夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの『札幌クリスマス&イルミネーション』の想いで・・。 《下》  【再掲載】

2010-12-15 08:04:11 | 旅のあれこれ
この後の私は、このサイトに於いて、
【 冬の札幌のひとときは、時のゆりかご・・。【2008.12.21~.12.25.】 】
と題して、投稿したりしていた。


        序 章

私は東京郊外の調布市に住み、年金生活の5年生の64歳の身であり、
冬の時節、札幌に4泊5日で訪れた。

三度目の冬であるが、初めて『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たり、
市内の各地をゆっくり散策したりした・・。

平年より雪が少ないと報じられて折、
小雪が降ったり、止(や)んだりした中で過ごした期間でもあった。

私には、雪が舞う中を家内と散策したりしていると、
この北国の春、夏、そして晩秋の過ぎた日々に思いを重ねたりすると、
舞う雪の情景は、時のゆりかごのように感じられたのである。



        第一章 暮れなずむ中、雪が舞い降りて

新千歳空港に午後3時半過ぎに、私達夫婦は札幌行きに乗車した。
車窓から里辺を観ると、5センチ前後の雪化粧の景観であった。
そして、雪が舞い降(お)りて、ひとひら、ふたひらと雪の精が空中をさまよいながら、
地上を降り立った・・。

『思ったより・・雪・・少ないねぇ・・』
と私は家内に云いながら、以前に年始の時、そして2月の雪祭りの時の積雪を思い浮かべながら、
住宅街の情景を眺めたりした。


札幌駅から地下鉄に乗り換え、『ススキノ駅』から5分前後歩いた場所に、
滞在するホテルがあった。
今回の旅は、ある旅行会社の企画プランで、
航空料金と宿泊代、そして旭山動物園バス・ツアーも付加された
驚くべ格安な旅費であったので、多少の不安があった。

事前に宿泊するビジネス・ホテル風を調べて、
『こんなに安くて・・ホテルも旅行会社も大丈夫なのかしら・・』
と私は家内に云ったりしたのである。

http://www.susukino-greenhotels.com/gh2/index.html
『ススキノグリーンホテル2』

チェック・イン後、入室したのであるが、
このホテルの浴室は洗い場があり、単なる洋バスより遙かに利便性がある。

この後、簡易の滑り止めを靴にセットし、
夜の6時過ぎに、小雪舞い降る中、賑わう街中を歩き、
目的地の大通(おおどおり)にある『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たりした。

http://www.sweb.co.jp/kanko/white/
『さっぽろホワイト・イルミネーション』

私はクリスマスに向けた大規模なイルミネーションの光景は、
生まれて初めて観たが、やはり婦女子の観るものかしら、と思ったが、
こうした市民や私達のような観光客の中に身を置くと、
素直に美麗な装飾も情感があると感じたのである。

そして、市民たちの幼子たちの歓声を聞いたりしていた。



        第二章 幻のペンギンのヨチヨチ歩き、そして・・。

今回の旅で、家内が旭山動物園に於いて、
冬季の大半がペンギンの散歩の際にヨチヨチ歩きが観られるので、
家内が愉しみにしていたひとつであった。

私達は北海道には四季折々訪ね、
少なくとも旭山動物園には春と秋の頃に、観たりしているが、
冬季の雪のある時は未知であった。

http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
      旭山動物園

私達は防寒用の登山靴で防寒フィールド・ジャケット、帽子で、
たとえマイナス15度前後の寒さになっても万全の対策の様相で、
バス・ツアー『旭山動物園1日』の集合場所に8時前に到着した。

道央自動車道の高速道路をバスは走ったが、
途中の休憩地の『砂川SA』でも積雪10センチ前後であった。

この後、雪が降り出し、ときおり風が吹いたりし、
動物園に11時15分過ぎに到着したが、ペンギンの散歩は中止と知り、
やむえず昼食として、東口にあるレストランに入った。

私はもとより動物は苦手であるが、
家内は動物好きで、この日は家内の誕生日であり、
プレゼントの代わりに今回の旅に思い立ったひとつでもある。

レストランの料理は創意工夫があり、
私はビールを呑みながら、誉(ほ)めたりしながら頂いた。
そして、いつものように家内の選定した料理と、少しづつ交換しながら、食味したりした。

この後、積雪15センチ前後で、再び雪が降りはじめ、微風が吹く中、
園内を観て廻った・・。
掲示の気温はマイナス4度と表示されていたが、私は寒さを感じることなかったのである。

そして、アムールの虎、アムールの豹は精悍で凛々しく見えたが、
やはり冬のライオンは哀れである。
私はこのようにしか、動物を観るしかできない身である。

家内は『ペンギン館』はもとより、『アザラシ館』、『北極熊館』を観ている間、
私は休憩所、出入り口にある喫煙所で煙草を喫いながら、
老若男女のしぐさを観ている方に興味があったりしたので、
眺めて微苦笑させられたりしていた。
そして、下方の旭川市の郊外の景観を眺めたりした。

集合の午後3時にバスに乗り込み、旭山動物園にさよならを告げ、
賑わう札幌市に戻ったのは、午後6時過ぎであった。


宿泊先のホテルに戻る時、家内が雪で足を滑らせて、後ろに転倒し、
私は瞬時に助けようとして、私も引きずられるように転んでしまった。
家内が起き上がる時に、後頭部を打ち、めまいをした、と告げたので、
最寄の病院の小児科であったが、診察して貰ったりした。

この後、万一の状況のことを配慮し、24時間体制の脳外科病院も
教えて頂いたりしたのである。

そしてホテルに戻り、30分前後安静した後、今朝からの予定通り、
『ミュンヘン・クリスマス』に行きましょう、
と家内は云い出したので、
私はほっとしながら、身支度を整えたりした。


ススキノの繁華街の賑わう街並みを通り、
大通(おおどおり)の一角にある『ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo』に設置され、
クリスマスの装飾品の土産売り場、飲食店が並んでいた。

http://www.city.sapporo.jp/christmas-market/
『ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo』

そして、飲食店で温めているワインを呑みながら、
ドイツ文化に相応しい田舎料理を立食で頂ただいたりした。
若いカップルが数多くいる中、家内のささやかな誕生日祝いとなったのである。

この後、家内はクリスタルの小さなサンタの装飾品を記念品として選定した後、
帰路としたが、ススキノにある展望観覧車が観えたのである。
そして、ススキノから、市内の夜景が一望できるので、乗り込んだりしたのである。



       第三章 街並みを呑み食べ歩きをすれば・・。

昨夜は深夜にホテルに戻ったので、今朝は9時の目覚めとなった。
ホテルを10時半過ぎに出て、
『お腹がすいたから・・何か食べよう・・』
と私は云いながら、家内と共に飲食街を歩いたりした。

街通りを歩き、回転寿司の清潔感ありそうな一軒に入ったのであるが、
味が良いのに好感し、地酒も良質で、値段も程々である。
私は昼前なので不謹慎と思いながら参合ばかり呑みながら、寿司を10ばかり頂き、
家内も、美味しいわ、と久々に云ったりした。

http://r.gnavi.co.jp/h080902/
回転すし『 活一鮮 南三条店 』

この後、秘かに意識していた南三条の街並みを歩いた後、
地酒の『千歳鶴』で知られている即売店、醸造所見学に寄った。
5種類ばかり試飲し、4合瓶を1本と300mi1本を買い求めたりした。

http://www.nipponseishu.co.jp/
地酒の『千歳鶴』


そして、家内が買物をしたい、と云うので、
近くの『サッポロファクトリー』に入店したのであるが、
大規模な造りに私は驚いたりし、疲れ果て、レンガ館が観える前の喫茶店で家内を待つことにした。

喫茶店の外庭のテーブルに座って、煙草を喫っていると、
レンガの煙突にサンタの飾りがあり、空から雪が舞い降り、
偶然にクリスマスらしい光景に私は見惚(みと)れてしまったのである。


この後、ホテルに戻る途中で、ラーメン屋に寄ったのであるが、
私としては油ぎっていて、美味しくないのである。
最初の夜も別のラーメン屋で頂いたのであるが、
私としては、札幌のラーメンは相性が良くない、と思えたのである。

こうした時、私は自分で選定したのであるが、
コンビニの『ローソン』の少し高めのおにぎりを思い浮べ、
あの方が遙かに美味しい、と後悔するケチな男である。


しかし、翌晩に炉辺焼で地魚を食べたいと、
偶然に入った大衆的な居酒屋は、私は魅了させられたのである。

http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000027463.html
『やん衆炉ばた北斗』


地魚を焼いても、刺身でも美味しいし、地酒の美味だし、何よりお値段は手頃である。

私は札幌の最後の夜と感じたせいか、私は地酒を5合ばかり呑みながら、
家内はビールの小ジョキーで、
貝類も加えて、十二分に頂いたのである。

こうして食べ物、飲み物は、それぞれのお方の好みであるので、
女性はもとより別格であるが、この世で一番難しい選定なのかも知れない、
と私は微苦笑したりした。



           第四章 北海道の文学を訪ねて・・。

『北海道文学館』が中島公園の付近にあると知り、
私達は地下鉄の駅でたったひとつ先の中島公園に向った。

公園は冬木立の中、積雪15センチばかりの清々しい景観で、
この一角に『北海道文学館』が見えた。

http://www.h-bungaku.or.jp/
『北海道文学館』

私は館内をゆっくり廻り、やはり真摯に文学を表現する同人雑誌が多いのに注視したりした。
この後、受付の横にある即売コーナーで、
『北海道文学百景』とを題された一冊の本に魅せられ、購入した。
北海道文学館設立20周年記念として、北海道文学館が編集され、
昭和62年(1987年)5月30日発行と表記されていた。

私が何より魅せられたのは、道内の各地を基軸とし、
小説・随筆、短歌・俳句、そして詩が2ページで掲載されていた。
例えば,『小樽』であったならば、
右ページに上段が小樽の景観の写真、下段が伊藤 整の『若い詩人の肖像』、
左ページに上段に小樽を詠んだ歌人、俳人の短歌、俳句、
下段がひとりの詩人の詩が掲載されていた。

こうした道内の各地百景で編集されており、
私はたった定価2000円で北海道の代表的な文学に触れ、
そして各地の古来からの伝統美にも鑑賞できるので、
私のような道内が殆ど無知な人にとっては、最適な入門書の一冊と確信したのである。

そして、私は館内にあった同人雑誌で、
数多くのお方たちが文学をめざして、何とか筆1本で生計を夢みた人に、思いを馳せたりした・・。

私はこのサイトに於いて、
【遅ればせながら、『七本杉』という略称を学び・・♪】
と題して、11月18日に投稿した綴りを甦(よみがえ)ってきた・・。

【・・
昼下りのひととき、私は総合月刊雑誌の『中央公論』の今月号を読んだりしていた。

特集のひとつである『これであなたも作家になれる』があり、
この中で75歳となる平成17年に作家デビューされた加藤 廣さんが、
愛情をこめて物書き志望者にアドバイスを送る、と解説された

『物書きの夢と現実を語ろう』

と題された加藤 廣・氏の綴られた随筆を拝読したのである。


この中で、私は驚いて、こうした略称があったのか、と齢ばかり重ねた私は学んだのである。

《・・
「按ずるに筆は一本也。箸は二本也。
衆寡敵せずと知るべし」

明治の作家兼評論家・齋藤緑雨の残した一代の名句である。
物書きたらんとする者、これだけは肝に銘じたい。

これまで、どれほど多くの作家が、この警句の禁を犯し、
七本杉(身過ぎ、世過ぎ)のために筆を曲げ、
エロ作家や通俗大衆作家などに堕ちていったかを知ってほしい。
・・》
注)原文にあえて改行など多くした。

・・】


私は若き一時時期、文学青年の真似事をしたことあったので、
こうしたことは痛いほど理解しているひとりである。

この後、近くに『渡辺淳一文学館』があるのは知っていたが、私は興味がなかったのである。

私の拙(つたな)い読書歴からして、小説家・渡辺淳一氏の作品は、
初期から『ひとひらの雪』の前までは賞賛したが、これ以降の作品に失望している。
亡くなわれた小説家・立原正秋の遺された作品を読めば、
男女の世界を描いても歴然と明確になる。

このような思いで、『北海道文学館』を名残惜しく後にした。



          最終章 旅の終りは、『朝市食堂』・・♪

25日の旅の最終日、9時半過ぎにホテルをチェック・アウトし、
荷物が増えたので、やむえず札幌駅までタクシーを利用した。

私は旅先に於いては、原則として公共の交通機関を利用し、
その地にお住まいの人々の特徴を知る最もすぐれた手掛かりとなるので、
今回の滞在中、地下鉄、バスなど乗ったり、或いは徒歩で市内の街並みを散策したのである。
そして、言葉のアクセント、何気ないしぐさ等を学んだりしたのである。

札幌駅より電車で新千歳空港に行き、
何かしら昼食代わりにと食事処を探したのである。
1階の到着&サービス施設のフロアで食事処の中で、『朝市食堂』と明示された所を入り、頂いたのであるが、
想像以上に魚介類は新鮮で、程々のお値段で、美味しかったのである。

http://www.bfh.jp/theme/theme_searchdetail.html/80000570
新千歳空港『朝市食堂』


従来、この新千歳空港内は、洋風の食事処を利用してきたが、
今後、空港内の食事時の場合は、この『朝市食堂』は心身の波長が合うので利用しょう、
と私は家内に明言したりした。


私達の乗る航空便は予定より20分遅れで、新千歳空港を離陸した。

                            (終り)


このように私たちの旅行を綴った翌日、
【 冬の札幌の旅から帰宅し、歳末に向けて私は・・。】
と題して、投稿している。

【・・
東京郊外の調布市に住む私達夫婦は、札幌に21日~25日まで4泊5日で滞在し、
市内を散策したりしたが、積雪が5センチ前後で、
郊外の中島公園付近でも15センチ前後であり、
雪の少なさと予測していたほど寒くなく、驚いたりしていた。
25日の昼下り、新千歳空港の航空便も20分遅れ程度であった。

26日の東京郊外の自宅付近は、
朝の6時過ぎは1度前後、昼時は7度前後となり、
曇り空の中、ときおり風が強く吹く、寒い日中となった。

私はこのサイトに綴ったりし、家内は掃除、洗濯などしていたが、
テレビのニュースで、新千歳空港が朝より風雪で、午後の4時ごろまで欠航となり、
利用客も大幅に予定が変更され混乱をし、道内の各地も激しい風雪となり、
と報じていたのである。

私達の当初の旅程は、22日~26日まで滞在し、
クリスマスの時節を札幌で満喫する予定であったが、
28日から家内の母を自宅に来て貰い、年始まで共に過ごすので、
慌しい期間となることもあり、21日~25日としたのである。

このようなこともあり、北海道の道民のお方たちには不謹慎ながら、
日程を早めたのが良かった、と私達は感じたのである。

翌日のニュース等で、急激な寒波による風雪の激しさを報じていた。

昨日の27日の東京郊外は、朝の6時過ぎはマイナス4度、
昼下りも8度前後の寒さであったが、
風もなく穏(おだ)やかな冬晴れるの日中となった。
(略)
・・】


このように私たち夫婦の札幌のクリスマスの時、
初めて訪れた街に思いを馳せながら、私は読んだりしたのである。


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私なりの『札幌クリスマス&イルミネーション』の想いで・・。 《上》 【2009.11.19..】  【再掲載】

2010-12-15 08:00:00 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
どんよりとした曇り空の朝を迎え、日中のひととき小雨が予測され、
12月中旬のような寒い日となっている。

午前中のひととき、私は家内との共通趣味は国内旅行であり、
これからの旅行のことで話し合ったりしたのである。

現在予定しているのは、来年の二月頃に小笠原諸島で鯨(クジラ)を観に行く予約をしている。
家内が海上で鯨(クジラ)を遊泳しているのが観てみたいわ、と云ったのがはじまりで、
私達夫婦は海外旅行は苦手であるので、小笠原諸島にしょうとした上で、
鯨(クジラ)を最も観られる確立の高い2月前後が良いかしら、と思案したのである。
そして小笠原諸島に定期船の程ほどのクラスの船室で往復して、
ホテルのように宿泊設備のある場所に一週間滞在するプランを作成し、予約しているのである。

しかし、その間、雪景色の情景も恋しく、
温泉のある観光ホテルに3泊4日前後で滞在するプランを話し合ったりしているのである。

東北の八幡平、北海道の阿寒湖、屈斜路湖の付近の川湯温泉などを旅行会社から送付されてくる雑誌で、
温泉滞在のフリー・プランを見たりして、検討したのであったが、
一長一短で決まらなかったのである。

この後、私は独りでCDラジカセで音楽棚より一枚のCDを取りだして聴いたりしたのである。
中島みゆき女史の『歌でしか言えない』と題されたアルバムで、
1991(平成3)年10月23日に発売され、当時の私は平成元年から平成5年の頃までは、
中島みゆき女史の名曲に熱愛し、殆ど毎日聴いていた時代であった。

この後は平熱となったが、平常心で聴いたりしているが相変わらず思いは深く、
心に秘めた曲は少なくとも百曲ばかりはある。

このようなことを思いながら、9曲目の『サッポロSNOWY』も聴いたりした・・。

http://www.youtube.com/watch?v=thJOEwMUtdI
☆【『サッポロSNOWY』作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】☆


そして聴き終ると、
昨年のクリスマスの頃に札幌の情景が蘇ってきたのである・・。

私はこのサイトにも、この頃の思いをつづっているので、読みだしたのである。



【 東京の田舎者、冬の札幌を訪れる時・・♪  】
と題して、昨年の2008年12月20に投稿していた。

【・・
(略)
家内との共通の趣味は、国内旅行なので、若き現役時代の頃から、四季折々各地を訪れている。

北海道に関しては、私は高校時代の修学旅行で5月の時、
上野駅から夜行列車で青森駅に着いた後、青函連絡船に乗船し、函館から12泊13日間の概要一周であったが、
経費節約と若き悪戯ざかりの高校生であった為か、
車中泊が道内移動も兼ねた3日ほどあったので、体力テストのようだった、とおぼろげに記憶している。

私は結婚してからは、家内と共に、
長野県、北陸地方、東北地方などを主体として旅行をしていたが、
会社の夏季休暇で利用し、夫婦として初めての北海道は道南コースを周遊した。
札幌に宿泊し、大沼、函館の宿泊であった。

その後の道内は、晩秋に知床のウトロ、屈斜路湖の付近の川湯温泉に宿泊し、
道東地方を周遊した。
この時に、やはり北海道は冬に限る、と互いに感じたりしたのであった。


その後、東北の温泉がある地域の雪のある時節、冬の旅を2泊3日前後で幾たびも旅行をしていたが、
勤続記念で特別休暇を頂いた時、流氷と雪まつりを兼ねて、冬の北海道を初めて訪れたのであった。

2月の初旬、網走の郊外の能取岬の途中にある海岸に接したホテルに2泊し、
流氷の接岸を待ちわびたが、残念ながら遠のき、やむえず知床のウトロまで流氷を求めて行ったりした。
念願叶(かな)ってウトロの直前で、流氷の荘厳な光景が観られたのである。
そして、網走から札幌まで日中、特急で移動した後、小樽に宿泊した。

この後は札幌に2泊したが、
網走の外れ、網走駅、斜里駅、小樽駅などの情景を観てきたせいか、
札幌駅、周辺の広大さには驚いたのである。
そして、雪祭りを観たり、郊外の自衛隊の基地にイベントを観たり、市内を散策したのであった。

このことは、このサイトにも幾度も綴っているので、省略する。

その後の道内は、私の定年退職前、
日本のてっぺんで元旦を迎えよう、と称した団体観光ツアーに参加した。
年末に釧路空港に着陸した後、バスで釧路湿原を通り過ぎ、
屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、紋別に宿泊した。

蟹(カニ)食べ放題の夕食後、宿泊のホテルの部屋に戻ると、
テレビで紅白歌合戦の番組の中で、中島みゆき女史が『地上の星』を唄っていた・・。

翌日、元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
私は冬の海の景観を眺めたりした。
そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着し、付近の海岸沿いを散策した。
この後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりした後は、高台にある神社に初詣をしたりした。

そして、市内のホテルに宿泊した後、
札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下したのである。

旅の終わりの寸前、郊外の根雪となった羊が丘で散策している時、
札幌の市内の情景を観ながら、
お正月の旅行も終ったね、と私は家内と笑いあったりしていた。


この後の道内は、定年退職後となり、
5月頃に観光船に乗船し、知床岬の先端まで航路する魅力に誘われ、道内を観たり、
晩秋の頃に新潟港からフェリーで小樽港に行き、その後は晩秋の道内の情景を観るツアーに参加した。

この後は、家内の母が生きているうちに北海道を観てみたい、
と要望により私達3人は7泊8日で道北、道東を観たりしたが、
このサイトにも綴っているので省略する。


道内の冬の旅は、たった2度ばかりであるが、それなりに深い思い出として、心に残っている。

私達夫婦は、マイナス20度前後に耐えられる軽登山靴、冬ズボン、
セーター、冬用のフィールド・ジャケット、
そして私は登山用の冬帽子、家内はロシア婦人用の帽子・・このような姿で道内、東北の雪のある時節を旅行している。

今回は、札幌の『第28回 さっぽろホワイト・イルミネーション』とかを、
生まれて初めて、 観たりするので、
まさに田舎者が都心でウロウロする状況と似ているかしら、と苦笑したりしている。


私は過日、このサイトで、
【遅ればせながら、『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観ることに・・♪】
と題して、12月15日で投稿している。

こうした思いは変わらないので、あえて再掲載をする。

【・・
私達夫婦は21日から4泊5日で札幌市内に宿泊するのであり、
家内の誕生日のプレゼントを要望を訊(き)いた時、
家内は動物好きであり、旭山動物園で雪の上でヨチヨチ歩きをするペンギンの群れを観たい 、
と云われたのである。

私達は北海道には四季折々訪ね、
少なくとも旭山動物園には春と秋の頃に、観たりしているが、冬季の雪のある時は未知であった。

http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
☆旭山動物園ホームページ☆

私は家内の要望を叶える為に、ネットで色々と検索し、
家内に選定して貰ったのが、市内の格安ホテルに滞在するプランであった。
そして、このプランは1日だけ旭山動物園に往復し、3時間ばかり観ることのできるサービスがあった。

その上、家内は本格的なクリスマス用のイルミネーションの情景を観たことがないし、
私にしても、イルミネーションなどは婦女子の観るものだ、と思っていたので、
私達にとっては未知の世界であった。

そして雪の降る『さっぽろホワイト・イルミネーション』の街並みの情景も良いかしら、
と私達は話したりしたのである。

http://www.sweb.co.jp/kanko/white/

http://www.city.sapporo.jp/christmas-market/

そして私はイルミネーションのイベントが期待以下であったならば、
居酒屋で地酒を呑みながら、地魚を誉(ほめ)るのも良し、と思ったりしたのである。

或いは、秘かに20年熱愛している中島みゆき女史の歌にあるように、
『南三条』を心の中で唄いながら、散策するのも良し、と思ったりした。
・・】

このように勝手な思いを重ねたりしているが、
私達夫婦は田舎者のような容姿と心情で行くので、迷子にならなければ良し、
と東京の郊外からすれば異国のような札幌市内を浮べ、少し心配したりしている。

                               《つづく》

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