夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

石川ひとみちゃんの『まちぶせ』の名曲、ときには高齢者の私さえも心の中で唄いながら・・。

2010-12-29 19:21:32 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
朝の6時は3度、昼過ぎは11度、夜の6時は9度で、
冬晴れに恵まれ、午後の3時過ぎから曇り空となった・・。

私は平年より暖かいかしらと微笑みながら、
家内からの依頼で、午前中のひとときスーパーなどに買物に行ったりした。
長袖の下着のシャツ、襟ありのフリース、そしてスリー・シーズンのフィールド・ジャット、
下半身はバンズに冬の長ズボンの容姿であったが、寒くはなくのである。


昼下りに、パソコンを置いている机の横にデスク・スタンドを置きたいと思い、
最寄り駅より電車で3駅先にある家電の量販店に買い求めに行って、
照明器具のフロアーでシルバーメタリックの堅牢な品が魅了させられ、購入した。

最寄の駅より右手にデスク・スタンド収納された細長い段ボールのケースを提げて、
自宅に15分ばかりの道のりを歩いていた時、
突然、心の中でひとつの歌を唄いだした・・。


♪夕暮れの街角 のぞいた喫茶店
 微笑み見つめあう 見覚えある二人

【 『まちぶせ』 作詞、作曲・荒井由美 】


私は何気なしに、この歌を心の中で唄っていたのであるが、
何故かしら私にとっては元気付けてくれるの歌で、
定年退職の数年後の励ましの心の常備薬になったりしている。


この歌は確か数年前、NHKの音楽番組で、
徳永英明さんが『まちぶせ』、『恋におちて ~Fall in Love』を唄っていたので、
この影響かしら、と苦笑している。

この『まちぶせ』に関しては、確か1981(昭和56)年の頃だったと思われるが、
可愛らしいアイドル歌手のひとり、石川ひとみが、
ユーミンの作詞、作曲された曲を唄っていたのを思いだした。

そして4年前の頃から、この『まちぶせ』等の女性が唄った名曲を徳永英明さんが、
カバーした3枚のアルバムが大ヒットしているのは、ニュースなどで見ていた。

私はこの『まちぶせ』は、私の好きな歌のひとつであり、
はからずも有力な男性歌手の徳永英明さんが唄ったので、
声も衰えた高齢者の男性の私でも、恥ずかしながら心の中で唄うようになったのである。

もとより作詞されたユーミンさんは、
少女の多感な揺れ動く心情を的確に表現した歌、と私は長年に於いて友人たちに話しながら絶賛してしるが、
もうひとりの私は、齢ばかり重ねてきた私の心の中の励ましの歌になっているのである。


♪好きだったのよあなた 胸の奥でずっと
 もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる

【 『まちぶせ』 作詞、作曲・荒井由美 】


このような歌を曇り空の夕方の中、私は人気のない歩道で、
小さな声で唄いながら自宅に向う帰路を歩いた・・。


http://www.youtube.com/watch?v=rYm9LOEi6bU
☆【『まちぶせ』 作詞、作曲・荒井由美、編曲:松任谷正隆、唄・石川ひとみ】☆


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内藤やす子の『悲しい色やね』の名曲は、私のささやかな『仕事納め』の想いでと重なり・・。

2010-12-29 12:10:22 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
昨日の朝、カレンダーを眺めると、『官公庁の御用納め』と明記されていたので、
民間会社もこれに準じて『仕事納め』になる、と微笑んだりしたのである。

そして私は、民間の中小業に35年ばかり勤めた体験があったので、
昨今の政治は混迷、経済の低迷、社会は劣化の中、
たえず成果を問われる民間のサラリーマン諸兄諸姉に、今年も大変な年でしたねぇ、
と働いて下さる諸兄諸姉の健闘に感謝の言葉を心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。

この後、ぼんやりと私の現役時代の『仕事納め』のことを思い浮かべたりしたが、
私にとっての鮮明な想いでは、若き40代の始めの頃のひとつの『仕事納め』の出来事であった。


私の現役時代の時、あるレコード会社に勤めていたが、
この当時は、官公庁の御用納めの翌日に年内最後の業務となり、納会をした。

御用納めの該当日に昼食の為に、
料理屋に行った時、この当時は近くに防衛庁(現在は『東京ミッドタウン』)があり、
この方達が少し赤い顔して、テープルを一角を占領していた。

『官公庁はいいよなぁ・・午前中で終りかょ・・』
と私は同僚達と呟いたりしていた。


会社の年内の最終日は、夜の6時に業務完了時なると、
1番大きな会議室で立食のパーティ形式となった。

私は日頃に業務に接する人達とは
歓送迎会、居酒屋での『呑みニケーション』をしているので、
このグループは避けて、他部門の方達と話し合ったりした。


私は、1983(昭和58)年の時は、情報畑でシステム開発に悪戦苦闘し、
日曜日以外は殆ど出勤し、奮闘していた・・。

土曜日の休日に会社に独り出勤し、
システム開発・運営までのスケジュール概要の試案を作成していた時、
気分転換にひとつのレコートの見本盤をセットし、煙草を喫いながら聴いたりしていた・・。

そして演歌のような要素を秘めているがブルースの基調があり、
ハスキーな歌声で圧倒的な歌唱力で歌い上げた歌に、私は鳥肌がたった・・。

そして曲が終ると、ジャケットを見て、内藤やす子の『悲しい色やね』であった。

この歌手に一昨年に他社から移籍し、程ほどのヒットを我が社から4枚ぐらいだして、
この見本盤は『I Miss You~愛のつづれ織り~』と題され、 
この当時として稀な原曲をカバーしたカバー・アルバムであり、
たぐい稀な歌唱力で編成されていて、この中のひとつが上田正樹さんの原曲の『悲しい色やね』であった。

たまたま偶然に聴き惚れた私は、この後、私は買い求め、
自宅で何百回もこの曲を聴きながら、心身励まされたりした。
そして、この曲を私は、人に会うたびに絶賛していた。


そして1984(昭和59)年の半ば、新システムは何とか軌道にのり、
この年の暮れの『仕事納め』の社員の立食のパーティを行っている時、
たまたま内藤やす子さんがマネジャーに付き添われて、参列された。

私の近くにくると、私は近づき、
『貴女の『悲しい色やね』に励まされて・・私のシステム開発が・・何とか軌道にのりました・・』
と私はビールを呑みながら、内藤やす子さんに云った。

『嬉しいわ・・』
と内藤やす子さんは驚いた表情を浮かべた後、
周囲の社員達に大声で、
『この方が、あたしの『悲しい色やね』のお陰で・・担当されているお仕事・・
上手(うま)く行ったですって・・』
と云った・・。

傍にいるマネジャーは、私に握手を求めてきた。

そして、内藤やす子さんも私に握手を求めてきて、
あたり一帯、先輩、同僚、後輩達の拍手で盛り上がった・・。

私は恥ずかしげに、内藤やす子さんの手を握った・・。


このような私のささやかな『仕事納め』の想いである。
最近、【YouTube】サイトで、この名曲が掲載されているのが、
私は気付き、私と同様に魅せられた人に近親感を深めながら、この名曲を転載する。

http://www.youtube.com/watch?v=PEP5CPHJ-2g
☆【『悲しい色やね』 作詞・康珍化、作曲・林哲司、編曲・中村暢之、唄・内藤やす子 】☆


その後、私が50代の初め、年賀状に於いて、
あるレコード会社に勤め、音楽の制作と直接に関係しない管理・情報畑の部門であったが、
人並みに音楽が好きな方であったので、下記のように認(したた)めている。


・・・
この間あまたの歌がありましたが、私の脳裏から離れない歌を綴って・・。

バルバラ『ナントに雨が降る』

中島みゆき『HALF』、『エレーン』

井上陽水『傘がない』

五輪まゆみ『少女』

長渕 剛『昭和』

S.アズナーブル『遠い想い出』

グロリア・ラッソ『サ・セ・ラムール』

シャーリー・バッシー『別れの時まで』

戸川昌子『ボンボヤージュ』EMI盤

パティ・キム『離別(わかれ)』

大塚博堂『私は女です』

内藤やす子『悲しい色やね』

金子由香里『愛の砂漠』、『スカーフ』

イーグルス『ホテル・カルフォルニア』

別格 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』


このように書き込んだのであるが、思い込みの激しい私が、
25歳で中途入社して、50歳前後まで私なりに惚れ込んだ曲であるが、
このことは少しばかりの私の信条が見え隠れするので、
と今の私は微苦笑している。

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私達夫婦の年末年始の休日、ささやかな歩みの35年は・・。 最終回 定年後は自宅でのんびりと過ごし

2010-12-29 08:18:53 | 定年後の思い
          最終章  私の定年退職後は気楽に自宅でのんびりと過ごし

2004(平成16)年、1月下旬にJR『びゅう』で予約し、雪景色を観たく、
花巻温泉に2泊3日で冬の旅を終えた後、
私は定年退職時の秋に向けて、心も身も一心にして勤務していた。

家内の父が、ここ7年ばかり入退院を繰り返していたが、
8月に危篤となり、家内の母と家内は交代で大学病院の夜を中心に、
つきそいながら見守っていたのである。

そして、私の定年退職日の直前に死去され、
お通夜、告別式、初七日、納骨の法事を終えている間、
私の定年退職にまつわる書類の手続き、銀行間のささやかな資金の調整、
そして厚生年金、企業年金の手続きなどで、慌ただしい秋から晩秋を過ごしたのである。

そして12月になると、独り住まいとなった家内の母を年末・年始の間は、
我が家で、ゆっくりと共に過ごそう、と私達は話し合ったのである。

これ以降の年末年始は、私達夫婦と家内の母と三人で、過ごしている。
このようなことは、このサイトに於いて、この時節になると投稿しているが、
たとえば一昨年の2008(平成20)年の場合は、
【 我家も、昨夕から年末年始の休暇・・♪ 】
と題して、12月29日に投稿している。

【・・
東京の郊外は、昨日は風もなく穏(おだ)やかな冬晴れであった。

私達夫婦は、家内の母の来宅時を心配していたが、例年より早く午後3時前に我家に到着した。

『おかあさん・・早かったじゃないの・・
でも・・良かった・・夕方の寒くなる前で・・』
と私は、家内の母に微笑みながら云った。

我家では、これからの年末年始に於いて、
私達夫婦と家内の母の3人で生活を共に過ごすのは、今回で5度目である。

家内の父が死去されて、独り住まいとなった家内の母に、
年末年始の時は、我家に来て頂きたい、と私達夫婦の発案であった。

居間の17畳ばかりに一角に6人用の炬燵で設置し、
奥の6畳の和室と書棚の3畳のスペースで休んで頂くのが、恒例となってきている。

居間の炬燵の中で私達夫婦は、
家内の母から八千代市の自宅から我家までの年の瀬の街の情景を聴いたりした後、
今年、私達3人で旅行で訪れた話となった。
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利の純米酒の辛口を呑みながら、
ささやかな料理を食べ、談笑したのである・・。

2月の中旬に箱根の姥子温泉に7泊8日で滞在し、
芦ノ湖の遊覧船に乗船したり、ロープーウェイを利用し、周辺を観て廻ったりした・・。

5月の下旬には、富山市の郊外の呉羽山温泉に5泊6日で滞在し、
富山市の街並み、周辺の公園、観光地などを散策したりした。

8月の初旬になると、直江津港から佐渡島を訪れて、
両津港の郊外にある温泉地で3泊4日で滞在し、島内の観光地を観たりしたのである。

このように今年は、私達3人で訪れたささやかな旅行であったが、
家内の母の希望した場所もあったので、それなりに心の思いは深く残った、
と私に熱っぽく話された・・。

こうした話題をあの時は・・などと話し込めば、
2時間ばかりの酒宴は過ぎてしまった。

私は夜9時過ぎには寝室の布団の中で読書としたが、
30分ぐらいで寝付いてしまった。


今朝は3時過ぎに目覚め、4時頃からパソコンで投稿文を認(した)めた後、
配達された新聞を読んだりしていた。

そして7時過ぎに、昨夜は11時過ぎまで母と炬燵の中で談笑し・・、と私は家内から聴き、
私は微笑みながら、我家でも年末年始の休暇が始まった、と実感したりしている。
・・】

このような状況が毎年、我が家の年末・年始となっている。

しかし、私も66歳の高齢者2年生の身であり、家内は61歳の年金受給者になり、
もとより家内の母は、私より14歳ばかり齢上の後期高齢者の身であるので、
いずれいつの日にか、だれかが欠けたならば、
恒例となっている三人の気楽な年末年始の休暇は解散となるが、
こればかりは天上の神々の采配で決まるので、せめて今年の年末年始ぐらいは、
明るく気楽に過ごそうと思ったりしているのである。


                              《最終》

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