ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

アメリカの「国家ブロードバンド計画」を読んで

2010-06-14 06:28:20 | 経済
以前書いたアメリカFCCが書いた「国家ブロードバンド計画」を読んだ。まだすべてを精読したとは言い難いが、一通りの内容は把握したつもりである。これまでに何十時間もかけて読んでいる。読んで感じるのは日本のこの種の報告書と全く質が違うと感じる点である。

この報告書は10年後のアメリカのブロードバンドはどうあるべきか、その目標に向けて政府はどういう手を打つべきかを書いている。似たような性格の報告書として日本には電波政策懇談会の報告書というのが昨年発行されているが、こちらは私は10分ほどでパラパラとみて「こんなものか」という感想で終わっている。

私のかけた時間は大幅に異なっているが、このくらい報告書作成にかけた時間も異なっていると感じている。日本の報告書は大学教授や産業界の著名人を委員として作成されるが情報収集は行っても、「どうすべきか」ということは誰も提案しようとしない。提案があるとすれば業界からの自分に対する利益誘導ばかりなので、事務局の官僚が作文をして方向付けを行う、それに委員がちょこちょことコメントして終わりというパタンである。従って考えて議論した跡が感じられない。

それに対してFCCの報告書は目標をどこに置くか、それを達成するために政府は何をなすべきかを徹底的に議論した跡がうかがえる。その結果が200を超える提言となっている。

提言内容は、FCC自身が何をするべきかが最も多いがそれにとどまらず、議会には法律の見直しを、そして政府各部門、通信に関係するだけではなく殆どあらゆる部門に注文を付けている。一例をあげると「議会はインフラコストを下げるために”Dig Once"法案を作成し、道路工事、電気工事、水道工事、下水工事などで配線が切れてやりなおすことを防止すべきである」というようなものまで含まれている。

現状、日本でこのような報告書を作ることができるだろうか?私はできないと感じている。仮に総理大臣がその気になって行政の縦割りを排し、必要な人材を集め、時間をかけてもできないだろう。

その理由は日本社会で共有する哲学の欠如である。報告書を読むとアメリカの哲学、競争の奨励とそこから出るイノベーションの重視、結果平等ではなく機会均等をベースとする社会福祉の考え方などがしっかりとベースにあることを感じる。

日本にはこのような目指す社会像が共有されていないので議論がまとまらないだろうと思う。日本はどういう国になるとしているのか、政権が変わった程度では揺らがない国家ビジョンの必要性を改めて感じた。