ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

パーソナルC&C開発研究所

2010-06-22 08:11:24 | 昔話
1992年、私はNECの中央研究所からパーソナルC&C開発研究所に異動した。入社以来初めての人事異動だった。入社して18年間同じ部署にいたというのは振り返ってみれば長過ぎた感じがする。

パーソナルC&C開発研究所(パーソナル開研)というのはその年にできたパーソナルグループの開発研究所なのだが、実態で言うと業績の悪化していたNECホームエレクトロニクスの救済という側面が少なからずあった。NECホームエレクトロニクスには120人くらいの規模の開発研究所があったのだが、業績が悪化していて開発研究所を維持できなくなっていた。そこでパーソナル開研と2重組織にして全員を兼務とし、費用のかなりの部分を部分をパーソナルグループから出すことにしていた。パソコンと、モバイルという業績の良い事業を抱えていたからできたことであった。

パーソナル開研には3つの部があり、一つがパソコンの仕事をする部、一つが私の部でモバイルの仕事をする部、一つがホームエレクトロニクスの仕事をする部であった。
勤務地は中央研究所のあった田園都市線の宮崎台から溝口のホームエレクトロニクスの事業所に異動になった。「のだめカンタービレ」の撮影にも使われた洗足学園の近くだった。
私の部は40人ほどの構成だったが、中央研究所から私ともう一人ハードウェアに強い人、移動通信事業部から課長クラスが二人、と若い人一人、それ以外はホームエレクトロニクスの開発研究所の人、という陣容だった。言うまでもなく、ホームエレクトロニクスの人達は移動通信の素人である。しかも中堅社員が少なく、新入社員が非常に多かった。事業部からは優秀な人材を出してくれたので、ギャップが非常に大きく慣れるまでは大変だった。

勤務地がホームエレクトロニクスの事業所内だったこともあって、私が中央研究所からホームエレクトロニクスに飛ばされた、という見方をして、「かわいそうに」というような言い方をする人もあった。社外からもお誘いがあったが私自身はやる気満々だったのでもちろん断った。