夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私は一週間前に、年金生活6年生に進級し・・。

2009-10-27 18:06:32 | 定年後の思い
私は民間会社のサラリーマンを定年退職して、一週間前に丸5年が過ぎて、
6年目となった。

私は東京オリンピックが開催された年に大学を中退したのは二十歳の時であった。
アルバイトをしながら映画・文学青年の真似事する為であり、
4年ばかり過ごし、根拠のない自信にあふれていたが、もとより先行きの見えない生活を過ごしていたが、
自身の30代の頃を浮かべると妻子を養う確固たる自信がなく断念した。

そして安定したサラリーマンになる為、軌道修正し、
1969(昭和44)年の春、コンピュータの専門学校でソフト科を一年間学んだ後、
これを梃子にして、ある大手の民間会社に何とか中途入社ができたのは、
1970(昭和45)年の春で、私が25歳であり、遅い社会人のスタートであった。

入社してまもない時、音楽の大手のレーベルが独立会社となり、私はこの独立したレコード会社に転籍となった。
まもなく私は本社でコンピュータの専任者となり、それなりに孤軍奮闘をした。

こうして情報畑を20年過ぎた後、管理畑、営業畑など異動し通期30年過ぎた頃、
この前後に業界の各社でリストラが実施され、会社間の合併、部署の解消や合同、
早期退職優遇制度などで退社する方、そして数多くの人事異動、出向などがあった。

まもなく私は出向の打診があった時は、
私なりに入社時から定年の60歳まで勤め、それなりの人生設計があったので、
出向の物流情報会社に5年間を勤めて、定年退職を迎えたのである。


私達夫婦が定年後の生活設計を本格的に話し合ったのは、私の出向時の55歳の時であった。
私達は子供に恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
もとより老後の生活、そして片割れになった時の状況を配慮し、
お互いの要望をまじえて話し合ったのである。

結論から云えば、私は定年退職後から年金生活とし、
お互いの趣味を尊重し、共通趣味の国内旅行をすることとしたのである。

生活の基盤の日常生活は年金支給でまかない、
そして国内旅行、冠婚葬祭などは程ほどの貯金から取り崩すのが基本としている。

ただ、厚生年金の当初は、私は昭和19年9月生まれであり、
厚生年金の一部である報酬比例部分で2年間で過ごすので、
62歳からの通常支給額のほぼ半額となるので、このことを配慮したのである。

こうした定年退職を迎えるまで間、出向元のレコード会社でも、
たびたびリストラを大幅に実施され、先輩、同僚、後輩が止む得ず退社されたり、人事異動をされたりした。

出向先の物流情報会社でも、リストラが実施されていたので、
私なりに民間会社のサラリーマンの痛みを解っているひとりである。

定年退職後、サラリーマン生活を35年ばかり過ごしたことになるが、
改めて多くの方にめぐり逢え、多々教示されたりし、
或いは自分の軌跡と照らし合わせながら、懐かしく充実した歳月だった、と想っている。


定年退職の直前に家内の父が死去したので、葬儀などの関連と、
私の退職の手続き、程々の金融資産に伴い銀行、郵便局の各所に行ったりして、慌しい日々が続いた。

家内の父の四十九日で納骨を済ませ、
家内の母と3人で、墓地の近くの温泉地に3泊4日で観光ホテルに滞在した折、
のんびりと周辺を散策した時、
こんなに日中気ままに過ごしてよいのかしら、と少し後ろめいたような感じをしていた。

12月の下旬、家内と土湯温泉に3泊4日で滞在した時、
歳末に近く何かと慌しい世間を見ながら、私達はゆったりと時を過ごした・・。

こうして、サラリーマンの多忙だった時間帯の生活から、心身吹っ切れた、と感じたりした。


肝要の私の年金生活のことであるが、
半生は屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は、生きた証(あかし)として、
念願の清貧の数寄者をめざし、
これに伴い、言葉による表現、読書、そして思索の時間としている。

幸いに定年後にブログの世界を知り、おぼつかないWebの技量と若き頃の感性を蘇(よみがえ)させながら、
散文を綴り、投稿をはじめたのである・・。

これ以降の私なりの生活状況はもとより、日々に感じたこと、思索していることなど、
余すことなく心の発露として、このサイトに綴っているので、省略する。



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朝のまばゆい陽射しに向かい、思わず手を合わせ・・。

2009-10-27 08:57:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
去る金曜日の16日から秋雨前線と台風の影響で、小雨が降ったり止んだり日々が続いた・・。
気温も急激に下がり、昨日などは朝の6時は12度、昼下がりは14度、夜の6時頃は14度となり、
ときおり風も吹く12月の上旬のような寒い一日であった。

昨夜、寝付く前に地元の天気情報を見たら、
明日の午前中は曇り、午後より回復して晴れ間となります、と報じられていた。

今朝、目覚めたのは7時であり、私は寝室から飛び出して、
1階の居間に下り立った。

家内は洗濯機を働かせている間、早くも部屋の掃除を始めていた・・。

まばゆい朝の陽射しが燦燦と居間に照らしていたので、私は主庭のテラスに下り立った。

雲ひとつない澄み切った青空を見上げたり、
雑木の枝葉にたわわな雨粒が陽射しを受けたきらめいたり、
地表の黒土はしっとりとして、私は陽射しを受けながら見惚(みとれ)れていた。
そして思わず陽射しに向かい、手をあわせて、天上の気候の神々に感謝をしたのである。

この後、居間に戻り、地元の天気情報を視聴したのである。

朝の6時は14度、昼下がりは22度前後、夜の6時頃は19度前後で、
秋晴れの一日で、洗濯、買物、散策も良いでしょう・・。
これからの一週間は晴れ間の日が続きますので、秋日和に恵まれた日々を大切にしましょう、
このように私には聴こえたのである。

私はもとより買物の専任者の身であるので、近くのスーパー、駅前のスーパーに出かけたり、
秋日和の中、散策で秋の色づいた情景に心を寄せたり、
そして庭の手入れも最適かしら、と心の中で小躍(こおど)りしたのである。




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