夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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民主党の小原舞(おはら・まい)・新人議員に、私は深く魅了され・・。

2009-10-18 17:09:12 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
ここ数日、風邪気味であるので、平素よりは読書の時間が多く、布団の中で読んだりしていたのである。

昨夜、読み残した今月号の総合雑誌の『文藝春秋』を読んだのであるが、
流し読みのように前回読んだ『「小沢さんは鬼でした」』と題され、副題として『小沢ガールズ座談会』と明記され、
過日の衆議選で当選を果たされた福田衣里子、三宅雪子、小原舞の3女史の
座談会の発言が気になったので精読した。

読み終わった後、私は思わず布団の上に正座し、小原舞・女史の発言を思い返したのである。

《・・
文藝春秋の司会
『国会議員としての第一歩を踏み出してばかりですが、目標とする政治家はいますか?』

小原舞・議員の発言
『政治家ではありませんが、私の思想の拠り所は松下幸之助さんです。
だから松下政経塾にも入りました。
幸之助さんの理想のように、長期的なビジョンを持って物事を考えていきたい。

具体的には、地方の再生なくして日本の再生なしという思いがありますので、
地方の疲弊を解消して、日本を立て直したいのです。』



私は《思想の拠り所・・》という言葉は好きで、瞬時に感覚としてこの新人議員に好感し、
何よりも《地方の再生なくして日本の再生なし・・》という政治家の命題に、
余りにも日本の難題に対する適言に感銘し、このお方に魅了されたのである。



文藝春秋の司会
『今回の総選挙では、皆さんが自民党の大物への”刺客”として、注目されました。
(略)
小原さんも京都五区で谷垣禎一・元財務相と大接戦を繰り広げられ、
選挙区では敗れたものの比例当選を果たされた。
こんなに厳しい政治家の世界に身を投じようと決断された経緯について、改めて教えてください。』

小原舞・議員の発言
『私は京都北部の舞鶴出身で地元から出馬しました。
この地域は、丹後ちりめんの不振などもあって、地方の疲弊を象徴しているような土地なんです。

人口比率で換算すると自殺率は全国ワースト1位ですし、過疎化、高齢化の進んだ「限界集落」も多い。
私も日々その疲弊を実感していました。

実家は植木屋ですが、大学へ進学できる経済状況ではなかったので、
高校卒業後は海上自衛隊に入ったり、社会人として働きながら勉強を続けました。

念願の大学に入学できたものの、卒業して地元へ戻っても働く場所がない。
家業を手伝って植木職人をしたり、クィーン舞鶴として市のPR活動をお手伝いしていましたが、
こんな地元の状況を変えたいという思いが強くなり、
京都大学大学院で公共政策を学び、
その後、松下政経塾で勉強していたところ、声をかけていただきました。
決断したのは昨年の9月でした。』


文藝春秋の司会
『選挙に出るという決断に至るまで逡巡もされたと思いますが、
それを振り払えた最大のきっかけは?
小沢一郎さんの要請でしたか?』

小原舞・議員の発言
『私は直接、小沢さんとの交流がなくて、
声をかけていただいたのは京都選出の参議院議員、福山哲郎さんです。

松下政経塾の先輩で、大学院の指導教授も同じという縁で、以前からお付き合いがありました。

正直、最初は断りました。
相手は谷垣さんという大ベテランですし、自分自身もっと勉強しなければ、
きちんとした訴えができないという不安もあった。

でも「あなたは地方の再生に取り組みたいんでしょう。
今、出ないというのなら、あなたの志は嘘なんだね」と、
私が最も言われたくないことを突きつけられて、
断ることが出来ませんでした。』


文藝春秋の司会
『選挙では、小沢さんからどんな指南を受けましたか』

小原舞・議員の発言
『「辻立ち(街頭演説)50本」は必須なのですが、
私の選挙区は広いので一日30本が限界でした。
それでも合計1000本を目標にして達成しました。』

この後の座談会の発言は、小沢一郎氏の辻立ち(街頭演説)流は、
交差点などの人目につく場所でなく、人のいない所に行き、
家の中で聞いている人を狙うドブ板戦術が、お互いの話題になり、

小原舞・議員の発言
『峠道で「お猿さん、こんにちは」とか。
しかも私、最初は自分で街宣カーの運転もしていました。
食事も時間がもったいないので、おにぎりを食べながらハンドル握ってましたから。』
そして、
『出馬表明から選挙までの一年間、実は父が胃がんにかかっておりまして、
私が物心共に家族を支えなければならない時期だったんです。
でも、選挙はお金がかかりますから、その点で迷惑をかけました。』


文藝春秋の司会
『辻立ちや握手といった選挙運動は抵抗はなかったのですか』

小原舞・議員の発言
『私は当初は、握手して票をいただくことに抵抗感がありましたね。
特に松下政経塾にいたせいか、
政策を理解した上で支持してほしいという思いは強くありました。

でも現実的に考えると、自分の思いを訴えようにも、こんな新人の話なんか聞きにきてもらえない。
それだけに、握手は有権者の方と近くになり、地元の声を聞く上でも大事なんだと痛感しました。

実際の政治活動をしていくなかで、街宣や握手の意味が見えてきました。』


文藝春秋の司会
『相手候補は首相や大臣経験者といった自民党の超大物ばかりでした。』

福田衣里子女史は長崎二区の保守地盤であったので、
集会に来ること、街宣カーに手を振ることさえ、はばかれる状況を話された後、

小原舞・議員の発言
『そうなんですよね。
目立たないようにこっそり手を振ってくださったり。
京都も一緒でした。』

そして群馬四区で三宅雪子女史が福田康夫・元首相を相手に奮闘した時、
自民党の選挙戦術はネガティブ・キャンペーンが多く、
と具体的に披露された後、

小原舞・議員の発言
『批判ばかりでしたね。
私個人への批判と、民主党に対する批判。
逆に私は相手の批判は絶対しませんでした。』

(略)

文藝春秋の司会
『四年前は「小泉チルドレン」の様々な言動が注目と批判を集めましたが、
「小沢ガールズ」でも、さっそく田中美絵子さんが、
映画のヌード出演や風俗ライターといった過去の経歴が話題になっています。

小原舞・議員の発言
『それぞれの人生の中で、みな一生懸命に生きているわけです。
私もパチンコ屋でアルバイトしたり、
レンタルビデオ屋で明け方3時までバイトして、懸命に生きてきました。
それが格差社会の今の実情です。

その現実を政治に届けるという点でも、田中さんには期待しています。
年も近いし、森喜郎・元首相という大物政治家に戦いを挑んだ女性なので、
根性のある方だと思います。』


文藝春秋の司会
『四年前、風に乗って当選した83人の小泉チルドレンは、
今回10人しか国会に残れませんでした。
四年後の自分の姿が想像できますか。』

小原舞・議員の発言
『次の選挙の厳しさは想像できます。
今回は、東京生まれの東京育ちで、あまり地元に戻ってこない谷垣さんに対して、
「一度、お灸をすえなければ」という声をよく耳にしました。

でも次の選挙でそうした票が谷垣さんに戻ってしまえば、
私が比例で復活することも難しいでしょう。、

でも私は小泉チルドレンの多くと違って、この一年間、政治活動をやってきました。
それが強みであり、自信になっている。
地道にコツコツやっていくだけです。』
・・》
注)記事の原文にあえて改行などを多くした。


以上、長々と『小原舞(おはら・まい)・新人議員』の発言を転載させて頂いたが、
私は今回の衆議選の選挙地区は東京22区なので、
今回の衆議選で当選を果たされた福田衣里子、三宅雪子、小原舞の3女史に関しても、
まったくの無知な民主党の新人議員の方たちである。

私が小原舞(おはら・まい)・新人議員に特に感銘を受けたのは、
《・・大学へ進学できる経済状況ではなかったので、
高校卒業後は海上自衛隊に入ったり、社会人として働きながら勉強を続けました。

念願の大学に入学できたものの、卒業して地元へ戻っても働く場所がない。
家業を手伝って植木職人をしたり、クィーン舞鶴として市のPR活動をお手伝いしていましたが、
こんな地元の状況を変えたいという思いが強くなり、
京都大学大学院で公共政策を学び、
その後、松下政経塾で勉強していた・・》

そして、ひたすら《地方の再生なくして日本の再生なし・・》という信念で、
今回の選挙に挑まれたということである。

このお方の選挙地区は京都北部地域で、
文部大臣を務めた谷垣専一のご長男・谷垣禎一氏である。
父の死後、父の地盤を受け継ぐ二世議員であり、最近は野党となった自民党総裁となっている。

私は谷垣禎一氏のように生活の苦労もなく、東京生まれ東京育ちで、父のこの地区の地盤を引き継ぎ、
やがては与党だった自民党の要職に就く人は、私は最も苦手な人である。

小原舞(おはら・まい)氏は、地元生まれ地元育ちで、
経済的に恵まれずに働きながら学業を学び、
《地方の再生なくして日本の再生なし・・》という信念で議員を獲得された方である。
そして昨今のチルドレンと称されている人よりも、
《こんな地元の状況を変えたいという思いが強くなり、京都大学大学院で公共政策を学び、
その後、松下政経塾で勉強していた・・》
こうした強い信念の言動は、私は感動した後、感銘させられたのである。


この後私は、深夜に関わらず、パソコンを開き、ネットでこのお方の詳細を学んだのである。

http://www.oharamai.jp/
【 おはら舞 オフィシャルサイト 】

このサイトの『政治への想い』で理念と想いは、
まぎれなく日本の現状を的確に表現されているので、正鵠である、と共感したのである。

この後、『活動報告Blog』に於いて、
6月、7月の街宣の数多くの情景を私は見たりしたのである。

この選挙地区の京都五区に於いては、もとより選挙前から谷垣禎一・元財務相の当選確実とされている地域であるが、
小原舞(おはら・まい)氏は、ひたすら《地方の再生なくして日本の再生なし・・》という信念で、
私の住む東京郊外の住宅地とは、一変した田畑や里村の情景の中で、
街宣活動として旗を立てて、傍で演説するが人影も少なく、
谷垣禎一・元財務相に挑戦する演説する状況に、私は思わず胸が熱くなったのである。


私はこの選挙区の京都北部地域の情景は、東京オリンピックが開催される前年、
その後は2年前、いずれも周遊観光で観たぐらいである。

私は民主党の新人議員となった小原舞(おはら・まい)の軌跡、
そして熱き想いの政治信条に魅せられて、座談会の発言を転載したり、
この人への心情も記した。

今後も京都北部地域の人々の思いをたえず思考し、揺らぎない信念としたたかな言動をされれば、
たとえ自民党総裁の谷垣禎一氏であろうと、打破できると確信している。

私は東京郊外の無力な年金生活のひとりであるが、
貴女への声援だけは、今後もこのサイトなど表示する。

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『赤い羽根の共同募金』の缶バッチは、私は無知だった・・。

2009-10-18 08:33:27 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
朝の7時過ぎに、NHKニュースの『おはよう日本』をぼんやり見ていた。

この中のニュースのひとつとして、

《 『赤い羽根の共同募金』の缶バッチ 》

と題して放映されていた。

確か三重県津市のNPOの青年の方たちが考案されて、
よく見られる缶バッチに左側の赤い羽根の描かれ、右側にはそれぞれの都道府県の形が表示されていた。

共同募金の低下に伴い、何とか募金を増やし、社会の弱者の社会団体を救済する目的であり、
スーパーの片隅に幼児用のおもちゃ(?)自動販売機のような形で、
百円玉を投じると、缶バッチが出てきて、
できうれば各都道府県の缶バッチを収集して頂ければ、と真摯な思いで街角に置いて、好評である、
と私は少しボケた身であるが、このように解釈したのである。

そして缶バッチだったら、私のような年金生活の方書きがないので、
現役時代の会社の社章バッチの代用として、四季を問わず一年中に胸元に付けられるかしら、と微笑んだりした。

或いは1980年代の少年少女たちが、缶バッチを数多く身に付けた風潮が流行ったので、
こうした方たちが自身の住まわれている都道府県、故郷の都道府県、そして知人の方の都道府県、
それぞれの缶バッチを身に付けられたら、子どもたちにも薦め、
親子ですれば更に普及するかしら、と思ったのである。

そして、このニュースの終わる頃、最近では都心でも、この缶バッチが販売される、
と報じられていた。


私は確か三重県津市のNPOの青年の方たちの真摯な思いで考案された、
『赤い羽根の共同募金』の缶バッチ、
無知であったが、この人生の微笑みを頂けたのである。




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