夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ⑧

2009-10-02 21:47:05 | 
        第7章 飛騨高山、畳平そして上高地


私達のグループは、高山市郊外の里山の『ホテル アソシア高山リゾート』で、
夕食は円形の大きなテーブル席で『飛騨牛の季節御膳料理』を頂きながら、ビールなどを呑み、
隣席、前方のご夫婦たちと談笑をしたりした。

http://www.associa.com/tky/
『ホテル アソシア高山リゾート』


この後の私達は、部屋に戻った後、
窓辺からは下方に高山市内の街灯りを観たり、遠方の彼方の夜空を眺めたりしたが、
どんよりとした曇り空で月も星も見られず、お互いに苦笑してしまったのである。


翌朝、別館となっている大展望風呂に露天風呂で、
下方に高山市内の街並みを観たり、空を眺めたりしていたが、曇り空となっていた。


私達は朝の8時半に、このリゾートホテルを去り、
そして乗車した観光バスは、まもなく乗鞍スカイラインの山岳道路を昇りきった場所に畳平があった。
この地の駐車場さえも2700メートルの高山地帯であるので、
初夏の頃は高山植物が周辺を彩る、とバスガイドさんが優しく話されていた。
そして過日、熊が出没し観光客が被害を受けたニュースを解かりやすく教示してくれたりしたのである・・。

そして45分ばかりの畳平めぐり自在な時、
私は山すそなどを5枚ばかりデジカメに撮った後は、
霧雨が降ったり止んだりする中、私は喫煙場で煙草を喫いながら、
霧雨の前方に聳(そび)える山すそを眺めたりしていた。

http://www.hida.jp/norikura/index.shtml
この下段にある『のりくらライブカメラ』を見て下されば、情景はお解り頂ける思います。


この後は乗鞍スカイラインを下り、観光バスは上高地をめざした・・。


私達は20年前頃の6月中旬に初めて上高地を訪れ、
大正池~河童橋まで歩き、ビジターセンターで見学をしたりした。

その後は、昨年の6月16日から1泊2日で周辺を散策したのである。
この時の状況は【さわやか新緑の上高地散策記】と題して、
このサイトに投稿していたが、今回はあえて再掲載をする。

【・・
     第一章  20数年ぶりの上高地は

ある旅行会社の特別企画として、
バスツアーを活用し、上高地の山岳ロッジに宿泊し、散策などを自在に、
というプランに私達夫婦は参加した。

新宿の都庁駐車場を8時半過ぎに出発し、高速道路の中央自動車道で諏訪湖を眺め、
長野自動車道の松本ICで下り、野麦街道を通り抜け、
大正池の景観が見えたのは、昼下りの1時半であった。

この間、サービス・エリアで休息をしたり、
昼食を諏訪ICに近い食事処でしたりしても、
わずか五時間ばかりで秀麗な上高地の情景を観られるのである。

この手前の5キロ前あたりから一般の自動車は乗り入れが規制されているので、
路線バス、タクシー、或いは私達のように観光団体バスを利用するしかなく、
その上に4月から11月までの期間しか営業稼動されていないのが多く、
環境保護が重視されている地域でもある。

私達を含めたツアー参加者の1部は、
大正池で下車され、自然研究路を散策される方、
或いは上高地帝国ホテルの付近で下車されて、散策される方もいたが、
私達夫婦は最終地の上高地のバス・ターミナルで下車した。

そして私達のような数多くの観光客で賑わう中、河童橋を渡り、
かっては山の旅舎と称された『五千尺ロッジ』にチェック・インしたのは、
2時少し前であった。

この『五千尺ロッジ』は、梓川の河童橋の最寄にあり、
梓川の対岸に本家のような大正時代の初めの頃から存在している由緒ある『五千尺ホテル』があるが、
10数年前に新装オープンした、可愛らしい妹のようなお洒落な宿舎である。

http://www.gosenjaku.co.jp/
   『五千尺ホテル』

http://www.gosenjaku.co.jp/lodge/   『五千尺ロッジ』

私達のツアーの参加者は、旅行会社とこのホテルのさりげない企画のお陰で、
小石に絵を描くストーン・アート、
プラスチックに塗り絵のように描き、この後は熱を加えられ、縮小し、アクセラリーになるイベント、
そしてどなたでもささやかな景品が頂ける抽選会もあったりした。

そして目玉となる企画は、
上高地NPG(ナショナル・パーク・ガイド)に導かれて、
ナイト・ハイクと称される夜の散策、
翌朝の早朝ハイクや明神池までの散策が設定されていた。

             

   第二章 自然研究路を散策すれば


梅雨の間の快晴の昼下り、
田代湖を通り抜けて大正池まで散策しょうと、『五千尺ロッジ』を出たが、
その前に旅行会社とホテルのご好意に寄る『五千尺ホテル特製ケーキセット』があり、
私達夫婦は由緒ある『五千尺ホテル』に入った。

この喫茶室も私達のような観光客で多く、
合席となった60代のご夫婦もコーヒーを飲みながらケーキを食べられていた。

http://www.gosenjaku.co.jp/meal/5horn.html

呑兵衛の私にとっては洋菓子のケーキなどは、婦女子の食べ物と確信し、
夕食は美味しくなくなるので、アイス・コーヒーを飲んだりした。
家内はコーヒーを飲みながら、私の分まで食べ、軽食代わりとしていた。


河童橋から下流の大正池までの遊歩道を
右側に梓川の清流を眺め、
雄大な穂高連峰を見上げ、川沿いの整備された路を歩いた・・。

そしてシラビソ、サワグルミ、ケショウ・ヤナギ等の原生林の中を通ったり、
突然に視界が開け、シロバナ・シャクナゲやレンゲ・ツツジの可憐な花も観られ、
湿地の中には枯れ木が忽然と残ったりしていた。

大正池は余りにも有名な景勝地であり、
最寄に聳(そび)える焼岳が大正の初めの頃に大爆発をした折、
梓川の清流を堰(せ)きとめて、浅い池が点在する情景となり、
樹木は立ち枯れとなったのが数多く観られる静寂な美景のひとつである。

私達夫婦は20数年前、この地の景観を初めて訪れたが、
焼岳は活火山もさることながら、年々土砂が流れ、
浅瀬の大正池を狭(せば)めている、と聞いたりしていた・・。

現地の方たちは、今でも土砂を取り除いたりしていると聞いたりしていたが、
こうした美景も自然の力の前では、いつまで観られるとは、 と思いながらも私達は立ち去った。



   第三章 星と月明りの中、ナイト・ハイク

6時からの夕食のバイキング形式の折、私達夫婦は『フリー・ドリンク』を申し込み、
社員の身分証明書のような首からぶら下げたカードを身に付けて、レストランに入った。

私は通常の料理を頂き、そしてトンカツのソース煮、山菜の天ぷらを誉(ほ)め、
地酒を4合ばかり呑んだりした。
家内は赤ワインとビールを少し呑んだりしていたが、
これだけホテルがサービスして下さるのだから、
とあえてフリー・ドリンクを申し込んだ、と小声で云ったりしていた。


8時からの『ナイト・ハイク』と称せられた夜の散策コースに私達夫婦は参加した。

NPGの好意に寄り、真っ暗な上高地の森の小道を散策するのであるが、
私達のグループ10名は、ガイドの懐中電灯の足元を照らす光、
そして星と月明りの中をガイドに導かれて歩いた・・。

http://npg-alps.net/guide/night.php

私は夜の闇は幼少の頃は歩いたが、
この齢になっても真っ暗の中は独りで歩いたならば、恐怖心がつのり、ただひたすら謙虚になる、
と改めて自覚させられたりした。

そして忽然に視界が開かれ、穂高連峰が観え、
沢の幾筋の残雪が雪明りとなり、周辺まで山すそが観えたのである。
そして頂の上空には、星が煌(きらめ)いていた・・。

私は神々(こうごう)しく厳粛な心持となり、立ちすくんでいた。

こうして1時間ばかりの闇の中の散策であったが、深く心に残った。

そして解散後、私達の宿泊している所からわずかに河童橋にあるので、
私達夫婦は橋の中間点に立ち、山すそを眺めたりした。

月が山すそに隠れ、わずかな月の光を観、
そして30数分の後、恥ずかしげに月が頂の上から現(あらわ)れたのである・・。


私は夜の散策で、星の光、沢の雪明り、そして月の光を鑑賞できた稀(まれ)な体験をし、
寝付いた時、夢の中で再来するかしら、と深く思ったりしていた。


   第四章 上高地は神降地であり

翌日、梓川の清流で目覚め、白樺の枝葉越しに清冽な流れを見つめたり、
そして朝の陽射しを受けた山すそを眺めたりしていた。

朝食後、『明神池コース』の散策に参加するまでの間、
河童橋から上流の50メートル前後の場所の遊歩道にたたずみ、
梓川の流れ、後方に陽射しを受けた穂高連峰の美景を観たりしていた。
尾根、雪が残っている沢筋を見つめたりし、
こうした景観があたかも額物に入った一幅の絵のようである。

私なりの構図を決めて、10数枚をデジカメで撮ったりしていた。

そして、ベンチに座り、煙草を喫いながら、眺めていたが、
見飽きることがない情景であった。


『明神池コース』に散策する人は、10数名であり、
私達は5名のグループとなって、NPGの若き女性のガイドに導かれて、
歩き出したのは9時であった・・。

左側に梓川を眺め、上流にある明神池への遊歩道であったが、
驚くほど平坦な路であった。

シラビソ、サワグルミ、ケショウ・ヤナギなどの樹木を眺めたり、
そして固い樹のイチイ、寒冷地に多いダテカンバも見つめたりしていた。

そして誰袖草(ダレソデグサ)、深山唐松草(ミヤマカラマツグサ)などと命名された
お洒落な草花をガイドさんより教示されて、私は思わず微笑んだりした。

そして、この地域に6種類ほどの桜の樹種の中で、
最後に咲く白い花の終りを告げた顎(がく)がたわわに観られたのである。


こうした情景を眺め、樹木、草花を誉(ほめ)めながら、
1時間ほどの道程をゆったりと2時間ほどで歩き、明神池の入り口周辺に到着した。

この地点でガイドさんと名残りほしく別れ、私達夫婦は明神池に向かった。


この明神池は穂高神社の神域なので、拝観料を払ったら、バンフレットを頂き、
明神池 神降池(かみこうち) と明示されていた。

明神池は、一之池と二之池に別れて折、一之池は水面に数多くの樹木もあった。

そして、柔らかな陽射しの中で、
マガモは子ガモを引率しながら、のんびりと遊泳したり、
岩魚もゆったりと水中を泳いでいた・・。

渡り鳥と知られているマガモであるが、
この地のマガモは飛び立つことがなく、この地で四季折々住みついている、
と教示させられたりした。
私はマガモにとっては、余程居心地の良いところかしら、と思いながら眺めたりした。

この後、ニ之池に行ったが、岩があり、小島には白樺、松などが観られ、
私は生きている石庭と深く感じながら、この光景をしばらく見つめたりしていた。


下流にある河童橋までの帰路は、
左手に梓川を眺める治山林道と称された遊歩道を下った。

視界の開けた湿地帯には、レンゲ・ツツジ、シロバナ・シャクナゲを眺めたりし、
1時間半ほど歩き、河童橋に到着した後、宿泊したロッジの前にあるベンチに座り、
休息をしていたら、若き女性のガイトさんが、さりげなく呟(つぶ)いた言葉が思い出された。

『私・・神降地(かみこうち)という地名が・・この地域一帯は相応しいと思うの・・』


私達夫婦は、食事処に入り、ビールを呑みながら、昼食としたが、
窓辺から梓川を眺めたりしていた・・。

http://www.gosenjaku.co.jp/meal/kappa.html

そして集合時間も近づいて来たので、この上高地の光景に別れを感じはじめた・・。

・・】

このように投稿してきたので、私なりの深い思いがあるが、
今回は11時半過ぎに解散し、昼食として『五千尺ロッジ』に午後1時15分集合となった。

私達と幾数人かは、観光バスの終点のバス・ターミナルで下車後、
私達夫婦は河童橋からビジターセンターの付近を散策した後、
ビジターセンターに20数年ぶりに入館したのである。

http://www.kamikochi-vc.or.jp/

私は館内で倒木、流木を見たり、有数な山岳写真家の四季折々の美麗と荘厳な写真を拝見した後、
『ガイドブック』((財)自然公園財団 定価1500円(税込))を購入したりした。

この後、河童橋を渡り、日本山岳会の周辺で私のお気に入りの場所で、
10数枚を撮ったりした後、
家内が河童橋の近くの売店で、『焼生姜の佃煮』、きゃらぶき風の『わさび茎佃煮』そして『ぴりり椎茸』などを買い求めたりした。

そして、五千尺ロッヂの隣接したカフェテリアで、
私はビールを呑み、家内はコーヒーを飲みながら、前方の樹越しに見える梓川の清流を眺めながら談笑したのである。

この後は、『五千尺ロッヂ』に私達のグループは集合し、
このロッジのレストランで昼食としたのである。


私達のグループは、バスターミナルに午後の2時半に再集合し、
観光バスに乗車後、まもなく上高地を去り、中央線の『松本駅』に一路向ったのである。


                              《つづく》



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秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ⑦

2009-10-02 15:52:26 | 
        第6章 郡上八幡~飛騨高山


私達のグループは、『いしかり』を下船した後、待機してくれた観光バスに乗車し、
高速道路で岐阜県の郡上八幡をめざして北上した。
私は東海北陸自動車道のこの地域は初めて観る情景であった。

20数年前に新宿から松本まで『L特急』で、この後は観光バスで木曽、中津川を周遊し、
下呂温泉に宿泊し、国道41腺を北上して、高山を観光めぐりをしたことがあり、
これから初めて訪れる郡上八幡は程々に近接した街と知ったりした。

私は郡上八幡に関しては、古き歴史のある街で、水の豊かな街並み、
この程度しか知らない拙(つたな)い身であり、
昼の12時過ぎに観光バスから下車したのである。

観光ホテルのレストランで昼食を頂いた後、
『博覧館』に於いて、若き男性から街の歴史、生活風習などを説明を受けたり、
郡上おどりの数曲を拝見したりした。
その後は、わずか一時間ばかり雨上がりの街を散策したのである。

やむえず『職人町』から古き情感のある街並みを拝見しながら、
名水百選と知られている『宗祇水』を飲んだり、甘い清らかな水、と感じた後、
観光バスの駐車している集合場所に帰路した。

このように私は短かな時間であり、郡上八幡を語れる資格はないのである。


この後、バスは北上し、高山市をめざしたした後、
高山市内で観光めぐりをされる方たちは下車し、
残りの私達は宿泊先の郊外の里山の『ホテル アソシア高山リゾート』に向ったのである。

http://www.associa.com/tky/
『ホテル アソシア高山リゾート』


私達夫婦は指定された7階の部屋は、ゆったりとした洋室ツィンで、
窓辺からは下方に高山市内が一望でき、遠方の彼方に北アルプスが観られる。

この後、私は別館となっている大展望風呂に行ったのであるが、
6階が受付となり、奥に進むと広い休憩室となっていた。
そして、5階と7階が男女別の大展望風呂フロアーとなっている。

たまたまこの日は、男性は5階となって折、私は階段を下りて、5階の大展望風呂に入った・・。

私はいつものように大浴場の湯につかった後、そして露天風呂に身をゆだねたりしているが、
今回は指定された部屋と同様に、下方に市内の街並み、遠方の彼方に北アルプスの山並みが観え、
心まで圧倒的にやすらぐ露天風呂でもある。
私は数種類の露天風呂に身も心にゆだねたりしたのである。


この後、私は6階の休息室のテラスで、
煙草を喫いながら、一昨年の2007年2月12日から5泊6日で、
私達夫婦は家内の母を誘い、
新平湯温泉にある観光ホテルに滞在ことを鮮明に想いだされたのである・・。

http://www.yakushi-hj.com/
『奥飛騨薬師のゆ本陣』

この観光ホテルに滞在して、周辺の新穂高ロープウェイを利用し、北アルプスの冬の情景を眺めたり、
高山市内の街めぐりを私は2日ばかりしたのである。


私はこのサイトに【奥飛騨温泉滞在記】と題して投稿していたが、
一部を再掲載をする。

【・・
     第3章  北アルプスの冬景色・・♪

13日(火曜日)の早朝、里山の頂(いただ)を見詰めると、柔らかな冬の陽射しが見られた。

私達3人は、高地から展望できる北アルプス連峰を見る為、
新穂高ロープウェイを利用した。

新平湯温泉前より新穂高バスターミナルまでバスで20分前後で行き、
第1ロープウェイの乗車口の『新穂高温泉駅(標高1117m)』から『鍋平高原駅(1305m)』まで乗った後、
第2ロープウェイの『しらかば平駅(1308m)』から終点の『西穂高口駅(2156m)』まで
ロープウェイの車窓から北アルプスの情景が見られる。

1番手軽に高地から山並みが展望出来るので、家内の母に私は勧めた。

20数年前に来た時には、午後3時過ぎの影響下であったので、
山霧につつまれて視界は10メートル前後の悲惨な状況であった。


西穂高口に着くと、マウントビュー千石という4階建ての施設があった。
この屋上が展望台のようになって折、
北アルプスの連山が澄み切った快晴の中で観られた・・。

槍ヶ岳(3180m)が遠方に聳(そび)え、
3000m前後の連山が厳冬の雪を擁(いだ)き、厳粛さを感じる。
そして前方には西穂高岳(2909m)が、圧倒的な威力のように聳(そび)え立っている・・。

この後、私達はコーヒータイムとし、家内達は下界の熊牧場に行くので別れた。

この西穂高口の周辺は、千石園地となり、
この時節には雪の回廊が係員のお手数で作られている。

暖冬のせいか、積雪は1m前後で20分程度の雪道であるが、
数多くの針葉樹が雪を枝葉に湛(たた)えて、
少女的な視線からはクリスマス・ツリーのように観える。
こうした景観には私は酔いしれる・・。

このような光景に私はデジカメで30数枚撮り、記憶の片隅としたりした。


余談であるが、私達3人が最初に第2ロープウェイに乗り換えた時、
何故かしらか若い女性の係り員がチョコレートを手渡していた。

『あたし・・もらえなかったわ・・』
と家内の母は残念そうに言った。

私は男性ばかりに手渡して折、
バレンタイン・デーでささやかなプレゼントとして解かったので、
家内の母に手渡した。

純米酒を愛する者にとっては、チョコレートは婦女子の食べ物である。

・・【略】

   第6章  雪の舞い降る『飛騨高山』往還・・♪

15日(木曜日)の新平湯は、小雪が舞い散る朝だった。

私達3人は飛騨の高山の中心街を散策するので、バスに乗り込んだ。
平湯峠を通り過ぎると路面は5センチ前後雪化粧をしており、
高山市の中心部に差しかかると、小雪から雪となった。

朝市を観た後、家内の母は初めての高山観光なので、
屋台会館、日下部民芸館を案内したいと昨夜に家内から聴いていたので、私達は別れた。

私は全国に唯一現存する郡代・代官役所と称せられた高山陣屋を見学した。
平屋建ての三百坪の周囲に簡素な庭があり、
素朴な趣(おもむ)きの中、雪が舞い降りている。
こうした格調さがない庭なりに、心が和(なご)んだりしたが、ある反面羨望もあったりした。

その後、雪の降りしきる中、古い街並みの周辺を散策した。
とある木工店に入り、楢(ナラ)の各種の一枚板を見た。

およそ90cm弱の幅、長さは180cm、そして厚さは9cmほどの一枚板であり、
価格は30~50万円前後であり、テーブルなどに用いると思われた。

私は机の板として、2枚の板を並列に置き、
そのときに応じた板を使い分けることを夢想したりした。

今の私は定年前に購入した机、脇机、そして椅子は広島産の書斎用を30万円弱であり、
パソコンなどを置いて日常使っているが、この1枚板が2種類置いてみたいと思ったりした。
理想の書斎としたならば、間口2間以上の窓辺となるが、
私には今から増改築する力はなく、夢と現(うつつ)の世界となるので、
無念ながらの現実である。


その後、街の本屋に行き、陳列してある本が少なく、本棚が見えたりしている。
たまたまご主人と書店の本屋の仕入れなどを話し込んだりした。
私は現役時代レコード会社を長年勤務した関係で、
書店と卸の関係を何かと参考にしてきたので、あれこれ話し合ったりした。

その後、街通りでジャージ姿の女子中学生の30数名を見かけた。
多分、修学旅行と思われ、みたらし団子を食べながら、ときおり歓声をあげながら、
雪の降りしきる中を歩いていた・・。
私はあの頃の時代、他愛も無く明るく過ごした時もあったかしら、
と思い返し、苦笑したりした。

駅前で簡素な飛騨蕎麦を食べた後、
バスを待つ間、付近の和菓子屋に入り、抹茶と和菓子を頂いた。
『語り部(かたりべ)』という和菓子であったが、
呑兵衛の私でも奥行きのある和菓子だと感じられた。


帰路のバスの車窓からは、強風が伴なう風雪となり、
雪は路上に20センチ前後のなって折、路肩、道路付近は吹き溜まりとなり、
小さな峠道を通り過ぎた時、前方の大型トラックがスリップし、道路をふさいだりした。
30分過ぎると徐行しながら何とか通過できた後、風雪は激しく視界が5メートル程となった。

こうした中を1時間ほど乗車していると、
運転していない私さえ、少しはらはらとしたりした。


観光ホテルに戻ると、風呂に入った後、
家内達が無事で戻ればよいが、と思ったりした時、
家内達の声がした。

家内達は帰りのバス・・雪と風で恐かったくらい、
と話しかけてきた。


   第7章  雪のあとには

早朝の5時前に目覚め、
ロビーで温かいベツトボトルの煎茶を飲みながら煙草を喫ったりした。
窓辺からは、昨日の雪の名残りで銀世界となっていた・・。

昨日、飛騨高山を訪れたが、心のふるさと、と街中で観られたので、
私なりに想いだされた。


確か昭和43年の頃だったか、
小説家・立原正秋氏が随筆した『心のふるさとにいく』を甦(よみがえ)ってきた・・。
この随筆は、JTBの発刊する月刊雑誌の『旅』の中で連続に掲載され、
飛騨高山を取り挙げており、私の若いころ影響を受けたりした。
編集長が岡田喜秋氏であり、後に紀行作家になった方であり、
この随筆の『心のふるさとにいく』のタイトルを命名し、
小説家・立原正秋の独自性の名文で私なりに心に残っている。


軒下に数多くの氷柱(つらら)が朝の陽射しを受けると、
わずかに雫(しずく)を落としている。

つららあと ためらいながら 落ちてゆく

このような拙(つたな)い俳句の真似事を詠(よ)んだが、
歌を詠む素養がなく、自分ながら赤面したりした。

日中、家内の母は館内でのんびりするので、家内と快晴の中、飛騨高山に出かけた。

行きの道路周辺は、昨日の雪の名残りが観られたが、
市内は雪が消え去り、帰路は峠道周辺あたりだけ雪が残っていた。

飛騨高山は私の好きな地酒を買い求め、
家内と和菓子屋、お土産屋と6軒ばかり廻ったが、
私は素朴な『とちの実 せんべい』に魅了されて買い求めた。
この包装紙には、昔なつかしい手焼の味・・飛騨銘菓・・金龍堂と明示されていた。

夕食の時、旅の最後となるので、骨酒を頼んだ。
小ぶりの岩魚(イワナ)を焼いて、人肌より少し温めた参合前後の地酒に、
どんぶりに岩魚が浮いて折、香ばしい香りがする。
このような戯(たわむ)れのお酒を呑みながら、夕食を頂いたりした。

・・】

私はこのような思いでがあったので、夕暮れの短かき街めぐりには参加しなかったのである。

                            《つづく》




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秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ⑥

2009-10-02 12:43:27 | 
        第5章 仙台港~名古屋港のクルージングは・・。《下》


この後の私達は、『いしかり』の船内めぐりしながら、
カリブの陽光を思わせる明るい船内と称されている通り、ゆったりとして共有スペースとなっている。

http://www.taiheiyo-ferry.co.jp/senpaku/index.html
     『いしかり』


そして昼食としてレストラン『カリブ』に入ったのであるが、
南国風の明るいテーブル、椅子でバイキング形式となっている。
広い窓辺を通して海上の霧雨の情景を眺めたりし、私はキリンビールの『秋味』を呑みながら、
五品の料理を頂き、家内と談笑したりしていた。

食事が終る頃、船はゆっくりと岸壁を離れて出航しはじめた・・。


この後、部屋に戻り、家内は展望大浴場に行った後、
私は小さな窓辺から沿岸の情景を観たりしたが、霧雨でぼんやりとしていた・・。
そして夜になれば、人家の灯りが観えるかしら、と期待をしたりしていた。

家内が戻った後、私は展望大浴場の湯につかりながら、
大きな窓辺から、海上の波間を眺めたり見たりし、昼下がりのひとときを過ごしたのである。

そして私は部屋に戻った後、ベットに横たわりながら、
持参した文庫本を読んだりしたのである。

夕食のディナーバイキングは6時からであり、
秋雨前線の影響で小雨が降ったり止んだりする中を周遊してきたのであり、
今宵も星空から遠のいて、せめて沿岸の街の灯りが見えれば、
と私は微苦笑しながら、家内に云ったりしていた。

夜の8時より、ラウンジの『スターライト』に於いて、
私としては初めて視聴する『揚琴』といった楽器を金亜軍さんの演奏されるのを、
10曲前後聴き惚れたりした。
琴、洋琴よりも遥かに弦が多く、不思議な音色を奏(かな)でる『揚琴』であった。
そして小劇場のような150人前後の幅広く高低差のあるラウンジで、
視聴しやすい場所であった。

この後、私達は『星のデッキ』と称された広い甲板に行ったが、
霧雨降る中では、満天の星空も雲隠れしてしまい、無念ながら部屋に戻ったのである。

深夜、私は地酒を呑みながら、
この『いしかり』は確かに公有の展望通路、レストラン、展望大浴場、デッキはゆったりとして快適であるが、
テラスのある部屋があれば、国内のフェリーとしては申し分がない、
と思ったりしたのである。

翌朝、モーニング・バイキングを頂いた後、
曇り空の中で伊良湖岬が観えて、やがて10時半に名古屋港に『いしかり』は着岸した。


                             『つづく』



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秋霖の中、いとおしき情景の旅路は・・。【2009.9.27.~9.30.】 ⑤

2009-10-02 09:29:47 | 
        第4章 仙台港~名古屋港のクルージングは・・。《上》


私達のグループは松島を観た後、仙台港に到着したのは10時半過ぎであった。
そして、フェーリの『いしかり号』に乗船したのは15分後で、
それぞれの指定された特等の洋室ツィンに入室した。

この船は太平洋フェリーが《ひとクラスの船の旅》として、『きたかみ』、『いしかり』、『きそ』の3隻の姉妹船で、
苫小牧~仙台~名古屋の各港を結び、この沿岸を15キロ前後の海上を航路となっている。

http://www.taiheiyo-ferry.co.jp/senpaku/index.html
『きたかみ』、『いしかり』、『きそ』

私達が乗船したのは『いしかり』号で《カリブの風》と称されて、
カリブの陽光を思わせる明るい船内で、ひとときのスローライフを、
と報じられている。


私達夫婦の指定された特等の洋室ツィンは、程々に満足できそうであるが、
窓が小さいので、部屋の窓辺からは海上、沿岸の風景が観ずらい、
と感じて困った、というのが最初の実感であった。

私達のささやかなフェリーの体験は、2005年10月19日から4泊5日で錦繍の北海道周遊した時、
新潟港10時半に出航し、翌朝4時半に小樽港に接岸する航路を利用したことがあった。

この時は『らいらっく号』で、団体観光ツアーであったが、
私の定年退職後のまもない時であり、少しランクアップをして、
特等A洋室ツィンにして専用のテラス付きで、私達はのんびりとくつろげた体験があった。
http://www.snf.jp/ship/ship_lilac.html
『らいらっく号』


このような思いで乗船している『いしかり』で感じたりした後、
私達は昼食前に船内めぐりとした。
確かにエントランス、ショップ・コーナー、窓辺のソファーなどの共有スペースは、ゆったりできて、
掲示板などは懇切丁寧に掲載されていた。

この中のひとつに【いま、どこ?!】と題された航路の優しいイラストが掲載され、
犬吠崎の灯台・・21:10
野島崎の灯台・・00:40
石廊崎の灯台・・ 3:40
御前崎の灯台・・ 5:10
伊良湖岬の灯台・・8:10

と明示されていて、私は思わず微笑んだのである。


この後、私は独りで喫煙室に入り、大きなポスターが掲載されていて、
驚きながら、このポスターを貼った人の感性に敬意したのである。
マイケル・カーティス監督の『カサブランカ』の作品の中で、
ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンがお互いに見つめあうスチール写真の一葉であった。

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typh/id4450/pidview003/or1
『カサブランカ』

私は心の中で歓声をあげて、素敵なスチール・ポスターを見つめながら、
煙草を喫ったりし、
私はこの『いしかり』に好感しはじめたのである。



                             《つづく》





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