夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

奥飛騨温泉滞在記 【下】 【2007.2.12. ~ 2.17.】   《再掲載》

2010-12-18 07:57:15 | 旅のあれこれ
   第6章  雪の舞い降る『飛騨高山』往還・・♪

15日(木曜日)の新平湯は、小雪が舞い散る朝だった。

私達3人は飛騨の高山の中心街を散策するので、バスに乗り込んだ。
平湯峠を通り過ぎると路面は5センチ前後雪化粧をしており、
高山市の中心部に差しかかると、小雪から雪となった。

朝市を観た後、家内の母は初めての高山観光なので、
屋台会館、日下部民芸館を案内したいと昨夜に家内から聴いていたので、
私達は別れた。

私は全国に唯一現存する郡代・代官役所と称せられた高山陣屋を見学した。
平屋建ての三百坪の周囲に簡素な庭があり、
素朴な趣(おもむ)きの中、雪が舞い降りている。
こうした格調さがない庭なりに、心が和(なご)んだりしたが、
ある反面羨望もあったりした。

その後、雪の降りしきる中、古い街並みの周辺を散策した。
とある木工店に入り、楢(ナラ)の各種の一枚板を見た。

およそ90cm弱の幅、長さは180cm、そして厚さは9cmほどの一枚板であり、
価格は30~50万円前後であり、テーブルなどに用いると思われた。

私は机の板として、2枚の板を並列に置き、
そのときに応じた板を使い分けることを夢想したりした。

今の私は定年前に購入した机、脇机、そして椅子は広島産の書斎用を30万円弱であり、
パソコンなどを置いて日常使っているが、
この1枚板が2種類置いてみたいと思ったりした。
理想の書斎としたならば、間口2間以上の窓辺となるが、
私には今から増改築する力はなく、夢と現(うつつ)の世界となるので、
無念ながらの現実である。


その後、街の本屋に行き、陳列してある本が少なく、本棚が見えたりしている。
たまたまご主人と書店の本屋の仕入れなどを話し込んだりした。
私は現役時代レコード会社を長年勤務した関係で、
書店と卸の関係を何かと参考にしてきたので、
あれこれ話し合ったりした。

その後、街通りでジャージ姿の女子中学生の30数名を見かけた。
多分、修学旅行と思われ、みたらし団子を食べながら、ときおり歓声をあげながら、
雪の降りしきる中を歩いていた・・。
私はあの頃の時代、他愛も無く明るく過ごした時もあったかしら、
と思い返し、苦笑したりした。

駅前で簡素な飛騨蕎麦を食べた後、
バスを待つ間、付近の和菓子屋に入り、抹茶と和菓子を頂いた。
『語り部(かたりべ)』という和菓子であったが、
呑兵衛の私でも奥行きのある和菓子だと感じられた。


帰路のバスの車窓からは、強風が伴なう風雪となり、
雪は路上に20センチ前後のなって折、路肩、道路付近は吹き溜まりとなり、
小さな峠道を通り過ぎた時、前方の大型トラックがスリップし、
道路をふさいだりした。
30分過ぎると徐行しながら何とか通過できた後、
風雪は激しく視界が5メートル程となった。

こうした中を1時間ほど乗車していると、
運転していない私さえ、少しはらはらとしたりした。


観光ホテルに戻ると、風呂に入った後、
家内達が無事で戻ればよいが、と思ったりした時、
家内達の声がした。

家内達は帰りのバス・・雪と風で恐かったくらい、
と話しかけてきた。


   第7章  雪のあとには

早朝の5時前に目覚め、
ロビーで温かいベツトボトルの煎茶を飲みながら煙草を喫ったりした。
窓辺からは、昨日の雪の名残りで銀世界となっていた・・。

昨日、飛騨高山を訪れたが、心のふるさと、と街中で観られたので、
私なりに想いだされた。


確か昭和43年の頃だったか、
小説家・立原正秋が随筆した『心のふるさとにいく』を甦(よみがえ)ってきた・・。
この随筆は、JTBの発刊する月刊雑誌の『旅』の中で連続に掲載され、
飛騨高山を取り挙げており、私の若いころ影響を受けたりした。
編集長が岡田喜秋という後に紀行作家であり、
この随筆の『心のふるさとにいく』のタイトルを命名し、
小説家・立原正秋の独自性の名文で私なりに心に残っている。


軒下に数多くの氷柱(つらら)が朝の陽射しを受けると、
わずかに雫(しずく)を落としている。

つららあと ためらいながら 落ちてゆく

このような拙(つたな)い俳句の真似事を詠(よ)んだが、
歌を詠む素養がなく、自分ながら赤面したりした。

日中、家内の母は館内でのんびりするので、
家内と快晴の中、飛騨高山に出かけた。

行きの道路周辺は、昨日の雪の名残りが観られたが、
市内は雪が消え去り、帰路は峠道周辺あたりだけ雪が残っていた。

飛騨高山は私の好きな地酒を買い求め、
家内と和菓子屋、お土産屋と6軒ばかり廻ったが、
私は素朴な『とちの実 せんべい』に魅了されて買い求めた。
この包装紙には、昔なつかしい手焼の味・・飛騨銘菓・・金龍堂と明示されていた。

夕食の時、旅の最後となるので、骨酒を頼んだ。
小ぶりの岩魚(イワナ)を焼いて、人肌より少し温めた参合前後の地酒に、
どんぶりに岩魚が浮いて折、香ばしい香りがする。
このような戯(たわむ)れのお酒を呑みながら、夕食を頂いたりした。



   第8章  山里の春を思えば

帰路のバスを待っている間、
私達はコーヒー・ラウンジで窓辺の席に座った。

私は煙草を喫うので、少し離れた席に座り、前方の里山に目を転じた・・。

山里の春は遅く、やがては梅が咲き、そして桜も咲くだろうが、
その前に蕗(フキ)、蕨(ワラビ)、薇(ゼンマイ)等が
土から芽生え彩(いろど)るだろう・・。

こんな思いに馳(はせ)ると、

花をのみ まつらんひとに
     山ざとの 雪まの草の はるをみせばや

歌人・藤原家隆が新古今集で詠まれた歌を思い出された・・。

旅の終わりに、山里に心を託(たく)せば、
こうした時代を超越した名歌のひとつに心を寄せたりした。


今回、奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に5泊6日で滞在し、
8回に急遽綴ったが、のちに旅の想いが甦ってきた時に、
ときたま綴ると思う。
旅の魅力は、こうした余情、余韻があるのも齢を重ねた今でも、
私の心をなごませてくれる。



   最終章  旅の終りは、梅の花は満開となり

12日(月曜日)より5泊6日で奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に滞在した。

家内の母と私共夫婦の3人は、団体の現地直接のツアーにむ参加して、
先ほど帰宅した。

門扉を開けると、白梅、紅梅が満開となっていた。
煙草を玄関庭で煙草を喫っていると雨がぽっりと降ってきた・・。

ほんの5泊の旅であったが、我が家の庭に於いても、
樹木の移ろいは春の気配が漂(ただよ)っていた。



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奥飛騨温泉滞在記 【上】 【2007.2.12. ~ 2.17.】   《再掲載》

2010-12-18 07:48:50 | 旅のあれこれ
   序 章  本日より、奥飛騨温泉に滞在

私達夫婦は家内の母と3人で、温泉滞在旅行に5泊6日で行く。


20数年前、団体観光ツアーを利用して、
私達夫婦は6月の時節に、新宿からL特急で松本に行ったのを思いだしている。

松本からは周遊観光となり、木曽地域を観て、下呂温泉に宿泊した。
翌日は高山市を観て、里村の平湯温泉に泊まり、
上高地を散策した後、松本に戻った2泊3日の旅行だった。


今回は、温泉滞在地に直行するバスの団体観光である。
家内の母を迎えに行くので、早めに起きだしている。

雪降る里村の温泉地に滞在し、周囲を散策したり、高山市に出かけたり、
穂高ロープ・ウェイで北アルプスの情景に期待している。
しかし暖冬の折、現地の天気予報を見たり、
宿泊先の観光ホテルに電話で確認したが、
雪の状況が予測が付かないでいる・・。



   第1章  旅のはじまりは、めかぶ風のきんぴら

家内の母と私達夫婦は、ときたま温泉滞在旅行に行く。

この温泉滞在の場合は、私は自動車を保有していないので、
多くは旅行会社の団体ツアーを利用している。
交通の便、観光ホテル等の滞在費には、個人で予約するより遥かに格安であり、
気楽に現地まで連れてってくれるプランでもある。

今回は岐阜県の奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に於いて、
観光ホテルで5泊6日滞在プランであった。

上野、新宿の集合場所となって、
バスで休憩、食事処に数箇所寄って、現地に赴(おもむ)く。

家内の母が千葉県の八千代市に住んでいる関係で、
私達夫婦は上野に出向き、家内の母と待ち合わせる。
パーラー風の喫茶店で集合時間に調整し、集合場所でバスに乗り込む。
今回、このツアーに参加される方達は、月曜日から土曜日の温泉滞在で、
特にご高齢者のご夫婦の方が多かった・・。

上野から新宿までの道程は、一般道を走破しても都内見物の観がある。

新宿を10時過ぎに出た後は、
中央自動車道を走り、談合坂SAで休憩後、
諏訪市の郊外で食事処で昼食となる。

私は生貯蔵酒を呑みながら、めかぶ風のきんぴらを頂く・・。

食事処の前の広場のベンチで、早春の陽射しを受けながら、
食事処のお土産売り場で地酒とつまみを探した結果、
めかぶときんぴらの珍味の試食が気に入ったので、
このように昼食代わりとしている。

私は旅の折は、
日常生活で余り接することがない地方の食べ物、呑み物を出来る限り頂くことにしている。

その地の風土を学ぶ上、一番大切なことのひとつと思っている。

地酒は諏訪菱友醸造の『至福のひととき』と表示されていた。


   第2章  暖冬、まだら模様の雪景色・・♪

中央自動車道から長野自動車道の松本ICで高速道路を下り、
一般道の野麦街道からの周辺も雪が見られなかった。

安房峠のトンネルを過ぎると、期待通りの銀世界であったが、
まだら模様の雪景色であった。

平湯で休憩後、奥まった山間部の道沿いに新平湯があるが、
20数年前に訪れた限りであったので、どの宿に宿泊したのかは忘れている。

新平湯温泉の観光ホテル『奥飛騨薬師のゆ本陣』に4時に到着した。

入浴後、夕食はいろり風で堀炬燵形式で足が伸ばせるのは良い。
私達のツアーは40数名であったが、閑散期の平日でもあり、
このような和風の大座敷の中、それぞれゆったりと座れ、
私達3人も6人用のテーブルに指定された。

私は食事の際は、テーブルが狭いのは料理の味より優先する性格であり、
ゆったりとした席で地酒、ビールを呑みながら食事をするのが信条としているので、
居心地が良く、私達3人は楽しく頂け、私は地酒の追加をしたりした。

部屋のベランダ風の窓辺から、数百メートル先に里山が観られるが、
冬木立の中、まだら模様の雪景色であった。


   第3章  北アルプスの冬景色・・♪

13日(火曜日)の早朝、里山の頂(いただ)を見詰めると、
柔らかな冬の陽射しが見られた。

私達3人は、高地から展望できる北アルプス連峰を見る為、
新穂高ロープウェイを利用した。

新平湯温泉前より新穂高バスターミナルまでバスで20分前後で行き、
第1ロープウェイの乗車口の『新穂高温泉駅(標高1117m)』から『鍋平高原駅(1305m)』まで乗った後、
第2ロープウェイの『しらかば平駅(1308m)』から終点の『西穂高口駅(2156m)』まで
ロープウェイの車窓から北アルプスの情景が見られる。

1番手軽に高地から山並みが展望出来るので、家内の母に私は勧めた。

20数年前に来た時には、午後3時過ぎの影響下であったので、
山霧につつまれて視界は10メートル前後の悲惨な状況であった。


西穂高口に着くと、マウントビュー千石という4階建ての施設があった。
この屋上が展望台のようになって折、
北アルプスの連山が澄み切った快晴の中で観られた・・。

槍ヶ岳(3180m)が遠方に聳(そび)え、
3000m前後の連山が厳冬の雪を擁(いだ)き、厳粛さを感じる。
そして前方には西穂高岳(2909m)が
圧倒的な威力のように聳(そび)え立っている・・。

この後、私達はコーヒータイムとし、
家内達は下界の熊牧場に行くので別れた。

この西穂高口の周辺は、千石園地となり、
この時節には雪の回廊が係員のお手数で作られている。

暖冬のせいか、積雪は1m前後で20分程度の雪道であるが、
数多くの針葉樹が雪を枝葉に湛(たた)えて、
少女的な視線からはクリスマス・ツリーのように観える。
こうした景観には私は酔いしれる・・。

このような光景に私はデジカメで30数枚撮り、記憶の片隅としたりした。


余談であるが、私達3人が最初に第2ロープウェイに乗り換えた時、
何故かしらか若い女性の係り員がチョコレートを手渡していた。

『あたし・・もらえなかったわ・・』
と家内の母は残念そうに言った。

私は男性ばかりに手渡して折、
バレンタイン・デーでささやかなプレゼントとして解かったので、
家内の母に手渡した。

純米酒を愛する者にとっては、チョコレートは婦女子の食べ物である。



   第4章  されど、『たるまの滝』・・♪

私達が旅行に行く前から、今回の旅行先を家内なりに調べていた・・。

新平湯温泉の付近に、平湯川が流れて折、
夜間のひととき凍りついた川沿いの滝がライトアップされるので観よう、
としていた。

私達3人は夕食後、防寒支度をして、たるまの滝を目指して、
零下の中をとぼとぼと歩いた。

たるまの滝は暖冬の為、凍らず音を激しく立てて流れ落ちている・・。

この後、この平湯川の川底にトンネルがあるので行って見たが、
川幅を横断して造られて折、
途中で観覧しやすいように大きな出窓のように開かれていた。
前方に水量豊かに激しく音を立ててに流れていた・・。

雪解けの時節の折、川幅も川面に大きく変わり、
川沿いの樹木の枝葉の若葉を見せることを想像したりした。

帰路、青年団の方達が、誘導案内のようなことをなさっていたので、
周辺のまだらな雪を観ながら、私は話しかけた。

『このような情景は・・平年ですと・・いつぐらいの季節ですか・・』
と私は訊(たず)ねた。

『3月の中旬前後の状態です。
いつもは雪がこの辺でも・・60センチ前後あるのですか・・』
と快活そうな青年は答えた。

私達は宿泊先に戻り、冷え切った身体を温める為、
お風呂に急いだ・・。

深夜、雨が降りだしてきた。


   第5章  旅先の読書・・♪

私は温泉滞在旅行の折は、数冊の本を携えていく。

寝る前とか、お天気が悪化して、外出しないで館内にうろうろしている時、
最適な友となったりしているのである。

今回は月刊雑誌の『文藝春秋』、
そして長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)の2冊である。

14日(水曜日)は予定通り、雨が降りしきる1日だったので、
観光ホテルの館内でゆっくりしよう、
と私達は話し合ったりしていた。

朝食の前後、大浴場と露天風呂に入れば、
ロビーの隅で煎茶のペットボトムかコーヒー缶を飲みながら、
新聞を読んだりする。

インターネットの設備がないので、『日経』と『地方紙』を読む。
地方紙の場合は、その地の状況が解かる手掛かりなるので、
私は一読している。

この後は、部屋に戻り、布団にもぐり、持参の本などを読んだりしている。

目が疲れると、窓辺から前方の里山を眺めたりしている・・。

雨が一時止んだ後、
山霧が地上付近から湧き立ち、里山の頂(いただ)きに向かって、
上昇しているが、
風を受けて左側にゆるく昇っている。

そのあとは、頂きから空に上昇しているが、雨雲の中に吸い込まれていった。

夕刻になると、夕霧の中、冬木立の情景が心に残ったりした。

こんな堕落した1日であったが、
敗戦後から今日までの小説で百年後でも読まれる小説とは、
などとつまらないことを思考したりしていた。

深夜、目覚めると雪が降りだしてきた。

           
                            《つづく》


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