夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

信州・白馬滞在記【2006.12.17. ~ 12.20.】 【再掲載】

2010-12-19 07:05:44 | 旅のあれこれ
   序章  本日より、3泊4日の温泉地滞在

長野県にある白馬村のリゾート・ホテルに旅行に行くので、
現地の天気予報をインターネットでチェックしたら、雪で歓迎してくれるらしい。

現地のお方達は、生活が密着されているので、それぞれ何か大変であるが、
東京の郊外の田舎者としては、
旅人の身の上もあり、これ以上の情景はないと思っている。

現役時代の時は、この時節は、なお一層多忙な時だったので、
退職後の今、ときおり色々なことを浮かべたりしているが、
のんびりと過ごせるのは特権のひとつとして甘受している。



   第1章  旅のはじまりは、イタリア料理

白馬村温泉3泊4日の旅は、17日の日曜日に団体ツアーで新宿を出て、
曇り空の中、中央自動車をバスは順調に走破した。

初冬の葉の落とした裸木の樹林を見ながら、長野県は雪が予報されていたのに、
松本市を通過した時は、雲ひとつない晴れ間となり、
私は戸惑った・・。

安曇野地域にに入ると、北アルプスの山嶺が連なり、
雪の白さで一層高く奥深い山頂を感じさせてくれる。

白馬村は登山口、八方尾根のスキー場があった上、
10年前の長野冬季オリンピックのジャンプ競技場となった所で、
オリンピックの開催される数年前からリゾート・ホテル、ペンションが盛んに造成された所でもある。

私達の泊まったリゾート・ホテルもこの中の一軒と思われ、
JR白馬駅から街はずれの所にあった。

1時半過ぎにホテルに着いた後、
どんよりとした曇り空に変ってきたが、家内と周辺を散策した。

北アルプンの一連を成す唐松岳、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳の2800メートルを超す山峰から山裾はわずかなので、
歩いている平地からは聳(そび)え立つ観であった。

駅前に出た後、近くにログ・ハウスの建物のイタリア料理が見えた。
入り口まで小石を散りばいたような小道が気に入ったので、遅い昼食とした。

マダムの説明では、出来うる限りの自然栽培の野菜、ピザは生地から作り、
香辛料も10数種類工夫し作られた、
と聴いたのでビール、ワインを呑みながらピザの3種類、
家内の注文した2種類の料理を少し食べているうちに少し酔いがまわってきた・・。

この時、近くのカナダの30代の男女の7人が店に入ってきた。

この中の一人の男性が、
カウンターの床のはずれに毛布に包まれた所に手を差し伸べた・・。
中から2歳前後の男の子が昼寝をしていたらしく、
親にすがった・・。

私は少し驚き、辛口のワインを2口呑んだ後、
店の小庭に面した喫煙場で丸木の椅子に座り、煙草を喫った。

白馬村の駅に近いさりげない場所に、
深みのある料理を食べさせてくれる店もあった。

ホテルに戻る時、小道を歩いていたら、雪が舞い降りてきた・・。

『XXちゃん、やっと雪が・・』
と私は空を見上げながら、家内に言った。

『あした・・積もるかしら・・』
と家内は言った。



   第2章 雪降る中の散策・・♪

白馬村は17日の夕方から雪が降りはじめ、
夜間は降ったり止んだりしていた・・。
早朝に目覚めたが、雪がしんしんと降っていた。

朝食の前後に風呂に入って、10時過ぎに、
雪降る中を散歩に出かけませんか、と家内は私に言った。

私は冬用のウールのスポーツ・シャツにマフラーを首に巻いて、
冬用のフィールド・ジャケットに手袋をした程度であった。
冬用のストレッチ・パンズのズボンを穿いて、ハイキング用の靴でホテルを出た。


朝食の前に、雪の量と寒さを浴衣と丹前姿でロビーから少し外に出たが、
マイナス数度前後であったので、
冬用のセーターは着る必要のないと感じたのである。

家内は私と同じような格好であったが、
女の身であるので、セーターは着るように私は言った。


私達は雪の降りしきる中を、積雪は20センチ弱であったので、
八方尾根の麓(ふもと)にあるゴンドラ・リフトを目指して歩いた。
通常のホテルはなく、洒落たペンション形式が数多く見られたが、
師走の時の月曜日のためか、
どこのペンション、喫茶店は閉館している。

このように付近を散策したが、帰路の途中でコンビニでおにぎりを三つ買い求め、
ホテルに帰還した。

私は直ぐにお風呂に入り、雪に濡れた髪の毛を洗い、少し温まった後、
部屋に戻り、ホテルの売店で買い求めた地酒を呑みながら、
おにぎりを2つ分を食べた・・。
このおにぎりは、新潟米と精選した具と明示された生たらこ、イクラ、そしてシャケなどであったが、
予想以上に美味しかった。

家内も煎茶を飲みながら、分け合ったおにぎりを食べたが、
ほどほど美味しいわ、
と言ったりした。

その後もホテルの窓辺からは、雪の舞い降りる情景を見ながら、
暖かい部屋でお酒の呑みながら、煙草を喫い、
これ以上の贅沢はないと実感した。



   第3章  小布施の『岩松院』

19日にオプショナル・ツアーでトライアングルと称された小布施の街並み、
善光寺、そして川中島古戦場に参加した。

私達は自動車を所有していない身なので、
こうした催(もよお)しは積極的に利用している。
宿泊のホテルからマイクロバスでその地の名所を周遊し、
時間に隙間なく廻ってくれる。

小布施の街の外れにある『岩松院』の寺に行った。
このお寺は葛飾北斎に寄る大間天井絵、福島正則の霊廟、
そして小林一茶のと蛙合戦の池として、ゆかりの古寺で知られている。

私は絵心はない上、まして極彩色は嫌いであるので興味がなかった。

小林一茶が蛙合戦を観て、
【やせ蛙 まけるな一茶 これにあり】
と詠んだとされている。
解説に寄れば、病弱な初児・千太郎への声援の句であるが、
その願いもむなしく千太郎は、一ヶ月たらずで他界し、一茶54歳の時だった。

このような綴りを読むと、幼児には可哀想であったが、
あの時代にしては一茶は元気だった、と余計なことを思ったりした。

福島正則が芸州の広島城の50万石から、幕府の指針により、
この地に国替えさせられ、4万5千石となり、
悲運をなげきつつ在信5年で亡くなった、
と解説されていた。

私は確かに福島正則公は不運であるが、
それより芸州時代に仕えた配下の人々の悲劇、
路頭に迷い浪人衆にならざるを得なかった人々に、
何よりの餞(はなむけ)をしたいと思ったりした。

山門から本堂への境内にある桜の3本の古木は、
折れて主木を残すばかりとなっているが、
この情景が何より心の残った。


   第4章  『おぶせミュージアム・中島千波館』

小布施の街並みは、小奇麗な街並みで清潔感のある町と感じた。

これといって目的のない散策をしていたが、
街の外れに『おぶせミュージアム・中島千波館』があり、
美術に関しては全くの素人以前の身であったが入館した。

中島千波・画伯については未知の人であったが、
『樹霊淡墨櫻』と『素櫻神社の神代櫻』の2点は魅了させられたが、
あとの数多くの絵画は理解できなかった。
家内も同じように感じたらしい。

私は独りで別館に行くと、20数名の画伯が寄贈された展示室であった。
その中で、『早芽(そうが)』と題され、
山里の対岸の川沿いから山の峰まで落葉樹が
芽吹きはじめた情景を素朴に表示されていた・・。
この1枚の絵画には感銘させられ、そして魅了された。

私は入り口の付近の受付に戻り、
『あちらの館にある『早芽』を描かれた画伯の略歴をご教示・・
お願い致します・・』
と私は若い女性に尋ねた。

受付の若い女性は、少しまごついて奥の部屋に消えて、
しばらくすると、70前後の男性が見えた。
『館長が不在でして・・私が代りに・・』
と挨拶された。

私は手短に経緯を話した。

『でしたら・・その展示されている所に行きましょう・・』
とそのお方は言った。

『私は・・絵に関しては何の知識もありません・・
小学生の頃から図画の時間・・通信簿3以上取れたことのない身です・・』
と私は言いながら、通路を歩いた。


私は先程の『早芽』の前に行き、
『全くの素人ですが・・私のつたない感性から・・
何かしら感銘を受けまして・・感動を頂いた次第でして・・』
と私は言った。

『私は昭和12年生まれでして・・』
とそのお方は言った。

『私は昭和19年生まれです・・東京の郊外に生を受けた身です』
と私は言った。

『このお方は・・90歳を超えられたお方でして・・
小菅ニ三郎・画伯でして・・』
とそのお方は私に略歴を説明してくれた。

その後、通路で家内と逢い、そのお方に礼を言いながら辞した。

『副館長・・』
と受付の若い女性がその方を呼ぶのが聴こえた。



   第5章  小布施の街並みは

小布施の街並みは小奇麗で清潔な街並みと綴ったが、
煙草の灰皿が各所にあり、飲み物の自動販売機が目立たない処にあり、
私は大変に好感が持てた。
何より【潤いのあるまちづくり】がこの町の基本とされているらしく、
私は魅了された。

この町は栗で全国に名をはせる街らしく、
『栗ようかん』、『栗かの子』、『栗おこわ』などがあり、
栗和菓子の店に入った。

私は日常に於いて、和菓子は婦女子の嗜好品と思っているが、
旅先ではその地方の文化のひとつと確信しているので頂いている。

家内に和菓子の選定をまかせ、店内の外れに毛氈を敷いた椅子に座り、
煎茶を頂きながら食べたりした。

街並みも素朴さを保って折、私なりに心に留めて、この街をあとにした。


この後、川中島古戦場と称された八幡原史跡公園に行ったが、
武田信玄と上杉謙信の戦いを思い馳せるより、
犀川と千曲川の広大な中州のこの地の公園の樹木に魅せられた。

何よりゆったりとした公園のたたずまいが好感した。



   第6章 道祖神にめぐり逢えて

旅の最終日は早朝から、澄み切った快晴となった。

7時頃、山の峰に朝日が受けると雪の白さが淡い朱色に染まった・・。

午後2時にホテルを出発するバスに乗るが、
時間は充分あったので、午前中は周辺を散策した。

一昨日、雪の降る中を散策したが、情景は一変して、
暖かな陽射しを受け、冬枯れの田んぼが広がり、のどかな景観である。
山峰の中腹まで雪の白さが陽射しを受けているので、
まばゆい情景となっている・・。

田んぼのあぜ道の脇に小川が活きよいよく流れ、
水の豊富な地域だと実感できたりした。

村道に出ると、雑木林があり、その外れに道祖神があった。
人の訪れもなく、歳月を見守っているようにも感じられ、
柔らかな冬の陽射しを受けていた。

私の日常生活は、ともすれば身過ぎ世過ぎの生活実感なので、
こうした道祖神に心を寄せ、浄化を求めたりした。

やすらぎ・・使い古るされた言葉であるが、
このような周辺の情景を見つめると、
齢を重ねた今でも、それなりに心に沁みてくる。

人それぞれ、旅先の思いはさまざまであるが、
私は何気ないこうした光景がまぎれもなく心に残っている。



   最終章  旅から戻ると

自宅の門扉を開け、玄関までの石段を上がると、
主庭のモミジが朱色に染められていた。

郵便受け入れ箱で来信書類を取り込んで、
私は家中の戸を開け放ち、外気にさらした。

その後、お風呂に熱湯をそそぎこんだりした。
家内は旅行バックを空けて、衣料や旅行先で買い求めた品を整理し始めている。

私は煎茶とコーヒーを淹れ、帰宅後、初めて煙草を喫ったりしている。

我家は四季それぞれ旅行に行ったりしているが、
帰宅後は、ほぼ同じように家内と手分けをしたりしている。

そして、旅行先で買い求めた酒の友に最適な品で、
純米酒を呑みはじめた・・。


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