オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

横綱玉の海のこと。

2010年03月14日 22時53分36秒 | 大相撲
昨日の夜、NHK・BS2の「日めくりタイムトラベル・昭和46年」を見ました。
私の中学生時代で、懐かしくみました。その頃の首相は佐藤栄作である。本当に昔である。
いろいろな話題の中で、10月の話題で、私にとって、まさに息が止まるような事が登場する。
「横綱玉の海 現役で急死」
放送では死の3ヶ月前の名古屋場所で横綱北の富士を破って全勝優勝を飾った一番と表彰式の映像も放送されました。当然、その当時、私はリアルタイムでテレビの放送を見ています。
ああ、この年だったのか!と思い、そして横綱玉の海を失った時の衝撃と悲しみが長い年月が経った今、よみがえってきました。
私にとって現在も横綱玉の海は私にとって最高の横綱であり、横綱の理想像です。
不知火型の土俵入りも素晴らしかった。テレビの映像を通じてですが、今まで見た横綱の土曜入りの中で最高のものを見せてくれました。太刀持ちは、ほとんど、後の名大関貴ノ花が務めていました。これ以降の横綱の土俵入りの何と軽いことか!
右四つのしっかりとした型を持っていた横綱玉の海。今まで、相撲内容では、一番、不世出の大横綱双葉山に迫った横綱だったかもしれません。

今日から大相撲春場所が始まったことをテレビのスポーツニュースを見るまで意識がありませんでした。
ワイドショーでは今も、元横綱朝青龍の話題ばかり。私は何も感概が湧きません。
もう一度、大相撲に熱中していた、あの時代に戻りたいものです。

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4 コメント

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おとといが命日でしたよね (ヒサオ)
2010-10-13 04:38:49
あれから39年も経つんですか。私は小学生一年生でした。たぶん 桂小金治さんのアフタヌーンショーだったかと思いますが 告別式の模様を中継していたと記憶しています。遺影は名古屋場所全勝優勝の優勝額と同様の物が飾られ、母が「さぞや棺は大きいんだろうねぇ」とか話していましたか。
今年の10月11日朝、朝1番でテレビ欄(各局の放送欄に 特集が組まれているか)をチェックしたりと、遠い記憶 少年期の自分探しをしたい気持ちとも重なり、この出来事の衝撃を 一生忘れられずに 心のどこかにしまってます。死の恐怖と悲しみ。それを痛烈に教えてくださったのは 横綱玉の海関だと 思っています。白鵬関の現在の活躍ぶりに 今は、冷静な気持ちで 応援しています。

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あれから39年。 (オペラファン)
2010-10-13 13:01:36
ヒサオ様へ

コメント、ありがとうございました。
39年前のあの日は、ちょうど学校が何かの行事の代休で休みで、家でテレビを見ていたら、急にニュース速報で玉の海死去が伝えられ、たいへん驚き衝撃を受けたことを憶えています。
玉の海は横綱時代、双葉山をたいへん意識していたと聞いています。そして現在、白鵬は双葉山を意識しています。
玉の海と白鵬の土俵入りは同じ不知火型。何か、強い因縁を感じます。
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私もファンでした。 (kazuma)
2011-10-10 22:03:05
オペラファンさん、こんばんは~。

本日は、故横綱玉の海関のことを書いたブログを発見!居ても立ってもいられず、コメントさせて頂きます。何を隠そう~、私も玉の海関の大ファンで、横綱が急死した時には、小学6年でしたが、無性に悲しくて何度も何度も泣いたものでした。

正に、横綱柏戸・大鵬が土俵を去り、角界を担う第一人者として~北の富士と覇を競う、黄金時代到来か!と、思われた矢先のことだっただけに、衝撃は大きかった~!今から思えば、昭和46年9月場所7日目の、関脇貴ノ花との一戦は、横綱最後の置き土産だったのかもしれません!それにしても惜しい、あまりにもいたましすぎるぅ~!27才~、これからが玉の海の、正念場であったというのにぃ~。(涙、涙!)

そして、私にとって忘れえぬ大一番は、あの巨象・大鵬との優勝を賭けた2番勝負~、本割・優勝決定戦の息詰まる死闘でした。私としては~玉の海に優勝して欲しかったのですがねぇ~。

いずれにせよ、玉の海関が急死したことで、北の富士は浮き沈みの激しい、不安定な横綱となり~、その間隙を縫って、まさか!の琴桜までもが(失礼)横綱になり~、同時進行で貴ノ花と輪島が台頭し、やがて北の湖が急成長してくる~……。という具合に、大相撲の勢力地図は大きく変わって行きました。

でも、私にとっての理想・最高の横綱玉の海が亡くなってから、茫然自失~しばらくは大相撲を見る気がしませんでした。あの豪快な吊り出し、切れ味鋭い下手投げ~(対増位山戦)そして、双葉山に肉迫して来た右四つの型!どれを見ても芸術的で、近い将来~きっと大横綱になるぞ、このお相撲さんは~!と、期待を寄せていただけに、かえすがえすも、残念でなりませんよぉ~、オペラファンさん!

いやあ~、もう何十年も前のことなのに、興奮して喋りまくって、すみませんでした。
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横綱玉の海のこと (オペラファン)
2011-10-10 22:50:45
kazuma様へ

ずいぶん以前の記事のコメント、ありがとうございます。
増位山戦は、よく憶えています。昭和46年の名古屋場所。下手投げで初顔の増位山を裏返しにして格の違いを見せつけられました。確か、この場所では輪島との初顔合わせの一番もありました。
昭和46年初場所の千秋楽に本割と優勝決定戦で大鵬に敗れたときの悔しさは現在も薄れていません。
記事にも書きましたが、単なる優勝回数ではなく、相撲内容では一番、双葉山に迫った力士だったことは間違いないと思っています。
もし玉の海が存命だったら、その後の大相撲界は、大きく違ったものになったでしょう。
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