数週間前、NHKのBSで放送されたNHK交響楽団によるマーラーの交響曲「大地の歌」の演奏を聴いて、たいへん感動しました。そして改めて、この作品の素晴らしさに目覚め、今、この作品にハマってしまった状態である。そして、その他のマーラーの作品も!
さて「大地の歌」のレコードを初めて買ったのは高校3年の時。ブルーノ・ワルター指揮ニューヨークフィルによる録音でした。
そして、今年はブルーノ・ワルター没後50年の記念の年である。
昨日、音楽之友社より発売された宇野功芳編集長の本「ブルーノ・ワルター」が届きました。
音楽評論家の宇野功芳氏はおそらく生前のワルターと文通した、おそらく唯一の日本人でしょう。それだけに、没後50年の節目に、大変いい企画の本が登場して私は喜んでいます。
まだ、全てに目を通していませんが、やはり圧巻なのは、初めて公開されたワルターの宇野氏への手紙です。
最初の手紙は1952年。そして最後の手紙は、死の前年の1961年。
当時、現在以上に、アメリカから見ると日本は遥か遠くに感じる国だったに違いありません。
そんな極東の島国からの音楽を志す全く無名の若者の手紙に対して、世界的巨匠が真摯に、そして真剣に宇野氏の問いに答えている文面を読んで、強い感動を憶えました。
一番、印象の残った手紙。1960年8月の手紙。
「(前略)ウィーンへの旅も体力を求められるものであり、この先はもう、行くべきでないでしょうが、(今回は)言って良かったと思います。なぜなら、私の音楽に対する期待が、今回の旅によって素晴らしく満たされたからです。(後略)」
1960年5月29日、生涯最後のウィーンフィルの指揮台に立った時の思いが込み上げているのでしょう。ヨーロッパで生まれ、ヨーロッパでキャリアと名声を積んできたワルターがユダヤ人ゆえに、第2次世界大戦でヨーロッパを去り、アメリカに亡命しなければいけなかった。
おそらく、その時の悪夢の思い出も消えていないはず。そんなウィーンに対して「私の音楽に対する期待が、今回の旅によって素晴らしく満たされたからです」と言い切ったコメントを読んで、ワルターの音楽とウィーン(ヨーロッパ)に対する思いが伝わってきて、ワルターの生涯を思うと感慨深い気持ちで一杯になりました。
余談ですが、この時のウィーンフィルとのマーラーの交響曲第4番の録音状態の良いCDはあるのだろうか?大昔、LPレコードで発売された時、あまりにの音のバランスの悪さに閉口したことがあります。
この本のまえがきで宇野功芳氏は音楽雑誌「音楽の友」の指揮者のファン投票で、ワルターは最近20位にも入って来なくなったと述べられています。私は、この数年「音楽の友を購読していないので知りませんでしたが、全くの驚きでした。時代の流れと言えば、しかたがないのですが、やはり残念です。私にとってワルターは一番大好きな指揮者の4人の内の1人です。
以前「ワルターとの出会い」でもコメントしましたが、晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音、その前のニューヨークフィルの時代、さかのぼって亡命直後、そしてさらにさかのぼってウィーン時代の録音を聴いてワルターがその時代によって演奏スタイルが違う事に気が付いて来ました。このような面白さはフルトヴェングラーにはありません。ワルターの録音の収集はこれからも続行です。まだまだこの指揮者の素晴らしさや面白さに気が付いていない事がたくさんあるはずです。
今年も、いろいろと復刻盤が発売されるようです。ますますブルーノ・ワルターに傾倒してしまう1年になりそうです。
さて「大地の歌」のレコードを初めて買ったのは高校3年の時。ブルーノ・ワルター指揮ニューヨークフィルによる録音でした。
そして、今年はブルーノ・ワルター没後50年の記念の年である。
昨日、音楽之友社より発売された宇野功芳編集長の本「ブルーノ・ワルター」が届きました。
音楽評論家の宇野功芳氏はおそらく生前のワルターと文通した、おそらく唯一の日本人でしょう。それだけに、没後50年の節目に、大変いい企画の本が登場して私は喜んでいます。
まだ、全てに目を通していませんが、やはり圧巻なのは、初めて公開されたワルターの宇野氏への手紙です。
最初の手紙は1952年。そして最後の手紙は、死の前年の1961年。
当時、現在以上に、アメリカから見ると日本は遥か遠くに感じる国だったに違いありません。
そんな極東の島国からの音楽を志す全く無名の若者の手紙に対して、世界的巨匠が真摯に、そして真剣に宇野氏の問いに答えている文面を読んで、強い感動を憶えました。
一番、印象の残った手紙。1960年8月の手紙。
「(前略)ウィーンへの旅も体力を求められるものであり、この先はもう、行くべきでないでしょうが、(今回は)言って良かったと思います。なぜなら、私の音楽に対する期待が、今回の旅によって素晴らしく満たされたからです。(後略)」
1960年5月29日、生涯最後のウィーンフィルの指揮台に立った時の思いが込み上げているのでしょう。ヨーロッパで生まれ、ヨーロッパでキャリアと名声を積んできたワルターがユダヤ人ゆえに、第2次世界大戦でヨーロッパを去り、アメリカに亡命しなければいけなかった。
おそらく、その時の悪夢の思い出も消えていないはず。そんなウィーンに対して「私の音楽に対する期待が、今回の旅によって素晴らしく満たされたからです」と言い切ったコメントを読んで、ワルターの音楽とウィーン(ヨーロッパ)に対する思いが伝わってきて、ワルターの生涯を思うと感慨深い気持ちで一杯になりました。
余談ですが、この時のウィーンフィルとのマーラーの交響曲第4番の録音状態の良いCDはあるのだろうか?大昔、LPレコードで発売された時、あまりにの音のバランスの悪さに閉口したことがあります。
この本のまえがきで宇野功芳氏は音楽雑誌「音楽の友」の指揮者のファン投票で、ワルターは最近20位にも入って来なくなったと述べられています。私は、この数年「音楽の友を購読していないので知りませんでしたが、全くの驚きでした。時代の流れと言えば、しかたがないのですが、やはり残念です。私にとってワルターは一番大好きな指揮者の4人の内の1人です。
以前「ワルターとの出会い」でもコメントしましたが、晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音、その前のニューヨークフィルの時代、さかのぼって亡命直後、そしてさらにさかのぼってウィーン時代の録音を聴いてワルターがその時代によって演奏スタイルが違う事に気が付いて来ました。このような面白さはフルトヴェングラーにはありません。ワルターの録音の収集はこれからも続行です。まだまだこの指揮者の素晴らしさや面白さに気が付いていない事がたくさんあるはずです。
今年も、いろいろと復刻盤が発売されるようです。ますますブルーノ・ワルターに傾倒してしまう1年になりそうです。
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