真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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朝鮮王宮占領(開戦の口実づくり)と対清国宣戦布告

2009年10月31日 | 国際・政治
 朝鮮を日本の支配下におくため、清国軍を朝鮮から追い出したかった日本は、清国ではなく朝鮮に無理難題を押しつけることによって清国との「開戦の口実」を作った。
 その一つは、「清宗属関係」(保護属邦)の問題である。清宗属関係を認めれば、江華島条約違反であると責めたて、「自主独立」の国であるといえば、朝鮮に出兵している清国軍は朝鮮の独立権を犯しているので、「清国軍を朝鮮から追い出せ」と責めたてようというのである。そして、もし朝鮮にそれができないのであれば、日本軍が追い出すというから恐れ入る。
 そして、武力で朝鮮を威嚇し、王宮(景福宮)を占領、大院君を入城させ、清宗属関係廃止の通告と、清国兵国外追放依頼書を書かせた。開戦のために朝鮮を利用したのである。また、朝鮮国内政改革の問題もあった。内政改革の意志がないときは、強硬手段をとって、実行を促すと言うのである。以下「外交文書で語る 日韓併合」金膺龍(合同出版)より抜粋する。
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 第2章 日清戦争と朝鮮

 4 内政改革断行ニ付き上申ノ件

 公使の大鳥は、恥知らずにも次のように、無頼漢まがいの方法で朝鮮政府を威嚇して、修好条規の第1款が罠であったことを自ら暴露するのである。

 日清両国兵各々24余里を隔テタル遠地ニ駐屯シ、而シテ其ノ目的モ同一ナラザレバ、幾日ヲ経過スルトモ両兵衝突スベキ機会之ナク、然ルニ我ガ兵追々増加シテ、彼ノ2,3倍ニ達シタレバ、我ガ利ハ速戦ニアルコトハ勿論ナルノミナラズ、内政改革ノ目的ヲ達スルニ於イテモ亦速戦ヲ利益トス可キニ付キ、左ノ順序ニ従ツテ之ヲ決行致ス可キト存ジ候。
 朝鮮政府若シ、我ガ国ハ自主独立ニシテ清国ノ属邦ニアラズト返答シタル時、我ハ朝鮮政府ニ向カツテ然ラバ今清国兵ハ属邦保護ノ為メト称シテ貴境ニ入リシハ、之貴国ノ独立権ヲ侵害セリ。之ヲ退去セシメテ日朝条約(修好条規第1款)ノ明文ヲ全ウスルハ貴国政府ノ義務ナレバ速ヤカニ之ヲ逐イ出スベシ。若シ貴国ノ力ニテ之ヲ為シ能ザル時ハ、我ガ兵ヲ以ツテ貴国ヲ助ケ、之ヲ逐イ払ウ可シト迫ル。
 又若シ朝鮮政府ガ、清国ノ属邦ニ相違ナキ旨返答シタル時ハ、公然朝鮮政府ニ向カツテ彼ガ修好条規第1款ニ背キ且ツ締約以来17年間我ヲ欺キタル罪ヲ責メ、兵力ヲ以ツテ之ニ迫リ、彼ヲシテ謝罪ノ実ヲ挙ゲシメ我ニ満足ナル補償ヲ取ルベシ。
 又若シ朝鮮政府ガ、古来清国ノ属邦ト称セラレルモ内治外交ハ自主ニ任ズル約束ナレバ自主ノ邦国タルニ相違ナシト返答シタル時ハ、朝鮮政府ニ向カツテ、内乱ヲ鎮定スルハ内治ニ属セリ。然ルニ清国ハ属邦保護ノ名義ヲ籍リテ兵ヲ派遣シタルハ、是内治ニ干渉スルコトナリト第1項ノ手続キニ従ツテ韓廷及ビ清国ノ使臣ニ迫ルベシ。 (『日本外交文書第27巻』)


 ・・・(以下略)

 公使が牢破り 

 日本軍がソウルに入れば、清国兵は必ず攻撃してくるものと信じていた。ところが清国は好戦の国ではなかった。日本の期待に反して清国兵は攻撃してこない。開戦の口実をつくらねばならなかった。そこで、戦争を仕掛けるため日本の外交官が牢破りをするのである。
 高宗王に清国軍追放依頼書を書かせるには、王の実父国太公(当時引退した大院君を国太公と呼んでいた)の威光が必要であった。ところが国太公は動こうとしなかった。国太公を説得できるのは、捕管庁に入牢中の鄭雲鵬しかいなかった。そこで、日本国の公使は牢破りをして、国事犯を牢抜きしたのである。


 ・・・(以下略)

 いよいよ開戦

 何が何でも戦争をすることが決まっていたことと、日本軍が不意に先制攻撃した事実を、日本の外務次官が認めている。

 牙山(アサン)の清国兵動かざりしには予期に違いほとほと困却せり。外務大臣の計策はほとんど進行を阻止せられんとす。然るに既に輸送船を徴発して7,8千の兵を動員す。騎虎の勢中止すべからず。依って加藤増雄、本野一郎を派遣し、陸軍の参謀官と牒合して終に牙山に於て清国兵を討つに至れり。(前掲『後は昔の記他林薫回想録』)


 1894年(明治27年)7月25日、陸軍は牙山の清国兵を、海軍は黄海の清国の軍艦を攻撃し、致命的損害を与えてから、8月1日ようやく宣戦布告した。以来日露戦争、満州事変と日中戦争、太平洋戦争と、宣戦布告前の不意打ち攻撃は「忠勇無双の皇軍」の伝統的戦術となった。

5 天皇の詔書

 対清国宣戦布告


 天佑ヲ保有シ、万世一系ノ皇祚ヲ践ム(天皇の位を継ぐ)大日本帝国皇帝ハ忠実武勇ナル汝有衆示ス。朕茲ニ清国ニ対シ戦ヲ宣ス。朕ガ百僚有司ハ宜ク朕ガ意ヲ体シ、陸上ニ海面ニ、清国ニ対シテ交戦ノ事ニ従イ以ツテ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スベシ。
 朕惟ウニ朝鮮ハ帝国ガ其ノ始メニ啓誘(さそってひらく)シテ、列国ノ伍伴(なかま)ニ就カシメタル独立ノ一国タリ。而シテ清国ハ事毎ニ自ラ朝鮮ヲ以テ属邦ト称シ、陰ニ陽ニ其内政ニ干渉シ、其内乱アルニ於テ口ヲ属邦ノ国難ニ籍リ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ。朕ハ明治15年ノ条約ニ依リ兵ヲ出シテ変ニ備ヘシメ、更ニ朝鮮ヲシテ禍乱ヲ永遠ニ免レ治安ヲ将来ニ保タシメ、以ツテ東洋全局ノ平和ヲ維持セシメムト
欲シ、先ズ清国ニ告グルニ協同事ヲ以ツテ従ハムコトヲ以ツテシタルニ、清国ハ翻ツテ種々辞柄ヲ設ケ之ヲ拒ミタリ。之ニ因リ清国ニ対シ戦ヲ宣セザルヲ得ザリシナリ。汝有衆ノ忠実武勇ニ依リ速ヤカニ平和ヲ永遠ニ克服シ以ツテ帝国ノ光栄ヲ全ウセヨ。(『日本外交文書第27巻』)


 「帝国ガ其ノ始メニ啓誘」したという江華島条約は、大陸侵攻を国是とする日本が清国に戦争をしかけるために武力攻撃で朝鮮を嵌めた罠であった。
 「東洋全局ノ平和ヲ維持セシメムト欲シ、先ズ清国ニ告グルニ」といっているが、清国軍が朝鮮に到着する以前に対清国との戦争を決めた6月3日の閣議決定を天皇は裁可し、大本営まで設置した。清国と戦争するための出兵に、済物補条約(1882年。『日本外交文書第13巻』)の適用は道理に合わない。また、農民が国政の改革を要求して蜂起したのは禍乱ではないし、日本には無関係である


 ・・・(以下略)

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