夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

クリスマス・ソングス・・齢ばかり重ねた高齢者2年生の私、秘かに愛して魅了されてきた曲は・・。

2010-12-12 17:47:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
ここ一週間、日中のひととき、駅前の商店街を歩いたり、ス-パー、専門店の店内で買物したりしていると、
クリスマスの歌が流れて、まもなくクリスマスの時節が到来する、と教えられたりする。
そして新聞の折込チラシなどで、デパートのクリスマスの贈り物の数々の品を見たりすると、
私は微苦笑をしたりしている。

もとより私はキリスト教も関係ないが、戦後からの社会風潮で、
何となくクリスマスの時節を迎えている、とぼんやりと思ったりする程度である。

このような私でも、数多くのクリスマスのソングスぐらいは、
多少は知っているし、このサイトにも程々に投稿文を重ねてきた。

そして、先ほどから読み返し、微笑んだりしながら、私なりに心の宝物のように大切な曲でもある。

私は確固たる根拠もなく自信ばかりあり、と幾度もこのサイトで4年ばかり表現しているが、
今回も独断と偏見の多い綴りであったが、あえて再掲載するので、
ご笑話を頂けたら、幸いと思ったりしている。




第一話 【 私の最も好きなクリスマスのアルバムは・・♪ 】
                          《初投稿日2007年12月21日》

ここ1週間、買物などで街に出たりすると、
スーパー、専門店の店内で、クリスマス・ソングが流れたりしている・・。

私はクリスチャンでないので、キリストの行事に関して興味がないが、
敗戦後の日本はこの時節は、多くの人々がクリスマス・シーズンを親しまれ、
街、家並みがイルミネーションなどで染まる処もある。

私はクリスマスに関しての歌は、現役時代にたまたま音楽関係の会社に勤めていたので、
程々に聴いたりする機会に恵まれたが、
心に残る最も好きなアルバムの一枚がある。

ダンス・クィーンなどと称されていたドナ・サマーが、
1994年に名プロデューサーのマイケル・オマーティアンとの共作に寄る
『CHERISTMAS SPIRIT』と題されたアルバムである。
日本で発売されたアルバム・タイトルは、
『ホワイト・クリスマス/ドナ・サマー』となっている。

①ホワイト・クリスマス
②クリスマス・ソング
③神の御子は今宵しも
④クリスマス・イズ・ヒア
⑤クリスマス・メドレー
  a.このみどり子は誰なるぞ
  b.ドゥ・ユー・ヒア・ホワット・アイ・ヒア
  c.もろびとこぞりて
⑥クリスマスはわが家で
⑦クリスマス・スピリット
⑧プレイス・オブ・ヘヴン
⑨オー・ホーリー・ナイト
⑩ラム・オブ・ゴット

まぎれない大人の歌手が声量たっぷりに唄い上げ、オーケストラとゴスペラ・コーラスを背景にした作品である。

黒人霊歌を根底に育ったドナ・サマーが、真摯に唄うクリスマス・ソングの一曲でも聴くと、
まさに使い古された言葉であるが、鳥肌が立ち、思わず襟を正してしまうのである。

かといって、どなたでも親しみのある名曲ばかりであるので、
たとえ一流のホテル、街のお洒落な居酒屋でも聴きやすいアルバムでもある。

私は先程から、『ホワイト・クリスマス』、
『クリスマス・ソングス』、『神の御子は今宵しも』
そして『もろびとこぞりて』等を聴いたりしているが、
やはり日常生活でキリスト教に切望し、親しみを持たれた類(たぐい)稀(まれ)な歌手に、
底知れぬ唄声に降参し、魅了されるのである。




第二話 【 この時節、最も微笑む曲は、『クリスマス・イブ』・・♪ 】
                        《初投稿日2007年12月23日》


東京の郊外は、昨夕からの雨が先程から上がり、静寂なひとときとなっている。

私は庭に下り立ち、常樹木の枝葉は濡れ、
そして葉を落とした落葉樹の枝の雨粒を見つめたりしていた・・。


♪雨は夜更けに過ぎに
 雪へと変わるだろう

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲・唄 山下達郎 】


この歌がどうしてか、脳裏に浮んだのである。

私は年金退職の4年生の身であるが、
私のサラリーマン現役時代の折、確か1983年のこの時節に初めて聴いて、
巧過(うます)ぎる歌だなぁ、と瞬時に感じた・・。

この後に、JR東海のCMに盛んにテレビで放映され、
離れ離れの若き男女で、待ちわびて、そしてやっと逢える、といった情景だったと思い浮かべている。

後年に判ったことであるが、
JR東海のX’mas7 ExpressのCMと知った。

山下達郎のこの曲の唄声を背景に、
その後も毎年のように幾つかの若い男女のせつなく、もどかしい情景が映しだされ、
私は微笑みながら、秘かに若い男女に幸せあれ、
と心の中で祈ったりしていた・・。


♪きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲・唄 山下達郎 】


私はシンガー・ソング・ライターの山下達郎に関して、
無知な方であるが、この『クリスマス・イブ』を聴いた限り、天才と讃(たた)えている。

そして、ネットのYou Tube上で、
【Xmas Express 歴代CM1988年~1992年】を視聴し、
若き男女がやっと逢える情景を微笑ましく見ていた・・。


♪心深く 秘めた想い
 叶えられそうもない

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲・唄 山下達郎 】

私は、若き男女のおふたりに、冬の天の川のように心寄せながら、
ときめき、もどかしさ、せつなさの恋情を齢を重ねた私さえ、
感じられ、感銘させてくれるのである。




第三話  【 クリスマス・ソングで皆を最も高揚させる歌は『赤鼻のトナカイ』・・♪ 】
                          《初投稿日2007年12月25日》

午前のひととき、私は二軒ばかりのスーパーに買物に行った。

数多くの人々が三連休の最終日、その上、クリスマス・イブなので、
何時もの平日と違い、込み合っていた・・。
ご家族の方たち、現役の40代のご夫婦等が見受けられ、
私なりに微笑ましく、感じられた・・。

店内からは、

♪真っ赤なお鼻の トナカイさんは
 いつもみんなの 笑いもの

【 『赤鼻のトナカイ』 作詞・新田宣夫 作詞・MARKS JOHND 】

メロディが流れた・・。

私は何かしら追われるように、買物の選定をしたのであるが、
クリスマス・ソングの中で、誰しもが知っていて、親しまれ、心を高揚させる曲は、
『赤鼻のトナカイ』は、ずば抜けて最高の曲と思ったりした。

買物の客が、何かしら追われるようにクリスマス関係商品を数多くお買い上げ頂ければ、
と店長の発想であったならば、優秀な店長と私は誉(ほ)め讃(たた)える。

選曲を『ホワイト・クリスマス』などにした場合、
買い物客は、何かしらしっとりと聴きこんでしまい、お買い上げの向上に図れないと思う。

たかが、クリスマス・ソング、されど選定された曲は何かしらの向上に役立つ、
と私は微苦笑したのである。

この時節、元気のない人は、『赤鼻のトナカイ』の一曲を聴けば、
心身元気を取り戻す特効薬かしら、と微笑んでいる。


このように選曲していたが、私は読み返しながら、
私の人生に最も影響を受けたひとりのお方を忘れていたのである。
古い表現で云うと、シンガー・ソングライターの中島みゆき・女史である。

私は40代に、この方の『エレーン』で人生の心のピンチを救われ、
その後、ギックリ腰で28日ばかり入院していた時、『永久欠番』で救われ、
何よりも『HAFE』は少なくとも50年間で数多く音楽を聴いた中で、
最も影響を受けて感銘しさせられた作品である。

私にとっては、やはり中島みゆき・女史は、たぐい稀な女神であり、
この思いは、ここ20数年変わらず、敬愛している。

このような私であるので、中島みゆき・女史のクリスマス・ソングは知っているし、
秘かに心の中で唄ったりしている・・。

【歌麿】と題したコンサート(1986年)の中で、
一曲として『クリスマスソングを唄うように』である。

この世に、珠玉、という言葉があったならば、
まぎれなく『クリスマスソングを唄うように』の歌は最もふさわしい、
と思いを重ね、私なりに最も愛すべきクリスマス・ソングである。


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定年後の私、この時節の忘年会は、たった家内とふたりだけの忘年会となり・・。

2010-12-12 10:33:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

民間の中小業の会社を35年ばかり勤めて定年退職になったのは、
2004(平成16)年の秋で、そして年金生活に入り、今日に至っている。

この時節、忘年会、と世の中の多く方たちが話題するのを聞いたり、
或いはテレビのニュースなどで視聴すると、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。

私の50代の前半の頃は、サラリーマンで私なりに奮闘し、
この時節は部内はもとより、同世代、悪友たちと、何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。

そして50代の半ばに、リストラ旋風となり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。

定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。

私の定年後になると、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが欠落したのである。
まして、12月の時節になると、忘年会は来年の2月頃に新年会を兼ねて、落ちついた頃に、
と先輩だった人から云われたり、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきたのである。

このように私は、この時節の忘年会と称した懇親会は、
無念ながら消滅したのである。


やむえず定年後の12月の半ばの頃になると、ときおり我が家は忘年会の真似事をしてきた

たとえぱ、家内が夕食の準備をして、台所にいる時、
『XXちゃんさぁ・・世間では忘年会シーズンだょね・・
我家も忘年会の真似事をしょうよ・・』
と私は家内に云ったりした。

家内は少し微笑んだので、
私はいつものように弐合徳利とぐい呑みを選んだりしたのである・・。
我家の夕食は、いつも1時間ばかり家内と話し合いながら頂いているのが定例であり、
私は弐合の純米酒かビールを呑んだりしている。

通常の夕食より、少し多めの料理を頂いたり、私は特例として弐合徳利をお変わりして、
家内は350mlの缶ビールを、コブレットのグラスに入れて呑んだりしたのである・・。

カレンダーを食卓の端に置いて、年末年始に向けて予定を、
お互いに談笑してきたのである。


或いは私たち夫婦は、国内旅行が趣味などで、
この時節に温泉滞在旅行で4泊5日前後が圧倒的に多いが、
ときには『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観に行くこともあった。

そして、観光ホテルの食事処、或いは居酒屋で絣(かすり)を召した仲居さんと、
少し言葉を重ね談笑したりすると、
私にとっては、ひとつの忘年会かしら、と微笑んだりしている。


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