本日(7月27日)昼間のテレビニュース報道によると、元国土交通省副大臣である社民党衆議院議員の辻元清美氏が社民党離党を明らかにしたとの報道である。 福島瑞穂社民党党首の引止めにもかかわらず、辻元氏の離党の意思は強靭とのことであるようだ。
「原左都子エッセイ集」時事論評カテゴリーのバックナンバー 「福島さん、よくぞ連立離脱した!」 において私論を既述済であるが、原左都子は普天間問題を発端とした社民党の民主党政権よりの連立離脱を今でも大いに評価している。 その後、先だっての参院選において連立離脱が選挙戦に悪影響を及ぼしたのか、社民党は前回よりも議席を失うという敗北の結末となったことは国民の皆さん既に承知であろう。
この社民党の連立離脱そして参院選における敗北こそが、今回の辻元氏の社民党離党の魂胆であることはその後のマスメディアの続報に触れるまでもなく重々察しがつく話である。
ここで辻元清美氏の思想や国会議員としての経歴を、原左都子の私論を交えつつ以下に簡単に振り返ることにしよう。
1960年生まれの辻元氏は学生時代より左派であったらしく「ピースボード」を設立等社会運動に参画した後、その目立つ行動が当時社会党党首であった土井たか子氏の目にとまった後、1996年に社会党(現社民党)より衆議院議員に初当選した。 男女共同参画や護憲運動等、左翼・中核派が関与する反戦運動の発起人としても名を連ねた。 この頃の辻元氏はまさに社会党党員としてまっしぐらの人生街道だったのであろう。
その後“勢いと元気のみが取り得”の“目立ちたがり屋”とも表現できる辻元氏は、「鈴木宗男事件」に関して国会における証人喚問で鈴木氏本人をつつき倒すものの、翌月にはその報復に遭うはめとなるのだ。 自身の“秘書給与流用疑惑”が発覚し逮捕、起訴され有罪判決を受けることとなる。
2000年に衆議院議員に再選された後、2004年の参院選比例区で落選。 翌9月の衆院選の選挙区でまたもや落選したものの、比例区で復活当選している。
そして昨年2009年8月の、結果として“幻の”政権交代劇でしかなかった衆院選において、(辻元氏が目立つ存在であるが故に選挙戦で民主党に利用されたのみと私は考察するのだが) 民主党の全面的支援を受けて大阪10区から当選し、その後国交省大臣に任命された民主党大臣である前原氏より指名されて国交省副大臣として就任したのである。
上記の辻元氏の略歴をお読みいただいただけで、今回、氏が何故に社民党を離脱したいのかの意図が歴然としていることに読者の皆さんは気付かれるであろう。
この人、既に昨年8月の衆院選時より自分を支援してくれた「民主党」に心が傾いていたことと察する。
新政権に利用されていただけとも未だに気付かず(まったく浅はかな女だよなあ~)と同情する他ないのだが、前原氏の指名により国土交通省副大臣にまで登り詰めた段階で、やっと辻元氏なりの国会議員としての“成功観”が満たされたということだったのかもしれないねえ…。
若かりし日に内面からエネルギーが湧き出すままに左翼に傾き自己実現欲に走り、それが功を奏して社民党の衆議院議員としてデビューできたけれど、今となっては“そんなもんどうでもええ~~”とのことで、辻元氏は今後民主党に翻ってでも自分が更に目立ちたいだけの話なのであろう。 昨夏政権を取ろうとしていた民主党が自分を衆議院選において支援してくれ、そして「副大臣」の待遇まで与えてくれて迎えてくれた。 そのような外見的に輝ける事実こそが、辻元氏が国会議員として目指す方向だったに他ならないのであろう。
それが証拠に社民党の党首である福島氏が政権離脱をメディアを通じて表明した暁には、辻元氏は“まるで宝塚を退団するがごとく”前原大臣の胸にすがって大袈裟に泣き崩れたのである。(あの影像こそが、辻元氏が“我が身息災”な観点から副大臣を堪能していたことを国民に晒した証拠であると私は捉えている。)
辻元さん、少なくとも何故に社民党を離党するのかを少数ながらも社民党を支持している国民に対し弁明してから離党するべきであるのは議員としての常識であるはずだ。
あなたが若かりし頃に燃えていた左翼思想は今となっては一体どうなってるの? 人の思想とは外部環境によってそんなに移りゆくものなの?
原左都子が先だっての参院選において何処の政党を支持したかについては、個人情報故にここでは決して申し上げられない。
その上で社民党福島党首による、政権を離脱して来る参院選で議席を失うことを重々覚悟した上で尚「普天間問題において社民党は是非とも県外、国外移転を守り抜く!」との英断は、他の政党より何よりも私にとって大いなるインパクトがあったことは事実である。 あの社民党の政権離脱の決断こそが、鳩山政権を滅亡に導く糸口となったと言っても過言ではないのだ。
辻元氏のごとく“新政権と連立して依存しさえすば自分が出世できる”などとの軟弱な野党議員が存在することは、先だっての参院選においてせっかく国会を「ねじれ」状態にまで持ち込んだ野党支持派の国民にとって大いに幻滅以外の何ものでもない。 辻元氏は社民党を離党する以前の問題として、即刻議員辞職を決断するべきである。
辻元さん、あなたは今後国政の「小選挙区」で勝つことを目標としているとの報道であるが、今現在のあなたの社民党離党行動は、先だっての参院選で“有名だから”の理由のみで勝利した「谷亮子」や「三原じゅん子」と同レベルの“ミーハー域”を超えていないことを、原左都子が親切にもこの記事の最後で示唆しておいてあげよう。
「原左都子エッセイ集」時事論評カテゴリーのバックナンバー 「福島さん、よくぞ連立離脱した!」 において私論を既述済であるが、原左都子は普天間問題を発端とした社民党の民主党政権よりの連立離脱を今でも大いに評価している。 その後、先だっての参院選において連立離脱が選挙戦に悪影響を及ぼしたのか、社民党は前回よりも議席を失うという敗北の結末となったことは国民の皆さん既に承知であろう。
この社民党の連立離脱そして参院選における敗北こそが、今回の辻元氏の社民党離党の魂胆であることはその後のマスメディアの続報に触れるまでもなく重々察しがつく話である。
ここで辻元清美氏の思想や国会議員としての経歴を、原左都子の私論を交えつつ以下に簡単に振り返ることにしよう。
1960年生まれの辻元氏は学生時代より左派であったらしく「ピースボード」を設立等社会運動に参画した後、その目立つ行動が当時社会党党首であった土井たか子氏の目にとまった後、1996年に社会党(現社民党)より衆議院議員に初当選した。 男女共同参画や護憲運動等、左翼・中核派が関与する反戦運動の発起人としても名を連ねた。 この頃の辻元氏はまさに社会党党員としてまっしぐらの人生街道だったのであろう。
その後“勢いと元気のみが取り得”の“目立ちたがり屋”とも表現できる辻元氏は、「鈴木宗男事件」に関して国会における証人喚問で鈴木氏本人をつつき倒すものの、翌月にはその報復に遭うはめとなるのだ。 自身の“秘書給与流用疑惑”が発覚し逮捕、起訴され有罪判決を受けることとなる。
2000年に衆議院議員に再選された後、2004年の参院選比例区で落選。 翌9月の衆院選の選挙区でまたもや落選したものの、比例区で復活当選している。
そして昨年2009年8月の、結果として“幻の”政権交代劇でしかなかった衆院選において、(辻元氏が目立つ存在であるが故に選挙戦で民主党に利用されたのみと私は考察するのだが) 民主党の全面的支援を受けて大阪10区から当選し、その後国交省大臣に任命された民主党大臣である前原氏より指名されて国交省副大臣として就任したのである。
上記の辻元氏の略歴をお読みいただいただけで、今回、氏が何故に社民党を離脱したいのかの意図が歴然としていることに読者の皆さんは気付かれるであろう。
この人、既に昨年8月の衆院選時より自分を支援してくれた「民主党」に心が傾いていたことと察する。
新政権に利用されていただけとも未だに気付かず(まったく浅はかな女だよなあ~)と同情する他ないのだが、前原氏の指名により国土交通省副大臣にまで登り詰めた段階で、やっと辻元氏なりの国会議員としての“成功観”が満たされたということだったのかもしれないねえ…。
若かりし日に内面からエネルギーが湧き出すままに左翼に傾き自己実現欲に走り、それが功を奏して社民党の衆議院議員としてデビューできたけれど、今となっては“そんなもんどうでもええ~~”とのことで、辻元氏は今後民主党に翻ってでも自分が更に目立ちたいだけの話なのであろう。 昨夏政権を取ろうとしていた民主党が自分を衆議院選において支援してくれ、そして「副大臣」の待遇まで与えてくれて迎えてくれた。 そのような外見的に輝ける事実こそが、辻元氏が国会議員として目指す方向だったに他ならないのであろう。
それが証拠に社民党の党首である福島氏が政権離脱をメディアを通じて表明した暁には、辻元氏は“まるで宝塚を退団するがごとく”前原大臣の胸にすがって大袈裟に泣き崩れたのである。(あの影像こそが、辻元氏が“我が身息災”な観点から副大臣を堪能していたことを国民に晒した証拠であると私は捉えている。)
辻元さん、少なくとも何故に社民党を離党するのかを少数ながらも社民党を支持している国民に対し弁明してから離党するべきであるのは議員としての常識であるはずだ。
あなたが若かりし頃に燃えていた左翼思想は今となっては一体どうなってるの? 人の思想とは外部環境によってそんなに移りゆくものなの?
原左都子が先だっての参院選において何処の政党を支持したかについては、個人情報故にここでは決して申し上げられない。
その上で社民党福島党首による、政権を離脱して来る参院選で議席を失うことを重々覚悟した上で尚「普天間問題において社民党は是非とも県外、国外移転を守り抜く!」との英断は、他の政党より何よりも私にとって大いなるインパクトがあったことは事実である。 あの社民党の政権離脱の決断こそが、鳩山政権を滅亡に導く糸口となったと言っても過言ではないのだ。
辻元氏のごとく“新政権と連立して依存しさえすば自分が出世できる”などとの軟弱な野党議員が存在することは、先だっての参院選においてせっかく国会を「ねじれ」状態にまで持ち込んだ野党支持派の国民にとって大いに幻滅以外の何ものでもない。 辻元氏は社民党を離党する以前の問題として、即刻議員辞職を決断するべきである。
辻元さん、あなたは今後国政の「小選挙区」で勝つことを目標としているとの報道であるが、今現在のあなたの社民党離党行動は、先だっての参院選で“有名だから”の理由のみで勝利した「谷亮子」や「三原じゅん子」と同レベルの“ミーハー域”を超えていないことを、原左都子が親切にもこの記事の最後で示唆しておいてあげよう。