夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ④

2009-10-01 20:55:43 | 
        第3章 松島湾のほとり


私達は志津川湾の『南三陸 ホテル観洋 』を朝の8時半に出た後、
私達のバスは仙台港からフェリーに乗船する前、松島湾を一望できる小公園に寄ったのである。

私達は10年前の夏季、7年前の元旦に松島の旧跡、名所、松島湾の遊覧船で周遊したりしているので、
ある程度は観たりしてきた・・。

この小公園は、『西行戻しの松』と命名されているが、
二度目であったが、確かに松島湾をゆったりと一望できる場所である。

私は歌人・西行(1118~1190)に興味があるひとりで、
《・・
この才人の西行が松島を訪れようとこの地の松の傍らで休息していた時、
山王権現の化身である鎌を持った童子に会い、
仕事は何かと問うと、
「冬ほきて夏枯れ草を刈りに行く」と答えた。

西行はその意味が分からなかった。
童子は才人が多い霊場松島を訪れると恥をさらすであろうとさとしたので、
西行は恐れてこの地から去ったという伝説がある・・

こうした伝説などは、私は好みの分野であり、
敬愛している西行のような方でも・・と思わず苦笑させられたのである。

http://www.matsushima-kanko.com/midokoro/nihonsankei/saigyo.html
『西行戻しの松』


この後、松島湾の入り江の小高い丘にある『観瀾亭』の茶室で、
私達が松島湾を眺めたのは初めてであった。
枝豆をつぶしたあん入りの『ずんだ餅』を食べた後、抹茶を頂き、
ゆったりと松島湾を眺められるのは、贅沢なひとときと私は感じたりしたのである。

http://www.matsushima-kanko.com/midokoro/rekishi/kanrantei.html
『観瀾亭』


この後、私は街角に地酒の看板を見かけ、
昼の12時50出港の仙台港から明日の午前10時半に名古屋港に着岸するフェーリーに乗船するので、
ひとときの友として、純米酒の四合瓶を買い求めたのである。

私のような呑兵衛の年金生活の身としては、
《・・
特別純米酒もりいずみ
720mlカートン入 ¥1480(税込)
精米歩合60%の原料米を低温発酵させ、じっくりと米の旨味を醸した純米酒です。
・・》
と明記されていたので最適かしら、と微笑んだのである。

http://www1.ocn.ne.jp/~minten/ 
特別純米酒もりいずみ


そして私は、フェーリーに乗船する時、
『宮城県・・お世話になりました・・』
と心の中で呟(つぶや)きながら、左手に四合瓶を提げて乗船する階段を上がったのである。

                             《つづく》


にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ③

2009-10-01 15:13:13 | 
        第2章 志津川湾の入り江に建つ観光ホテル
 


私達は志津川湾の入り江に建つ観光ホテルに到着したのは、午後4時過ぎであった。

http://www.mkanyo.jp/
     南三陸 ホテル観洋

この観光ホテルは家内が半年前に観光パンフレットで初めて知り、
3泊ぐらいでゆっくりと過ごしたいわ、と私に云ったのである。
その後、思案のひとつとして、個人旅行で、
東北新幹線で一ノ関から観光周遊し、この観光ホテルに3連泊した後、
松島を観て、仙台より帰京する案を私達は検討したこともあったのである。

たまたま今回の団体観光ツアーに一晩だけは含まれていたので、
この後の仙台港から名古屋港までのフェリーに寄るクルーズを含め、
参加した主な理由であった。

果たして家内が観光パンフレット、ネットで魅了された部屋、風呂からの展望は、
と私も期待して、指定された部屋に入室したのである。


ベランダ越しからの前方に志津川湾に浮かぶ養殖の魚、貝の筏(いかだ)が数多く見られ、
その彼方は太平洋の海上が観え、湾の左右は人家が点在している美景となっていた。
そして日の出の頃を想像すれば、まぎれない光景となるが、
曇り空の夕方のひとときでも、それなりに魅せられる海の色合いとなっている。

家内はベランダに鴎(カモメ)が飛来してくるので、
ホテルの売店でカッパエビセンを購入して、鴎(カモメ)の十数羽と戯(たわむ)れていた。

しばらく私は見ていたが、動物に興味のない私は、大浴場・露天風呂に向った。
そして、のんびりと露天風呂の湯に身をゆだね、
目の前の志津川湾、彼方の海上を眺めると、心まで安らぐのである・・。

この後、私は部屋に戻ると、家内は鴎(カモメ)にカッパエビセンを放り投げて、歓声をあげたりしていた。
その後、家内は入浴に行くと、私はベランダに近い椅子に座り、
ビールを呑みながら煙草を喫ったりしていた。

薄暗くなった前方の志津川湾に浮かぶ筏(いかだ)が淡き灯(あか)りが灯(とも)され、
湾の左右は人家の灯(あか)りが点在されて、眺めているとあきない情景となっていた。

夕食の焼物は鮑(アワビ)踊り焼、お造りは鮪(マグロ)、女梶木(メカジキ)、鮭(サケ)、間八(カンパチ)、牡丹海老(ボタンエビ)、
蓋物としては鮫(サメ)しんじょう、鱶鰭(フカヒレ)あんで、この他の魚介料理も美味であり、
私達はビールを呑みながら頂いたのである。
私は何よりも魅せられたのは、汁椀の浅利汁であった。


この夜、華麗に繰り広げられる息をのむ妙技の数々と称される中国の雑技ショーが開催されていたが、
私は興味がなく、部屋のベランダに近い椅子に座り、
暗くなった前方の志津川湾を見つめたり、湾の左右は人家の灯(あか)りを眺めていたりした。


翌朝、曇り空でほんのわずか朱色の紅をしいた空模様で、
無念ながら日の出の美景は観るできず、露天風呂の三種類ばかり入り、
部屋に戻った。

私は煎茶を飲みながら家内に、
『俺も中学生までは劣等性であったが・・その後は何とか人並みになり、定年を迎え・・
待望の年金生活を過ごしてきたのであるが・・
65歳の高齢者になった今・・このお天気のように前途・・良くないのかぁ・・』
と苦笑しながら云ったりしていた。

その後家内は昨夕、鴎(カモメ)にカッパエビセンを3袋ばかり放り投げたので、
右腕が少し痛いわ、
と私に微笑みながら云ったりした。

                                  《つづく》






にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ②

2009-10-01 12:07:47 | 
        第1章 たかが蔵王、されど蔵王 


私達は東京駅の集合時間9時5分であったが、家内の性格により一時間前に到着し、
私は愛煙家の為に、喫煙可能の喫茶店を探したりしたが、見つかったのは8時45分過ぎであったので、
次回からの旅の折から利用しょう、と無念ながら断念したりした。

私達が指定された集合場所に行くと、
私のような65歳前後から70代前半のご夫婦が圧倒的に多く、女友達のグループの人たちは少なく、
添乗員さんを含めて総員32名の旅人となった。

東京駅9時32発の『やまびこ47号』の東北新幹線で北上し、福島駅に下り立ったのは11時11分である。

そして観光バスに乗車し、一路『蔵王のお釜』をめざした・・。
東北自動車道の高速道路を北上し、
白石I.C.で降り、遠刈田温泉を通り過ぎた。

私達夫婦は『蔵王のお釜』は、少なくとも二度ばかり訪れていたので、
興味はないわねぇ、と旅行に申し込んだ時から話したりしていた。

私達は遠刈田温泉をはずれを通り過ぎた時、
四年前の冬に『蔵王樹氷めぐり』を観たく滞在したホテルが観えたのである。

http://www.daiwaresort.co.jp/zaou/
    宮城蔵王ロイヤルホテル

このホテルに3泊して滞在しながら、ホテルからスキー場まで四駆のマイクロバスで送迎して頂き、
スキー場から雪上車に乗車し蔵王の山頂まで目指したことがあった。
結果としては九合目ぐらいで下車し、烈風の中で樹氷を誉めたりした後、
ゆっくりと雪上車は下り、ときおり私達は下車し、周囲を散策したりした。
その翌日には、遠刈田温泉の街中、周辺を雪舞い降る中を日中歩き周ったりし、
それなりに深い思いでをあった。

そして肝要の『蔵王のお釜』は、20年前の6月の時に山形県の寒河江で『さくらんぼう狩り』をする前日の途中で、
絵葉書のような美麗なエメラルド・グリーン色の湖面を観たりしたのである。

http://www.zao-machi.com/meisyo/okama.html
       『蔵王のお釜』

そして陽射しを受けると、このエメラルド・グリーン色の湖面は光を帯びて、
美麗な瞬時となったのである。

或いは北海道に飛行機で行った時、たまたま機上から『蔵王のお釜』観えて、
周辺の情景も含めて、ため息をしながら、見惚(みと)れたりしたのである。



このような思いでを馳せながら、小雨が降ったり止んだりする中、
バスは『蔵王のお釜』をめざしながら上ったのであるが、
周辺の駐車場に到着すると、小雨は止み、山霧につつまれていた・・。

ときおり微風が吹くと、周辺の山すその低木、草花は朱色、黄色に色づきはじめた中、
ひときはナナカマドの樹木だけは早くも朱紅色に染められ、たわわな実は紅色となり、
草紅葉の情景となっていた。

そして『蔵王のお釜』に近づくと、再び山霧の中に隠れてしまい、
私は微苦笑したのである。

そして駐車場に戻る道を歩きながら、周辺のナナカマドに心を寄せながら、
人に見つめられると恥ずかしげにときおり雲隠れする『蔵王のお釜』を羞恥心のある方だなぁ、
と心の中で微笑んだりしたのである。

この後、バスは蔵王の山すその道を下ると、
周囲の樹木はわずかに朱色、黄色に色づきはじめたのを観たりすると、
あと数週間すれば朱色、黄色の錦繍の世界になり、やがて初雪となるのはいつ頃かしら、
と私は心を馳せたりした。

そしてバスは、仙台市の郊外を通り抜け、宿泊先の志津川湾にある観光ホテルをめざしたのである。

                                  《つづく》





にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ①

2009-10-01 07:50:24 | 
        序章 


このサイトに幾たびか綴ってきたが、私達夫婦はささやかな記念として、
初秋のこの時節に3泊4日の旅行をしてきた。

今回の旅路は、ある旅行会社の団体観光ツアーのプランのひとつで、
東京駅で集合した後、東北新幹線の福島で下車し、
蔵王のお釜を観た後は、南三陸にある観光ホテルに宿泊する。

そして翌朝は松島に寄り、仙台港よりフェリーに乗船し、太平洋の沿岸を南下して、
翌日の10時半過ぎに名古屋港に着岸する。
この後は群上八幡に寄り、飛騨高山の観光ホテルに午後4時過ぎに到着した後、
飛騨高山めぐりは自由とする。

翌日は畳平、上高地を観た後は、松本より中央線で帰京する日程であった。

旅路は秋晴れから見放され、小雨が降ったり止(や)んだりする日々となり、
古人の人たちから、秋の長雨の冷たい雨がしとしと降る状況を秋霖(しゅうりん)と命名しているが、
こうした中で旅路でめぐり逢えた情景を私は享受したり、少しばかり嘆いたりしたのである。

                           
                                《つづく》


にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする