私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
昨夜、NHK総合テレビを視聴していたら、
今宵21日の11時からの【SONGS】の番組に於いて、GLAYが出演する予告を報じていた。
今朝、私は読売新聞の朝刊のテレビ番組表で確認したら、
《 グレイ11年ぶりLAでヨシキと再会
▽名曲ハウエバーへの思い 》
と記載されていたので、私は微笑んだのである。
先程、ネットでNHK番組表を検索したら、
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-10-21&ch=21&eid=12950
30分の番組時間に於いて、四曲のGLAYの曲が判明し、ゲストとしてYOSHIKIが出演することが確認できた。
そして番組HPの【SONGS】を開き、
http://www.nhk.or.jp/songs/
《・・
今年・デビュー15周年を迎えたGLAY。
彼らの原点であるデビュー曲「RAIN」をプロデュースしたYOSHIKI(X JAPAN)さんと、
「SONGS」で、運命の再会を果たしました。
ロサンゼルスで行われたYOSHIKIさんと、TAKUROさん・TERUさんの対談を中心に、
GLAY・4人の15年間の歩みを振り返る「SONGS」、
10月21日(水)夜11時から、NHK総合でお送りします。・・・
・・》
このように紹介されていたのである。
私の現役時代のサラリーマンの時は、あるレコード会社に35年ばかり勤めていた。
音楽を制作する部門でなく、管理畑で情報、経理、営業などの部署であったが、
それなりに音楽を聴く機会が多かったのである。
私が経理畑に所属していた頃、ロビーの掲示板に数多くのポスターが掲載されていたが、
この中のひとつが私には解からなかったのである。
女のような男で長髪の4人が写しだされていたポスターであった。
『GLAY』と明示されていたが、私の心からは、ほど遠い存在であった。
その後、私は異動した後、
GLAYを意識したのは、3枚目のアルバム『BELOVED』であり、
確か1996(平成8)年の11月だったと思うが、
普遍的であるが感覚として私の好みの詞であり、そしてサウンドも抵抗なく溶け込めていった・・。
私が50代の前半の時であった。
その後、シングル盤の『口唇』の後に、
翌年の秋、べスト盤のアルバム『REVIEW』発売され、
この頃の業界として空前の500万枚近い売り上げとなり、私は勢いのあるGLAYに、
ただ驚き、ため息をさせられたのである。
私はこの前後に『BELOVED』、『HOWEVER』、『ずっと2人で・・』、『軌跡の果て』を盛んに聴いたりした。
そして、NHKの『紅白歌合戦』に出場され、
ボーカルのTERUが、『HOWEVER』を唄いあげていた。
この年は最もCD、ビデオ等でセールスに貢献したアーティストに日本レコード協会の主催で、
翌年の1月に第12回『日本ゴールドディスク大賞』のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
こうした実績を残されたので、私は年賀状を受け取った中のひとつに、
ある営業所の所長から、昨年はGLAYの年でした、と書かれていた。
その後、1998(平成10)年の4月にシングル盤の『SOUE LOVE』、『誘惑』同時発売され、
相変わらずミリオン・セラーが続き、
確か7月だったと思うが、『pure soul』のアルバムを最後に私はGLAYから離れた・・。
翌年、5月になると、『GLAY 奇跡と栄光の向こうに』
と題されたドキメンタリーの番組がNHKから放映された。
四大ドームのライブ・コンサートを成功するまでの軌跡を描いた良い作品であった。
私は、この映像を観るたびに、GLAYに熱中した曲と時代、
そして熱気帯びた観衆のシーンを想い出している。
私は今、あの最初のベスト盤を聴いているが、
10年数前頃はあのような曲を聴いていたのだ、時の速さに溜息(ためいき)をついたりしている。
このような私なりのささやかな想いがあるので、
今宵は11時からの【SONGS】の番組に於いて、GLAYを視聴する決意でいる。
http://www.youtube.com/watch?v=XCoB5Cf8Qhg
【『HOWEVER』 作詞、作曲・TAKURO 編曲・GLAY、佐久間正英 唄・TERU 】
昨夜、NHK総合テレビを視聴していたら、
今宵21日の11時からの【SONGS】の番組に於いて、GLAYが出演する予告を報じていた。
今朝、私は読売新聞の朝刊のテレビ番組表で確認したら、
《 グレイ11年ぶりLAでヨシキと再会
▽名曲ハウエバーへの思い 》
と記載されていたので、私は微笑んだのである。
先程、ネットでNHK番組表を検索したら、
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-10-21&ch=21&eid=12950
30分の番組時間に於いて、四曲のGLAYの曲が判明し、ゲストとしてYOSHIKIが出演することが確認できた。
そして番組HPの【SONGS】を開き、
http://www.nhk.or.jp/songs/
《・・
今年・デビュー15周年を迎えたGLAY。
彼らの原点であるデビュー曲「RAIN」をプロデュースしたYOSHIKI(X JAPAN)さんと、
「SONGS」で、運命の再会を果たしました。
ロサンゼルスで行われたYOSHIKIさんと、TAKUROさん・TERUさんの対談を中心に、
GLAY・4人の15年間の歩みを振り返る「SONGS」、
10月21日(水)夜11時から、NHK総合でお送りします。・・・
・・》
このように紹介されていたのである。
私の現役時代のサラリーマンの時は、あるレコード会社に35年ばかり勤めていた。
音楽を制作する部門でなく、管理畑で情報、経理、営業などの部署であったが、
それなりに音楽を聴く機会が多かったのである。
私が経理畑に所属していた頃、ロビーの掲示板に数多くのポスターが掲載されていたが、
この中のひとつが私には解からなかったのである。
女のような男で長髪の4人が写しだされていたポスターであった。
『GLAY』と明示されていたが、私の心からは、ほど遠い存在であった。
その後、私は異動した後、
GLAYを意識したのは、3枚目のアルバム『BELOVED』であり、
確か1996(平成8)年の11月だったと思うが、
普遍的であるが感覚として私の好みの詞であり、そしてサウンドも抵抗なく溶け込めていった・・。
私が50代の前半の時であった。
その後、シングル盤の『口唇』の後に、
翌年の秋、べスト盤のアルバム『REVIEW』発売され、
この頃の業界として空前の500万枚近い売り上げとなり、私は勢いのあるGLAYに、
ただ驚き、ため息をさせられたのである。
私はこの前後に『BELOVED』、『HOWEVER』、『ずっと2人で・・』、『軌跡の果て』を盛んに聴いたりした。
そして、NHKの『紅白歌合戦』に出場され、
ボーカルのTERUが、『HOWEVER』を唄いあげていた。
この年は最もCD、ビデオ等でセールスに貢献したアーティストに日本レコード協会の主催で、
翌年の1月に第12回『日本ゴールドディスク大賞』のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
こうした実績を残されたので、私は年賀状を受け取った中のひとつに、
ある営業所の所長から、昨年はGLAYの年でした、と書かれていた。
その後、1998(平成10)年の4月にシングル盤の『SOUE LOVE』、『誘惑』同時発売され、
相変わらずミリオン・セラーが続き、
確か7月だったと思うが、『pure soul』のアルバムを最後に私はGLAYから離れた・・。
翌年、5月になると、『GLAY 奇跡と栄光の向こうに』
と題されたドキメンタリーの番組がNHKから放映された。
四大ドームのライブ・コンサートを成功するまでの軌跡を描いた良い作品であった。
私は、この映像を観るたびに、GLAYに熱中した曲と時代、
そして熱気帯びた観衆のシーンを想い出している。
私は今、あの最初のベスト盤を聴いているが、
10年数前頃はあのような曲を聴いていたのだ、時の速さに溜息(ためいき)をついたりしている。
このような私なりのささやかな想いがあるので、
今宵は11時からの【SONGS】の番組に於いて、GLAYを視聴する決意でいる。
http://www.youtube.com/watch?v=XCoB5Cf8Qhg
【『HOWEVER』 作詞、作曲・TAKURO 編曲・GLAY、佐久間正英 唄・TERU 】