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オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

鳴戸親方(元横綱隆の里)急死

2011年11月07日 22時26分29秒 | 大相撲
本当に驚いた。
元横綱隆の里の鳴戸親方の急死のニュース。
鳴戸部屋は八百長で揺れ動いた大相撲界の中で、ガチンコ部屋で有名であった。
そして、きびしい稽古でも有名でした。
それだけに週刊誌の暴行疑惑報道が本人にとって、本当に苦しかったのだろうか?
暴力は絶対にいけないことですが鳴戸親方の急死は、大相撲の中で何か大切なものが、また一つ消え去った感が強く、寂しい気持ちで一杯です。
鳴戸親方の師匠は名横綱若乃花、兄弟子は私が大好きだった名大関貴ノ花。
脈々と受け継つがれてきた大相撲の何か大切なものが、これで途絶えてしまうのだろうか?
九州場所で大関昇進に挑む弟子の関脇稀勢の里の健闘を願うばかりである。
弟子の大関昇進を見る事なく、死を迎えた鳴戸親方。さぞかし無念であったでしょう。
最後に鳴戸親方のご冥福をお祈りします。


思い出の一番

2011年04月08日 10時15分29秒 | 大相撲
私の手元に「映像で見る国技大相撲 DVD名勝負セレクション」が2冊ある。以前のように熱心に大相撲を見ていた頃だったら間違いなく全巻購入していたかもそれませんが、現在は興味も薄れてしまったので、自分自身、思い出深い年代のDVDのみ購入しました。
その中で、すぐに購入したのが「昭和43年~46年」のDVDである。
横綱柏戸と大鵬の引退、玉の海、北の富士の横綱昇進、新鋭・貴ノ花(現在の貴乃花親方の父)の躍進など、この頃が私にとって一番、純粋に大相撲を見て熱狂していた時期でしょう。ちょうど私が中学生になった頃である。
人それぞれ思い出の一番、忘れることの出来ない一番があると思います。
私にとって今までで一番忘れることが出来ない一番は昭和46年9月場所7日目の横綱玉の海と関脇貴ノ花の一番である。
テレビで実況を見て以降、約40年、このDVDを手にするまで一度も再び、この一番の映像を見ることが出来なかった。そして、やっとDVDで見る事が出来た時は感概無量でした。
私は現在でも一番の理想の力士は玉の海と貴ノ花である。
当時、玉の海は大鵬引退後、正に土俵の第一人者、そして貴ノ花は次代を期待されている新進気鋭の時期であった。この2人の大一番である。
この一番は立合いの攻防のあと、貴ノ花がもろ差しになって一気に玉の海を土俵際に追い込みましたが、貴ノ花の寄りをこらえた玉の海が、やぐら気味に吊りだし貴ノ花を土俵下に放り出した凄い一番でした。
玉の海の得意技の吊りは本当に豪快で、芸術的と言ってもよかった。
しかし、この一番の凄さは土俵際に追い込まれた玉の海が一瞬にして攻守を入れ替え、貴ノ花の廻しを取らないまま、持ち上げてしまった玉の海の下半身の強さ。
時間は短いですが両力士の攻防を何度DVDで見直しても震えさえ感じさせるものがあります。
場所後、横綱玉の海は急死。まだ27歳の若さだった。貴ノ花は7回、玉の海に挑んだが一度も勝てなかった。
私にとって横綱玉の海の生涯最後を飾る大一番として生涯、忘れることは無いでしょう。そして敗れたとは言え貴ノ花も立派だった。

今日の朝日新聞のスポーツ欄の八百長問題の記事に大揺れの現在の大相撲界を象徴する記事がありました。
今年の1月場所、取組を終えたモンゴル出身力士が取組前の準備運動中の横綱白鵬を訪れ、モンゴル語で、にこやかに談笑していたそうである。このモンゴル出身力士は今回の八百長問題で処分され引退届を出した力士とのことである。
この記事を読んで、たいへん大昔に読んだ相撲雑誌の記事を思い出しました。
横綱玉の海が取組前、支度部屋で精神を集中していた時、1人の新聞記者が玉の海の前を横切ったそうである。それを見た玉の海の付け人の1人が、その新聞記者を追いかけて行って言ったそうである。
「横綱が取組を前にして精神を集中させている時、何ということをするのだ!」
玉の海が控えている場所の土間には水が打たれ、緊張感にあふれた表情の付け人たちが無言で横綱を囲んでいたそうである。
現在、取組前の支度部屋で、このような緊張感はあるのだろうか?
取組前の緊張感、角界の秩序、横綱の威厳などが、どんどん薄れて行き、逆に馴れ合いの土壌が広がって行き、それが、今回の八百長問題として一気に噴き出していったに違いありません。

昭和46年9月場所7日目、横綱玉の海と関脇貴ノ花の一番。
再び、このような一番を見る事が出来ることを願うのみである。


*最後に本日聴いたCD
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第1幕 フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI盤)
ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティク」 ヴァント指揮ケルン放送管弦楽団(RCA盤)






大相撲春場所中止。

2011年02月06日 22時46分31秒 | 大相撲
とうとう大相撲春場所が中止になった。この数年、大相撲に対する興味が全く無くなってしまったとはいえ、大阪で開催される春場所はいろいろ思い出があるだけに、やはり寂しい。私が中学2年の時、初めて生で大相撲を見たのは春場所だった。大好きだった貴ノ花(現在の貴乃花親方の父)の姿を見て感激したり、高見山の大きさに驚いたりして、いろいろと当時を思い出されます。一緒にいた今は亡き父は幕の内弁当を食べながらご機嫌で酒を飲んでいた。あの場所は入幕3場所目の魁傑が大活躍して敗れはしたが関脇・長谷川との優勝決定戦があった場所である。この魁傑が今の放駒理事長である。
そんな昔の春場所のいい思い出も今回の八百長メール事件で、粉々に打ち砕かれてしまった!
テレビで報道されたメール内容。あれはいったい何だ!まさに八百長サークルである。
八百長は大相撲界の最も闇の部分であった。私は八百長のことを「注射」、八百長を仲介する力士のことを「中盆」と言われていることを、いつの頃からか知っていた。そして、それらに対して嫌悪感を抱いていた。しかし、それでも数年前まで大相撲に対して魅力を強く感じていたのは確かである。
八百長をやらない力士のことをガチンコ力士と言われています。そしてガチンコ力士は何かと変人扱いされていたと聞いたことがあります。
不祥事の続く大相撲界。八百長は、これらの問題の巨悪の根源かもしれない。問題のメールに登場する力士だけでなく、過去に八百長に手を染めた親方や力士もいるのなら、名乗り出て欲しいものである。そうでないと、トカゲのしっぽ切りで終わり根本的解決にならないのではないかと思ったりします。
こんな時が来るとは想像もしなかった。
昭和20年6月、東京大空襲直後の焼け野原に残った穴だらけの両国国技館で非公開ながら本場所が開催されています。どんな時代が来ようとも大相撲の伝統を必死で守ろうとした人たちがいた。これは絶対に忘れてはいけない。しかし、忘れてしまったのが今の不祥事続きの大相撲界である。
放駒理事長は現役時代、クリーン魁傑と言われたガチンコ力士でした。これだけが救いである。今の大相撲界を救えるのはガチンコ力士だった親方たちとガチンコ力士たちしかいない。
土俵入りの華やかさ、力士の美しい肌の色、立会いの厳しさ。大相撲はスポーツの枠を超えた美しさがあります。再び真の大相撲の姿を見せてくれる時が来て欲しいものである。

初代・横綱若乃花、死去。

2010年09月02日 23時00分36秒 | 大相撲
本当は今日も「フレンズ・オン・アイス」を話題にするつもりでしたが急遽、今、何かと世間を騒がせている大相撲の話題に予定変更します。
元大関の魁傑が理事長になったので、一度、大相撲を話題にしたいと思っていましたが、触れずに今日まで来てしまいましたが、初代の横綱若乃花の訃報に接し、今日は大相撲の事を話題にします。

日本相撲協会の理事長も務めた初代・横綱若乃花が9月1日死去。享年82歳。
私自身、何か大きな時代が終わった、そして心の中で区切りをつけなければいけないという、言い知れない気持ちが強い。まさに私にとって「巨星、堕つ」である。
そして、また昭和が遠くなった。
初代・横綱若乃花(これ以降、若乃花と記します)は私の父と同じ昭和3年生まれである。
早く父を亡くした私にとって、父と同じ齢の若乃花は特別な存在でした。
享年82歳と聞いて、すぐに頭の中をよぎったのは「もし父が生きていたら82歳だったのか!」という何とも表現出来ない思いでした。65歳で相撲協会を定年退職した時も「父が生きていたら65歳だったのか」と思ったものです。
残念ながら私は土俵の鬼と言われた若乃花の現役時代は知りません。
私にとって若乃花は大好きだった大関貴ノ花(現・貴乃花親方の父)の実兄であり、師匠だったということが大きい、いや大き過ぎた。私は大関貴ノ花が大好きだった。いや現在でも私の力士の理想像かもしれません。
その大好きだった大関貴ノ花の相撲人生は兄であり師匠だった若乃花との葛藤だったというのは言い過ぎでしょうか?
その若乃花が亡くなった。大関貴ノ花は兄・若乃花に先立って、すでに故人である。そして貴ノ花の息子の貴乃花親方は現在、相撲協会の理事であり秋場所から審判部長である。
時の流れの凄さ、大きさを強く感じてしまいます。
それにしてもドラマチックな生涯でした。
審判部副部長の時、大関貴ノ花が初優勝!
土俵上で実弟であり弟子である大関貴ノ花に優勝旗を渡す姿は感動的でした。今も忘れることが出来ません。
そして理事長として最後の場所に甥の貴乃花(当時は貴花田)が初優勝!
賜杯を渡す姿を見て大きな感動を憶えたのは私だけでしょうか?
その時の若乃花のコメントを今も憶えています。
「夢のまた夢」
今、あの世からライバルだった横綱栃錦や実弟の大関貴ノ花と今の大相撲界をどのように見つめているのでしょうか?

大関貴ノ花の実兄であり師匠だった初代・横綱若乃花が亡くなりました。
心からご冥福をお祈りします。




大相撲7月場所開催。

2010年06月28日 22時57分45秒 | 大相撲
大相撲7月場所は、賛否両論のようであるが、予定通り開催されるらしい。
私にとっては、もう、どっちでもよいことである。
ただ報道でも話題になっている、大嶽親方と大関琴光喜の事を思うと本当に複雑な気持ちである。
私は大嶽親方が現役の時の貴闘力が大好きだった。大ファンだった大関貴ノ花の弟子ということもあります。また闘志満々の取り口、土俵態度にもたいへん魅力を感じていました。それだけに残念という言葉だけでは言い表わす事の出来ない辛いものが心の底から湧いてきます。また現在の義父に当たる元横綱大鵬の今の心境を考えると、ますます辛くなる。
そして大関・琴光喜。今回の一連の騒動で琴光喜の名前が出た時、すぐに頭の中をよぎったたのは琴光喜が大関に昇進した直後、亡くなった元横綱琴桜の先代の佐渡ヶ嶽親方のことである。もし先代が生きていたら、どんなに悲しんだであろうかと思うと胸が張り裂けそうな気持ちになります。
横綱大鵬と琴桜、そして大関貴ノ花。大嶽親方と琴光喜を取巻いていた人たちの存在が私自身、大きかっただけに今回の不祥事は本当に辛い。悲しい。
不祥事続きの大相撲界。もう二度と今回のような大相撲を愛していた者を悲しませることが起きないように・・・念ずるのみである。



うんざり。

2010年06月17日 23時09分27秒 | 大相撲
すでに興味を失っているとは言え、毎日、ニュースやワイドショーで報じられる大相撲界の不祥事の連発には、もう、うんざり。
もう、沢山だ!
もう、大相撲というものが、この世から無くなるのではないかという危機感すら私は感じています。
明治時代、角聖といわれた横綱常陸山から戦前の大横綱双葉山、戦後の栃錦、若乃花、そして大鵬、柏戸、そして、そして現在へと脈々と伝えられてきたものが無くなってしまうのであろうか?
私の大好きな「お相撲さん」という言葉が無くなるのだろうか?日本人として私は嫌だ!
大関貴ノ花(元横綱貴乃花親方の父)の土俵に一喜一憂した、あの頃が無性に懐かしい。もう、あの時の様な熱狂、感動は二度と得られないのだろうか?
現在、来るところまで来た断末魔の状況なのだろうか?これが、まだ入り口なのだろうか?
もう7月の名古屋場所どころではないのは間違いないのは確かである。

本当に、毎日が辛い。

貴乃花グループの連合稽古

2010年05月05日 23時13分45秒 | 大相撲
2月に行われた日本相撲協会の理事選挙で話題になった貴乃花グループの連合稽古があったとの事。
その連合稽古にグループ外の元関脇・寺尾の錣山親方(時津風一門)が弟子を連れて参加したとの報道。
寺尾も男じゃの~!なかなかやるな~!
少しでも旧態依然の相撲界に新風を吹かせてほしいものである。

横綱玉の海のこと。

2010年03月14日 22時53分36秒 | 大相撲
昨日の夜、NHK・BS2の「日めくりタイムトラベル・昭和46年」を見ました。
私の中学生時代で、懐かしくみました。その頃の首相は佐藤栄作である。本当に昔である。
いろいろな話題の中で、10月の話題で、私にとって、まさに息が止まるような事が登場する。
「横綱玉の海 現役で急死」
放送では死の3ヶ月前の名古屋場所で横綱北の富士を破って全勝優勝を飾った一番と表彰式の映像も放送されました。当然、その当時、私はリアルタイムでテレビの放送を見ています。
ああ、この年だったのか!と思い、そして横綱玉の海を失った時の衝撃と悲しみが長い年月が経った今、よみがえってきました。
私にとって現在も横綱玉の海は私にとって最高の横綱であり、横綱の理想像です。
不知火型の土俵入りも素晴らしかった。テレビの映像を通じてですが、今まで見た横綱の土曜入りの中で最高のものを見せてくれました。太刀持ちは、ほとんど、後の名大関貴ノ花が務めていました。これ以降の横綱の土俵入りの何と軽いことか!
右四つのしっかりとした型を持っていた横綱玉の海。今まで、相撲内容では、一番、不世出の大横綱双葉山に迫った横綱だったかもしれません。

今日から大相撲春場所が始まったことをテレビのスポーツニュースを見るまで意識がありませんでした。
ワイドショーでは今も、元横綱朝青龍の話題ばかり。私は何も感概が湧きません。
もう一度、大相撲に熱中していた、あの時代に戻りたいものです。

「映像で見る国技大相撲」

2010年02月04日 10時53分02秒 | 大相撲
今日も朝からのワイドショーでは各局、大相撲の話題満載である。
残念ながら先月の初場所の放送は全く見なかった。
理由があるが、大きな理由の一つに現在、御ひいき力士が全くいないので力が入らないと言う事が大きい。
数日前、本屋へ行くと、「映像で見る国技大相撲」DVD名勝負セレクションというものが発売されていて創刊号を買ってしまいました。
昭和49~50年の名勝負が収録されていて、表紙は一番好きな力士だった大関貴ノ花(今の貴乃花親方の父親)優勝の瞬間の写真なので迷わず買ってしまった。
DVDに収録されている映像の中で、やはりハイライトは昭和50年3月場所の初優勝をかけた横綱北の湖との取り組みである。あの頃の北の湖は強かった!あの熱狂の時代に戻りたい。本当に現在は醒めてしまった。
その他、あの時代の土俵を沸かせた横綱輪島を初め、魁傑、旭国、麒麟児、富士桜などの現役時代の姿をみることも出来て、現在の大相撲を見るより力が入りました。やはり昔の力士は現在よりスリムで技が多彩だった。
発売元が雑誌「相撲」のベースボールマガジン社なので当時の当時の「相撲」誌の表紙ライブラリーもあり全て記憶があり、これまた懐かしい。おそらくわが家のどこかに残っているはずである。
初場所後の相撲協会の理事選で大好きだった大関貴ノ花の息子である貴乃花親方が理事になり話題となっています。
父親の大関貴ノ花から引き継いだ相撲道を少しでも協会運営にいかして魅力のある大相撲界にして欲しいものである。

大相撲界を去る高見山

2009年05月25日 11時18分57秒 | 大相撲
大相撲五月場所は大関日馬富士が優勝決定戦で横綱白鵬を破って見事、初優勝を飾りました。それにしても本割での大関琴欧州戦での首投げには驚かされました。あの大切な大一番にあの様な大技を出す集中力は凄いものがあります。
http://blog.goo.ne.jp/harumafuji

さて今日、朝起きてテレビのワイドショーを見ていると元関脇高見山の東関親方が相撲協会を65歳の定年をむかえることを報じていました。
私にとってやはり東関親方というよりも現役時代の高見山のイメージが強過ぎます。私が一番、大相撲を見ていた頃の人気力士である。現在、大相撲界は外国籍力士が花盛りで高見山はそのパイオニア的存在ですが私にとっては外国人力士だからどうのと言う事を超越した存在で、あの巨体を生かした相撲はたいへん魅力的でしたし負けっぷりも絵になる力士でした。
そして高見山を見出した元横綱前田山、当時の高砂親方の先見性、眼力、指導力には改めて敬服するしだいです。
高見山が新入幕をしたのは確か私が小学5年生の時、優勝した時は中学3年生の時、そして引退したのは私は大学を卒業して社会人になっていたはずです。ですからたいへんな息の長い現役生活だったと言えるでしょう。私自身のいろいろな出来事とダブってしまいます。
ですから、あの高見山が定年と聞いて改めて私自身も年をとったのだなあと実感してしまいました。
私が見たワイドショーでは元横綱輪島も登場してたいへん懐かしかった。高見山は輪島にたいへん強かった!
そしてあの大関貴ノ花との最後の一番も放送され貴ノ花ファンとして胸に迫るものがありました。
貴ノ花を一気に土曜際に攻めたてる高見山。
驚異の粘り腰を見せ逆転する貴ノ花。
ほぼ同体の攻防で軍配は貴ノ花に上がるが物言いがつき、貴ノ花のマゲが一瞬早く土俵についており、行司差し違えで高見山の勝ち。
行司は当時の三役格の式守伊三郎。これまた懐かしい。今の行司はさっぱりわかりませんが、あの当時の行司は顔を見ただけで名前がわかります。
この一番は当時テレビで見ています。貴ノ花と高見山。昭和を代表する名力士同士の最後の一番として、私の心の中にいつまでも刻まれることでしょう。

高見山には相撲協会を去っても、いつまでもお元気でいて欲しいものです。そして時々テレビにも登場してあの懐かしい顔を見せて欲しいものです。

個性派力士列伝

2008年09月11日 01時03分57秒 | 大相撲
私が一番、大相撲に熱狂していた頃の個性派力士たちの四股名を並べてみました。

大関貴ノ花 大関旭国 大関魁傑 関脇栃赤城 関脇富士桜 関脇高見山 関脇荒勢 小結若浪 関脇黒姫山
関脇陸奥嵐 関脇栃東 関脇福の花 小結龍虎 関脇麒麟児 関脇北瀬海 小結大潮 小結豊山 関脇出羽の花など

まだまだ、いろんな力士が思い浮かんできます。あの頃は土俵から目が離せなかった。

貴ノ花の相撲は本当に凄かった!大関清国に脚を取られたが粘りに粘って上手出し投げで勝った。横綱北の富士との、かばい手が、からんだ一番も忘れられない。
関脇同士で輪島との水入りの大相撲も思い出した。

富士桜と麒麟児が昭和天皇を迎えての天覧相撲の時の一番の物凄い突っ張りの応酬も凄かった。

旭国と魁傑の2度の水入り後取り直しの大相撲も忘れられない。魂が揺さぶられる一番だった。

大相撲にも、あのような勝負(かちまけ)を超えた取り組みを見ることが出来た時代があった。凄かったあの頃へ戻りたい。そして、もう一度、あの頃のような力の入った一番を見たいものである。

ここまで来たか、大相撲。

2008年09月08日 18時37分10秒 | 大相撲
とうとう大麻で問題になったロシア出身の2人の力士が解雇になり、北の湖理事長も辞任となってしまった。理事長の止め際や大麻力士を、どうのこうのと言う気持ちは今更ありませんが大相撲界もとうとう、ここまできてしまったのかという気持ちで一杯である。
昔は本場所が始まる数日前から胸をときめかし、場所が終わると数日間は寂しくてしかたなかった。しかし、こんな気持ちは10年ほど前から薄れていき、今は全く無くなってしまった。あの頃へ戻りたいものである。やはり魅力を感じたり個性的な力士がいなくなった為で、今回の騒動はダメ押しだったのだろうか?

新理事長の武蔵川親方は元横綱三重の海である。横綱三重の海は遅咲きの横綱で連続優勝したあと、ケガをしてスパッと引退して、まさに太く短い横綱だったと記憶しています。先代の武蔵川親方は名理事長でした。まさに茨の道かもしれませんが大相撲が昔のような輝きを取り戻せるよう念ずるのみである。

もうすぐ大相撲三月場所

2008年02月28日 00時36分34秒 | 大相撲
大相撲三月場所の番付も発表され先場所同様東西の両横綱の優勝争いを期待したいところですが、相撲関係で飛び込んでくるのは朝青龍の合いも変わらず横綱の品格のないニュースばかり。もう、うんざり!2場所の出場停止は何だったのかな?
横綱は強けりゃいいのかな?

以前、朝日新聞から発売されていた週間朝日百科のシリーズに「人間国宝」という物があり、その第3巻に歌舞伎の女方の特集があり、その中で役者の神様と称えられた今は亡き六代目中村歌右衛門が紹介されていました。その中で品格について述べられていました。

「(前略)歌右衛門の芸の目標はその格にあった。(中略)歌右衛門が(息子の)梅玉に要求したものは芸の品格であり、それはまた歌右衛門自身が生涯の目標にしてきたものにほかならなかった。
しかし品格とは、おのずから身につくものであって、計算したり狙って出来るものではない。計算したり狙って出来るものを目標というならば、品格とは目標とすることの出来ぬもの、目標の外にあるものを目指すことによって、初めて芸は磨かれ、その人の生き方そのものが磨かれるものである。
そしてもっとも大切なことは、そういう磨かれ方をしない限り芸は円熟しないということである。目標は努力によって到達できる。努力しても到達出切るかどうか、わからぬものを目標とすることによって初めて芸は円熟する。
歌右衛門は晩年において、この品格によって円熟した。老齢と病気のため体が不自由になってもなお、歌右衛門は初めて近代を超え、歌舞伎の神話を私たちの眼前に示したのである。(後略)」

この文章を読んでいて私が中学生の時、相撲雑誌に当時まだ現役だった横綱大鵬の紹介で「円熟、横綱大鵬」とタイトルがあり母親に「円熟とは何!」とたずねたことを思い出しました。
人間国宝と横綱を一緒にするな!と言われるかもしれませんが、私が持つ横綱のイメージはそれほど高いということかもしれません。



時津風部屋事件に思う。

2008年02月08日 10時51分03秒 | 大相撲
時津風部屋の若手力士が死亡した事件で前時津風親方と兄弟子3人がとうとう逮捕されてしまった。私自身長い間大相撲を見てきたが当然初めての事で本当に辛いニュースである。テレビで元幕内の時津海の現時津風親方が部屋の稽古場でインタビューされているのを見ましたが、親方の後の壁に部屋の創始者である大横綱だった双葉山の写真の額が掛かっており双葉山が泣いているようで余計悲しかった。双葉山が現役時代、立浪部屋から独立した時、最初は時津風部屋と名乗らず「双葉山道場」と名乗りました。あえて「部屋」ではなく「道場」とした双葉山の理想、理念、思いは薄れて無くなったのだろうか?
現時津風親方にはぜひとも取り戻して欲しいものである。

この事件をきっかけに相撲界の稽古のありかたが問題になりました。今回のように反社会的な事は絶対ゆるしてはいけません。悪いところは絶対無くしてもらわなければいけませんが、ただでさえ現在の大相撲はモンゴルを筆頭に外人力士と大学相撲界出身者が多くを占め本当のたたき上げ力士が少なくなりました。長い大相撲の歴史の中で幾多の名力士、大力士を生んできたプロセスだけはきちんと残さないと大相撲は本当に消滅してしまうと思います。

先ごろ相撲協会の役員が改選され北の湖理事長が再選されましたが何か相撲界がこれから変わるような気概は全く感じませんでした。横綱朝青龍の騒動も含めて北の湖理事長の会見では本当にリーダーシップを取っているようには、どうしても思えません。昔の双葉山の時津風理事長や出羽ノ花の武蔵川理事長の時だったら、このような時どのような姿勢を見せるかどうしても思いを馳せてしまいます。
先月の1月場所、東西の横綱対決で本当に久しぶりに大相撲の醍醐味を味合うことが出来ました。この楽しみが将来も続く事を念ずるばかりです。




時津風部屋の事件に思う事。

2007年09月29日 00時32分41秒 | 大相撲
私が大好きだった元大関貴ノ花の先代二子山親方は稽古場外で弟弟子を「かわいがった」弟子をすぐに首にしたという話を聞いた事があります。自身の新弟子時代の「かわいがり」(ある本で一升瓶の酒をラッパ飲みさせられたという記事を読んだ事があります)が凄まじかった経験から、大変な覚悟で弟子を指導していたのでしょう。もし親方が今も健在だったら相撲協会の対応はどうだったかと思ったりします。

時津風部屋は大横綱の双葉山が現役時代、立浪部屋から独立して創設した名門の相撲部屋です。双葉山が現役の間は時津風部屋と言わないで「双葉山道場」と名乗っていました。ですから今でも時津風部屋の事を「道場」と呼ぶ人がいるそうです。「部屋」と呼ばないで「道場」と名乗った双葉山の相撲に対する理想、理念を受け継いでいるものと思っていましたが年月が経ち忘れ去られたのでしょう。
色々な処分が取り沙汰されていますが、この名門相撲部屋を取り潰すくらいの覚悟が相撲協会には必要では無いでしょうか。昔、元横綱の輪島の不祥事で花篭部屋は放駒部屋に吸収された事があり、今回は死者が出た事件。大横綱双葉山が創設した部屋だけに名前は残って欲しい気持ちは強いのですが・・・本当の相撲界はこれからどうなるのでしょうか?