ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

私の労働組合活動

2009-08-07 11:57:29 | 昔話
私の入社した昭和49年頃は電機労連は毎年、春闘でストを打っていた。1日か2日ストを打って賃金が数百円上がる、といったことを繰り返していた。

私が最初に労働組合活動に接したのは入社してまだ2週間ちょっとで、工場実習で旋盤を回していた頃にあった春闘のストだった。その頃はストというのがどういうものかよく分かっておらず「自宅待機ですか?」などと先輩に聞いたものである。電機労連のストは交通のストなどと違いストの途中で解決して出社するということはなく、どこかに遊びに行ってもかまわない、と言われて喜んだものである。

しかし、月末の給料をみると結構引かれているのだった。 当時の職場の労働組合関係の仕事は職場委員、支部委員代理、支部委員、執行委員と別れており、執行役員は組合専従になるので仕事に大きな影響が出るのだがそれ以外の役割は月に一度ほどの打ち合わせで決まった組合の方針を皆に伝える程度のものだった。私は執行委員以外はすべてやった。

職場委員は入社2年目くらいでやるもので組合のチラシを配る程度のものである。これは持ち回りでほぼ全員がやる。支部委員代理になると各部を代表して研究所全体の会議に出る。これは10人に一人くらいの割合で回ってくる。 当時の研究所は宮崎台にあったのだがその宮崎台地区の問題などを話し合う。大したことはできないのだが、それなりに私は発言していた。

すると次に支部委員をやってくれと依頼された。これは二月に一回くらい、研究所を代表して武蔵小杉にある玉川地区の労働組合の会議に出る。 支部委員になると選挙で誰を応援するか、といった話も出てくるし、経営者と労働組合との懇談会の議題を何にするかというような話も出てくる。この支部委員を私は4年間もやった。かなり長いほうであるが、負荷は高くない割に色々情報が入ってくるので結構楽しんでいた。

メーデーのデモ行進などにも行って川崎駅前を歩いたこともある。支部委員をやっているうちに私は労働組合(電機労連)がなぜ社会党を一貫して支持しているのか疑問に思うようになってきた。

戦後すぐのときには経営者対労働組合という対立の図式があり、経営者が利益を貯め込もうとするのを従業員に分配させるのが組合の重要な役目だった。しかし、私が支部委員になった頃には経営者も組合員の給与を適切なレベルにしないといけないことは分かっていたし、組合員側も会社が儲からなければ給料も上がらないことが分かっており、春闘でストを打つこともなくなっていた。

しかし、社会党は依然として労働者の見方という立場をとり、NECのような大企業は敵というような見方をしていた。私は対立の構図はすでに経営者対労働者ではなく、産業間でどの産業を日本として重要と考えるか、あるいは海外企業との競争を政府がどう応援してくれるか、なのだから電機労連は社会党よりもむしろ自民党を支持したほうが良いのではないか、と思うようになった。

このような意見を周りの人に言ってみたがほとんど反応はなかった。自分たちの声が電機労連の方針決定に届くことは無い、というような感触だった。

こういう下の声をくみ上げる仕組み作りも組合よりも会社側のほうが心を砕いている感じがして、私の気持ちもどんどん会社側に傾いていった

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