ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

3GPPのIMSの議論

2011-08-08 16:51:47 | 昔話

2000年の終わり頃になって電話のIP化の議論が3GPPで急速に盛り上がってきた。3GPPを設立した頃は基地局とのインターフェイスにIPよりもATMが採用されたのだが、1年半ほどで流れは完全にIPの技術に向かい、これまで回線交換で扱われてきた電話サービスをIP技術を使って提供しようという流れになってきたのである。3GPPではATMの部分をIPに置き換える、話は2000年の初めから進んでいた。ただしこの時は基地局の識別番号をATMのアドレスからIPアドレスに置き換えるだけで中身の処理は変わっていなかった。2000年の終わり頃になって、処理もIPにしていわゆるIP電話を標準化しようという機運が高まってきていた。

当時固定網ではIP電話の導入が始まっていて電話のIP化の動きは始まっていた。これに賛同したのがオペレータたちで、彼らは日ごろから電話交換機が高いと感じていたのでその電話交換機を買わなくて済むようになる、IP電話の導入には賛成だった。

これに必死に抵抗したのがエリクソンである。エリクソンはIPで回線交換的なサービスを提供するのは確かに魅力的だが、電話の要求条件は厳しく、緊急呼の扱いなどの特殊なサービスもあるのでまだ機が熟していない。最初は電話サービスではなくIP網上の音声サービス、あるいはマルチメディアサービスとして電話とは分けて導入し、将来的に電話サービスを取り込むというシナリオにするべきだと主張した。

私は、交換機の話で無線とは直接関係がないので傍観者的に見ていたが、多くのオペレータは「エリクソンは交換機をまだ売りたいからあんなことを言っているんだ」と言って信用せず、議論はエリクソン対オペレータ連合の様相だった。他の交換機ベンダは、顧客を敵に回したくないのであまり発言しなかった。エリクソンはオペレータ全体を敵に回して苦戦していたが、最大オペレータであったボダフォンを説得して、ボダフォンが当面電話にはしない、と言い始めて、オペレータ連合はあきらめた。

そこでこのシステムはIPシステムの中にあるマルチメディアを扱うシステムということでIMS(IP Multimedia Subsystem)と命名された。IMSは2002年6月に凍結されたRelease 5で最初に標準化されたが、結果的にエリクソンの読みは正しく、現在に至るまで電話は回線交換でサービスが提供されている。こういった、技術的な信念で顧客を敵に回してでも頑張るエリクソンの姿勢は日本のベンダには無かったもので私には大変印象的だった。

 


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1 コメント

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業界の興亡 (世田谷の一隅)
2011-08-09 11:04:58
確かにエリクソンは、業界の変化にしたたかに生き残っていますね。単なる「生き残り」だけではなく、存在感を維持しながら事業展開をしています。

通信の世界では、1970~1980年代に米国のBellが解体されて以来、大きな変化が絶え間なく起こり、更に移動体通信、そしてパケット通信、データ通信の世界へと変遷しました。

この時代にあって、日本のみならず、世界中で通信機器業界で、新興勢力が浮かんでは消え、伝統的な会社も淘汰されてきました。

移動体通信では端末事業から発したNokiaが、最近ではスマホに少しばかり乗り遅れたようです。根性だけでは、この業界で残れません。中長期的な観点での技術ロードマップがしっかり確立し、その戦略に基づいた技術開発の強さが必要だという事がよくわかります。この意味で、嘗てのMotorola、NEC、Siemens、Alcatel等 Big namesも今では昔日の影です。戦略の弱さだけではないと思いますが、乗り切りが難しい時代になったのでしょう。

Ericssonは、その中でも、端末を早い時期に切り離し、「通信インフラ」へ集中することで存在感を出してきました。通信インフラの世界もデータ通信、network等の分野が絡んできたので、サーバ、software等、新しい競合相手が次々と登場します。

こんな変遷に有って、日本の会社は、目立たなくなってしまったようですが、物造り、Hardwareを軸に復権を目指すとなると難しいのでしょう。

「標準化」というのは、商品の売上競争、シェア争いのうんと手前の競争です。ウィトラさんの経験と指導が、次世代の開発者の育成にうまく反映できれば、この辺りの夢がもう一度膨らむところですね。
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