するのである。


 最後に、原左都子個人の鯨イルカ等の捕獲漁に関する個人的見解を述べると、正直申し上げて“反対派”である。
 我が国は既に(現在は曲りなりではあるが)一応先進国に位置している。その種の国では、食性において“世界標準”に従うべきではないかと感じるのだ。
 世界の数多くの国々が嫌悪感を抱く食材をあえて食さずとて、“世界標準”の食材を国民に分配することにより国民の健康は十分に満たされる時代のはずである。それ故に我が国の国政は、特殊な狩猟や漁に頼って生き延びている生産者への方向転換指導に早急に着手するべきと考えるのだ。
 我が国においては歴史的に決して特殊な宗教が蔓延っている訳でもない。その観点からも生産者側、消費者側両面での“世界標準”の食糧指導は容易なはずである。


 それにしても、一国一地域の食性問題とこの映画「ザ・カーヴ」の存在意義はまったく異質の議論であり、この映画は娯楽部門でアカデミー賞にエントリーすればよかったとも捉えられると言いたいのが、原左都子の結論である。
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