ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

エリクソン社員に助けられた経験

2011-04-26 14:08:08 | 昔話

はじめて私が議長をした会合の2日目の夕方、議論が行き詰ってしまった。はじめての3GPP会合なので、具体的な技術議論はまだなく、日本とヨーロッパでこれまでどういうことをやってきたかという紹介と、今後の進め方が議論の焦点だったが、ヨーロッパの議論は日本に比べてかなり詳細な議論をしている印象だった。

2日目の夕方に、複数に議論を並列で行うかどうか、という議論があった。並列議論をすると参加人数の少ない会社は、どちらかに出られなくなったりして不利になる。その一方で、内容のボリュームと、99年末までに完成させるという目標時期を考えると並列議論の導入は不可欠に思われる。大勢は並列導入派だったが、フランス人の女性が長々と反対意見を述べて譲らない。議論は行き詰ってしまった。日本ではこのような技術的でない議論で揉めることが無かった私は困ってしまった。午後8時頃になったので、続きは明日、と言って一旦閉会した。

閉会はしたもののどうしようか、と悩んでいると、エリクソンの参加者が声をかけてきた。この人は日本エリクソンに出向中で日本の会議にも通訳付きで出ていた人である。「今日は大変だったね。一緒に食事をしながらどうすればよいか考えないか?」ということである。食事どころはホテルの中しかないのだが、少し待って空いた頃に二人で食事をし、ビールを飲みながら進め方を話した。話しているうちに次第に考えがまとまってきた。食事の終わりに、彼が「うん。大体こんな方法でやるべきだと思う。自分が明日までに寄書として準備しておくから、それを議長名で方針として発表すればきっとうまくいくよ」と言ってくれて分かれた。夜の11時過ぎだったと思う。翌朝6時頃に起きてメールを見ると夜中の2時頃の発送で、彼が私の名前でドラフトしてくれた文書が届いている。

それに多少手直しをして、議長案ということで入力し、朝一番で発表した。こういうものに全員が満足する案は無い。多少の痛みは伴うのだが、あれほど揉めていた件に対して反論は全く出ずに、すんなりと議長案が承認された。

それにしても、エリクソンの彼はどうしてあそこまでやってくれたのだろうと思う。特別に仲が良かったわけではない。会社からは会議を前に進めろという指示は出ていたと思うが、それにしても大変な努力である。そして彼の個人名はどこにも出ていない。何が彼をここまでやらせたのだろうと思うとともに、エリクソンという会社のマネージメント力に強い興味を覚えた。

この時にヨーロッパの会議で議長案というものがどのように参加者に受け取られるかを認識した。この時から私は議長として一枚脱皮したように思う。


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