夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

あるプロモーション・ビデオの作品、私は圧倒的に感動し、そして感銘を受けて・・。

2010-12-08 18:47:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
過日の5日に於いて、このサイトで
【 テレビから、『Hello, Again~昔からある場所~』の名曲が流れて、私は・・。】
と題して投稿している。

そして、この中の一部に於いて、

【・・
夕方のひととき、居間の片隅で私はパソコンに向かって、
家内はコーヒーを飲みながら、テレビを視聴していた・・。

その後、テレビから懐かしい歌が聴こえてきて、
『あれぇ・・JUJUちゃんがカバーした『Hello, Again~昔からある場所~』じゃないの・・』
と私は心の中で呟(つぶや)いた。
私はテレビに向かったが、何かのCMで流れた曲と思えた・・。
・・】
と綴ったが、私は少し気になってので、夕方のひとときネットで検索した・・。


その結果、このようなCMに私は、しばらく見惚れていた・・。

http://www.youtube.com/watch?v=X48dfUoQRao&feature=related
☆SONY α 北川景子 with NEX-3 母校 大阪女学院 編   ☆

そして、ソニーは新製品のデジカメのCMと思われるが、
勢いのある旬の女優・北川景子さんを起用し、
その上、懐かしい母校を訪ねる情景で、JUJUさんの『Hello, Again~昔からある場所~』の唄声を背景に、
相乗効果を使い、最上のCMと私は感じたのである・・。


そして、この後、何気なし【youtube】を触っているいるうちに、
動顚させられたひとつの動画を見たのである・・。

http://www.youtube.com/watch?v=1IB5ws9IK70
☆Hello, Again (Ballad ver.) - JUJU ☆

私はカメラを通して、その人生のひとときを撮り、
人生の縮図を的確に表現された映像に驚嘆させられたのである、
その上、JUJUさんの『Hello, Again~昔からある場所~』の唄声の歌詞に
合わせるように人生のひとこまが写しだされていた・・。

私は良質の短編映画を観るよう見惚(みと)れて、圧倒的に感銘を受けたのである・・。

その後、もとよりこの『Hello, Again ~昔からある場所~』は、
1995年に、My Little Loverのakko(あっこ)ちゃんの唄声で、
ミリオン・セラーになった名曲を、最近勢いのあるJUJUさんがカバーした曲のひとつである。


たまたま私は現役時代は、ある音楽関係会社の管理畑に勤めていたので、
業界の常識と知っている。

そしてプロモーション・ビデオで音楽の曲を映像化された作品を程々に観たりしたが、
私の知る限り、この作品は最上と思ったりした。

この後、少しボケた私は、ソニーの戦略としては、
デジカメの新商品を成功させる為に、巨費の宣伝・販促費を投じていると思われる。

ハード面としては、もとよりデジタル・カメラの宣伝の一環として、
懐かしげな情感を使い、さりげない情景を加味させる為に、
そしてソフトと手法して、JUJUさんを更にトップスターとしての業績を向上させることもあるが、
あえて『Hello, Again~昔からある場所~』をカバーのひとつとして、
選曲させたのかしら、とぼんやりと思ったりしたのである。

このくらいのたくましい相乗効果は、ソニー・グループとしては少なからず・・、
と妄想を重ねたのである・・。

何はともあれ、この映像作品を創られた演出家の感性と感覚に感動を覚え、感銘を頂いたのである。
そして、私は無念ながら齢を重ねた男優の方は無知であるが、
表情、しぐさは圧巻である。


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ふたたび、余りにも悲しき『太平洋戦争の開戦記念日』、戦争の知らない私なりの思いは・・。

2010-12-08 10:06:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
今朝、カレンダーを見ると、本日の8日には、
『針供養』、『こと納め』、『納めの薬師』などと明記されているが、
確かこの日は『太平洋戦争開戦記念日』で、かの大戦の知らない私さえ、
どうしてなの、と思ったりしたのであった。

そして、私はこのサイトに『太平洋戦争開戦記念日』に関して、
確か綴っていたと思いだしながら、このサイトを開いた・・。


たまたま昨年の2009(平成21)年12月8日の本日に於いて、
【 余りにも悲しき『太平洋戦争の開戦記念日』・・。】
と題して、投稿していた。
今回、かの大戦で亡くなわれた方たちのご冥福を重ねながら、あえて再掲載をさて頂く。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
机の引き出しにあるカレンダーには、太平洋戦争の開戦、と私の癖のある字で小さく記入してある。

私は東京郊外で、1944(昭和19)年の9月に農家の三男坊として生を受けた身であるので、
もとより1941(昭和16)年12月8日に於いて、
アメリカのハワイ諸島の真珠湾に日本軍が奇襲攻撃をして、太平洋戦争が開始されたことは知らない世代に属する。

しかし、敗戦後に学校の教科書、映画、歴史、文学などから、
そして親戚の叔父さんなどから教えて貰った程度しか知らない。

先程、時事通信社の【時事ドットコム】を見たりして、色々と考えさせられたりしている。

http://www.jiji.com/jc/v2?id=20091207attack_on_pearl_harbor
★ 【時事ドットコム】 特集 真珠湾攻撃 ★


私は、なぜ太平洋戦争が起きたか、時折つたない身ながら、考えたりすることがある。

このサイトに於いて、昨年の2008(平成20)年8月15日で、
【 かの大戦で亡くなれた人々に・・。】
と題した投稿文の一部に掲載して折、今回あえて再掲載をする。

【・・
(略)

私は定年退職後の63歳の身であるが、
かの太平洋戦争は何故始められたのであろうか、と問い続けているひとりである。

高校生の頃の私の思考としては、日米だけの軍事関連の産業の生産、増産力だけでも、
国力の差は歴然としていた。

こうした中でも、日本は開戦をし、太平洋戦争で、
アメリカ、イギリス、中国、オランダ等の連合国を相手に戦争をしたのである。

この頃の私は、
戦時中に赤紙で召集された民間人に大変にお気の毒と深く思い、
陸軍、海軍などの職業学校の生徒、教師、そして幹部軍人、軍の首脳陣に軽蔑していた。

敗戦になり、何故、赤紙で召集した一般の軍人はもとより、民間人までを巻き込み、
あれだけ多くの人を戦死させ、
職業軍人は、のうのうと恩給などを受け取れる心情が理解できなかった。

敗戦になったのだから、職業軍人は自責の念で、自裁されるのが当然と思っていた。

私の10代の多感な頃は、戦前の社会風潮が知らず、ただ職業軍人を険悪していたのである。


最近、私は少しボケてきたが、かの太平洋戦争の起因が、
私なりに理解出来はじめている・・。

国家は怜悧な国益に基づいて、政治・外交・軍事・経済を指針としている。

かってイギリスは世界覇権を目指し、
ヨーロッパはもとより、アフリカ、中近東、アジア、
そして北アメリカなどの7つ海を制覇した時代があった。
フランス、ロシアも少し遅れ、帝国主義の植民地を拡大していた。

この後に遅ればせながら、ドイツ、アメリカは領土を拡大し、
アメリカはカリブ海の諸国、フィリピンの植民地を保有していたスペインに、
戦争をしかけて強奪したのである。
結果として、太平洋はあたかもアメリカの海となった・・。


日本とイギリスは、お互いにロシアの南下政策を恐れ『日英同盟』が締結され、
『日清戦争』に勝利を納めた日本軍人は、
この後に『日露戦争』でイギリスの支援で、辛くも勝利を得た。


アジアの中で、有力な日本となって、一番危惧されたのは、
アメリカの時のローズヴェルト大統領である。

この後、アメリカの国益に基づいて、
イギリス、フランス、オランダ、そして中国などの諸国と連携し、
日本を取り巻く暗黙の布陣が開かれた。


こうした中で、日本の軍部首脳陣の一部の無知な方たちは、
この怜悧な国際状況の変化を見抜けず、『日露戦争』後の酔いにまかせていた。

結果として、ABCD網に囲まれ、
ハル・ノートの難題をアメリカから突き出され、
いたたまれない日本は開戦をさせられた・・。


アメリカのこの当時のF.D.ローズヴェルト大統領は、
ヨーロッパでドイツ、イタリアを相手にイギリス、フランス等は苦戦し、
イギリスの再三にわたる、アメリカの参戦を要望を受けていた。

アメリカとしては、ヨーロッパの連合国には、武器援助などを多大に援助していたが、
肝心のアメリカ議会は、ドイツとの戦争参戦には反対が多く、決議出来なかったのである。


こうした状況で、アメリカの大統領の思惑を配慮すれば、
日本に開戦させ、日本の真珠湾の奇襲を当然情報収集で把握して折、
結果として、アメリカ国民を奮い立たせ、議会が賛同し、
ヨーロッパ、太平洋戦線に名実ともに参戦することに成功した。

太平洋戦争が終結した当時、ヨーロッパ、アジアの各国は荒廃し、
アメリカ本土は無傷で経済は隆盛をきわめて、
世界でたったひとつの豊かな超大国となった。


日本は『日露戦争』以降、国益基づいた怜悧な国家戦略を持てず、
時の政権の暴走により、国家として破滅し、
日本を初めとするアジアの人々に多大な死と惨事となった。


このような思いになると、私は涙を浮べ、
国家としての肝要な基幹は果たして、敗戦後63年となっているが、今日の日本は・・
と憂いている無力な齢を重ねた男のひとりである。


このように投稿していたのである。


私の昨今の思いは、国際主要国はもとより怜悧な国益に基づいて、
外交、軍事、経済力などを背景とした政治が行われている今日、
今後の日本を国際社会に於いて実質発言力ある国をめざし、
強い経済大国を発展させがら、外交、軍事力は強化する。

もとより日本に於いて、国民は豊かな経済の中で、
世界の主要国よりも遥かに多くの人々が、明白に実感できる社会を構築するのが目的であり、
私なりの少しボケた身ながら、国の主針として希望をしている。

しかし、こうしたことは、今後の日本を託さる若い世代の人々に総合的な国策は思考して頂くのが、
何より肝要と確信している。
特に国費で学ばれた国立大学の出身の優れた方たちに、ご提言して頂くことが、
彼らの責務のひとつと思ったりしている。
・・】

このように投稿していたが、こうした私なりの思いは変らず、強く思っているひとりである。


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