夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの『札幌クリスマス&イルミネーション』の想いで・・。 《上》 【2009.11.19..】  【再掲載】

2010-12-15 08:00:00 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
どんよりとした曇り空の朝を迎え、日中のひととき小雨が予測され、
12月中旬のような寒い日となっている。

午前中のひととき、私は家内との共通趣味は国内旅行であり、
これからの旅行のことで話し合ったりしたのである。

現在予定しているのは、来年の二月頃に小笠原諸島で鯨(クジラ)を観に行く予約をしている。
家内が海上で鯨(クジラ)を遊泳しているのが観てみたいわ、と云ったのがはじまりで、
私達夫婦は海外旅行は苦手であるので、小笠原諸島にしょうとした上で、
鯨(クジラ)を最も観られる確立の高い2月前後が良いかしら、と思案したのである。
そして小笠原諸島に定期船の程ほどのクラスの船室で往復して、
ホテルのように宿泊設備のある場所に一週間滞在するプランを作成し、予約しているのである。

しかし、その間、雪景色の情景も恋しく、
温泉のある観光ホテルに3泊4日前後で滞在するプランを話し合ったりしているのである。

東北の八幡平、北海道の阿寒湖、屈斜路湖の付近の川湯温泉などを旅行会社から送付されてくる雑誌で、
温泉滞在のフリー・プランを見たりして、検討したのであったが、
一長一短で決まらなかったのである。

この後、私は独りでCDラジカセで音楽棚より一枚のCDを取りだして聴いたりしたのである。
中島みゆき女史の『歌でしか言えない』と題されたアルバムで、
1991(平成3)年10月23日に発売され、当時の私は平成元年から平成5年の頃までは、
中島みゆき女史の名曲に熱愛し、殆ど毎日聴いていた時代であった。

この後は平熱となったが、平常心で聴いたりしているが相変わらず思いは深く、
心に秘めた曲は少なくとも百曲ばかりはある。

このようなことを思いながら、9曲目の『サッポロSNOWY』も聴いたりした・・。

http://www.youtube.com/watch?v=thJOEwMUtdI
☆【『サッポロSNOWY』作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】☆


そして聴き終ると、
昨年のクリスマスの頃に札幌の情景が蘇ってきたのである・・。

私はこのサイトにも、この頃の思いをつづっているので、読みだしたのである。



【 東京の田舎者、冬の札幌を訪れる時・・♪  】
と題して、昨年の2008年12月20に投稿していた。

【・・
(略)
家内との共通の趣味は、国内旅行なので、若き現役時代の頃から、四季折々各地を訪れている。

北海道に関しては、私は高校時代の修学旅行で5月の時、
上野駅から夜行列車で青森駅に着いた後、青函連絡船に乗船し、函館から12泊13日間の概要一周であったが、
経費節約と若き悪戯ざかりの高校生であった為か、
車中泊が道内移動も兼ねた3日ほどあったので、体力テストのようだった、とおぼろげに記憶している。

私は結婚してからは、家内と共に、
長野県、北陸地方、東北地方などを主体として旅行をしていたが、
会社の夏季休暇で利用し、夫婦として初めての北海道は道南コースを周遊した。
札幌に宿泊し、大沼、函館の宿泊であった。

その後の道内は、晩秋に知床のウトロ、屈斜路湖の付近の川湯温泉に宿泊し、
道東地方を周遊した。
この時に、やはり北海道は冬に限る、と互いに感じたりしたのであった。


その後、東北の温泉がある地域の雪のある時節、冬の旅を2泊3日前後で幾たびも旅行をしていたが、
勤続記念で特別休暇を頂いた時、流氷と雪まつりを兼ねて、冬の北海道を初めて訪れたのであった。

2月の初旬、網走の郊外の能取岬の途中にある海岸に接したホテルに2泊し、
流氷の接岸を待ちわびたが、残念ながら遠のき、やむえず知床のウトロまで流氷を求めて行ったりした。
念願叶(かな)ってウトロの直前で、流氷の荘厳な光景が観られたのである。
そして、網走から札幌まで日中、特急で移動した後、小樽に宿泊した。

この後は札幌に2泊したが、
網走の外れ、網走駅、斜里駅、小樽駅などの情景を観てきたせいか、
札幌駅、周辺の広大さには驚いたのである。
そして、雪祭りを観たり、郊外の自衛隊の基地にイベントを観たり、市内を散策したのであった。

このことは、このサイトにも幾度も綴っているので、省略する。

その後の道内は、私の定年退職前、
日本のてっぺんで元旦を迎えよう、と称した団体観光ツアーに参加した。
年末に釧路空港に着陸した後、バスで釧路湿原を通り過ぎ、
屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、紋別に宿泊した。

蟹(カニ)食べ放題の夕食後、宿泊のホテルの部屋に戻ると、
テレビで紅白歌合戦の番組の中で、中島みゆき女史が『地上の星』を唄っていた・・。

翌日、元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
私は冬の海の景観を眺めたりした。
そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着し、付近の海岸沿いを散策した。
この後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりした後は、高台にある神社に初詣をしたりした。

そして、市内のホテルに宿泊した後、
札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下したのである。

旅の終わりの寸前、郊外の根雪となった羊が丘で散策している時、
札幌の市内の情景を観ながら、
お正月の旅行も終ったね、と私は家内と笑いあったりしていた。


この後の道内は、定年退職後となり、
5月頃に観光船に乗船し、知床岬の先端まで航路する魅力に誘われ、道内を観たり、
晩秋の頃に新潟港からフェリーで小樽港に行き、その後は晩秋の道内の情景を観るツアーに参加した。

この後は、家内の母が生きているうちに北海道を観てみたい、
と要望により私達3人は7泊8日で道北、道東を観たりしたが、
このサイトにも綴っているので省略する。


道内の冬の旅は、たった2度ばかりであるが、それなりに深い思い出として、心に残っている。

私達夫婦は、マイナス20度前後に耐えられる軽登山靴、冬ズボン、
セーター、冬用のフィールド・ジャケット、
そして私は登山用の冬帽子、家内はロシア婦人用の帽子・・このような姿で道内、東北の雪のある時節を旅行している。

今回は、札幌の『第28回 さっぽろホワイト・イルミネーション』とかを、
生まれて初めて、 観たりするので、
まさに田舎者が都心でウロウロする状況と似ているかしら、と苦笑したりしている。


私は過日、このサイトで、
【遅ればせながら、『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観ることに・・♪】
と題して、12月15日で投稿している。

こうした思いは変わらないので、あえて再掲載をする。

【・・
私達夫婦は21日から4泊5日で札幌市内に宿泊するのであり、
家内の誕生日のプレゼントを要望を訊(き)いた時、
家内は動物好きであり、旭山動物園で雪の上でヨチヨチ歩きをするペンギンの群れを観たい 、
と云われたのである。

私達は北海道には四季折々訪ね、
少なくとも旭山動物園には春と秋の頃に、観たりしているが、冬季の雪のある時は未知であった。

http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
☆旭山動物園ホームページ☆

私は家内の要望を叶える為に、ネットで色々と検索し、
家内に選定して貰ったのが、市内の格安ホテルに滞在するプランであった。
そして、このプランは1日だけ旭山動物園に往復し、3時間ばかり観ることのできるサービスがあった。

その上、家内は本格的なクリスマス用のイルミネーションの情景を観たことがないし、
私にしても、イルミネーションなどは婦女子の観るものだ、と思っていたので、
私達にとっては未知の世界であった。

そして雪の降る『さっぽろホワイト・イルミネーション』の街並みの情景も良いかしら、
と私達は話したりしたのである。

http://www.sweb.co.jp/kanko/white/

http://www.city.sapporo.jp/christmas-market/

そして私はイルミネーションのイベントが期待以下であったならば、
居酒屋で地酒を呑みながら、地魚を誉(ほめ)るのも良し、と思ったりしたのである。

或いは、秘かに20年熱愛している中島みゆき女史の歌にあるように、
『南三条』を心の中で唄いながら、散策するのも良し、と思ったりした。
・・】

このように勝手な思いを重ねたりしているが、
私達夫婦は田舎者のような容姿と心情で行くので、迷子にならなければ良し、
と東京の郊外からすれば異国のような札幌市内を浮べ、少し心配したりしている。

                               《つづく》

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